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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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073 発熱

 和平が訪れると預言された1905年1月27日は、なにごとも無く過ぎ去った。むしろ戦場では和平とは逆方向に事態が進んでいたことが、いま判った。いつの間にか、わが軍は戦闘線の端の方で攻勢に出ていたのだ。結局のところロシア軍は押し返され、すでに撤退を始めているという。


 入院中の兵科士官によると、わがロシア軍の作戦は翼包囲というものであり、敵陣の末端を包み込む如く攻撃したのだそうだ。はじめのうちは厳寒期に戦闘は無いと思い込んでいただろうオオヤマ軍を大いに狼狽させたようだが、それも一時的なことに過ぎず、結局は一村落を奪うことも出来ず、徒に将兵を失いながら撃退されてしまった。


 この結果を受けて、ドイツ皇帝はロシア大使および日本公使とに、何事かの交渉を持ちかけているとのことだ。それに反発するかのように、ツァーリは極東に30万の新軍を編制させるよう命じたという。その一方で、日本は国債発行による戦費調達が順調で今後一年間は戦い続けることが出来るとの評判だ。諸外国から日本への支援が尽きるか、わがロシア帝国の資本が枯渇するか、いずれにせよ、そうなるまで戦争は続くだろう。


 沙河会戦以後に補充として到着した、まだ一度も実戦を指揮した経験が無い将校たちのうち、およそ二割が病者であると師団軍医から聞いた。あるとき、私が診た真面目そうな大尉は、低音の気高い声で

「ドクトル、これ以上は極東に留まっていられない事情がありまして……」

 と、訴えた。

「なにか持病でも?」

 私は、医師として当然すべき質問をした。本国にいた間に受けていた治療が中断したことで持病が悪化したというなら、後送の理由になるからだ。それに対して大尉は塹壕足の症状を挙げた。

「脚の内部が裂けるように痛いです」

 そのほかリウマチ性疾患の症状も現れているという。

「銃弾も砲弾も怖くはありません。しかし、病気による身体の痛みは不愉快で堪りません」

 それゆえ「ハルピンまでさがって休養させることが望ましい」と記した診断書が欲しいということだった。そのような診断をすれば、私は師団司令部から詰問されることだろう。私は兵卒たちが即興で創った俗謡を思い出した。


 第一線に立つ代わり

 病院さして逃げて行く

   あれは如何なる将校か

   卑怯きわまる仮病人

 一発、弾が飛んできて

 なんてことない掠り傷

   傍で見ている部下たちも

   助けるふりで後退だ

 病者に見ゆるは幸いぞ

 堂々入院、寝て暮らす

   塹壕暮らしに飽きたなら

   直ぐに病みつく、怪我をする


 入院か後送かを願うのは兵卒も将校も同様だ。また別の将校が師団軍医の紹介状を携えて入院を希望してきた。本人は慢性胃カタルと言っていたが、紹介状には「目下、将校の間に流行せる後退熱に冒されたることを確証す」と付記されていた。後退熱とは、なんらかの手段により体温計を誤魔化して発熱が続いているかのように見せかけることを言う。私は、この将校を一晩だけ入院させて原隊へ戻した。


 戦いを忌避する心理は理解できぬこともないが、詐病は甚だ宜しくない。軍人には国民の支払った税金から給与が与えられている。その給与に対して、誠実に勤務で応じなければならぬのだ。ならば、如何にして戦場から去るべきか。私とて戦場を離れられる日が訪れることを渇望しているが、それまでは神の御心に従うほかないと考えている。

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