森で出逢った女 〜夢の話をしましょう〜
バナヘムの森での校外学習。魔法やエレメントの理解を深めるために単独行動することになった俺は、ティアラと離れ、人気のない奥地へ向かった。
静けさ。草木。土の匂い。それくらいしかない場所ではあったが、心はすごく穏やかだ。
ここでなら――今なら、俺は自分自身を見つめ直し、いつの間にか宿っていた『力』について知ることができるかもしれない。
無属性の魔力、7種もの相性武器、EXスキル、そして開けた扉を異世界へ繋げる能力。
日本の現代社会で生まれ育ってきた俺が、どうして異世界の力を持っているのか。その謎に近づけるかもしれない。
俺は適当な原っぱを見つけて、黙想した。剣道を習ってた時もそうだが、集中する時はこの手に限る。
ザッ…………
しばらくすると、草を踏み分ける足音が聞こえたんだ。
俺は誰か来たのかと思って、目を開けて立ち上がる。
正面には誰もいない。俺は背後を振り返った。
10メートルくらい離れたところに、グレーのスウェット上下みたいな服装の、長いストレートの茶髪の女性がいた。歳上…………25,6歳くらいか。
綺麗だ、と思った。長身で、もしかしたら170センチくらいあるかもしれない。シュッとして凛々しい顔立ちと体躯、そしてそれに見合わない部屋着みたいな服装は、森というロケーションからえらく浮いていた。
そんな女性が、どこともなく森を見回しながら、こっちへ歩いていた。
「すみません。ここ、誰もいないと思って――」
この辺は、もう他の生徒が先に見つけていたのかもしれない。そう思って、俺は女性に声をかけた。
すると、ゆらゆらと不規則に漂っていた視線が、俺に向けられる。
彼女は、僅かに首を傾げて俺を見つめてきた。
「……気づかなくてすみません。先に来てたなら、俺が別の場所を探します」
女性が近づいてくる。それまでは、ただ前へ進んでいるだけのような緩やかな足取りだったが。
今は、明確に俺の方へ歩み寄っている。視線が交差する。ほのかに香りが鼻をかすめる。
美しい容姿、妖艶な雰囲気に、俺は何も出来ずに立ち尽くしていた。
女性は、すぐ目の前まで来ていた。
「昨夜は良い夢を見れた?」
女性は俺に訊ねてきた。微かに傾けた首を、もう少し傾けて。
まるで子どもに話しかけるように、目線を合わせてくる。
近くにいると、思ったより背は低そうだ。170ないくらいかな。それでも高いが。
「え?」
俺は思わず聞き返した。
いきなり何を言ってるんだ。夢? 初対面の相手に?
ちょっとアブない感じがする。
「私は素敵な夢を見たよ」
女性は、俺の目をジッ……と見つめたまま続ける。
「弟の夢」
また、小首を傾げる。
その眼差しと相まって、まるで。
俺の内側を抉られているような気分になる。
「アーロンっていうの」
アーロン、弟。
なぜかは分からない。だけど……。
俺は彼女の話を、黙って聞いていた。
「小さい頃、家の近所に、ちょうどここと似た森があってね」
そうなんだ。
いつの間にか、俺は呼吸を彼女の息遣いに合わせていた。
移動しないと彼女の授業を妨害してしまう。なのに。
体を一切、動かす気になれなかったんだ。
「よく一緒に遊んだんだよね」
ああ、そんなこともあったんだ。
女性は水面に触れるような繊細な所作で、指先をちょん、と俺に向けた。
すると、赤い煙の線のようなものが、俺めがけて真っ直ぐ伸びてきた。
2人の子どもが森を駆け回る光景が、脳裏に浮かんできた。
「あなたはどんな夢を見るの?」
女性の息が顔にかかった。
気づけば、互いの鼻が触れ合いそうなくらい、彼女の顔が近づいていた。
深く吸い込まれそうな視線が、ずっと俺を捉えて離さない。
彼女から目が離せない。
「聞きたい。聞かせて?」
ス……と腰に何かが触れた。
彼女の細い指だ。
くすぐったかった。
「それは…………」
夢――そんな急に言われても、夢のことなんて鮮明には思い出せない。
大体、夢ってやつは曖昧で荒唐無稽なものだろう。
……強いて言えば、最近よく見る夢はあるな。
「…………女が、出てくる夢」
「女?」
女性は俺が答えると、口角を歪ませて微笑んだ。
ガチッ、と俺の腰を優しく掴んで引き寄せた。
俺の腰が、彼女の体に当たるのを感じた。
「緋い、女…………俺を、探してるみたいで…………」
「好きな人?」
「いや……会ったこともない人…………のはず」
何を律儀に話してるんだ、俺。
会ったこともないのは、目の前の彼女だってそうだろ。
なのに――。
どうして俺はこうも、彼女の言いなりになってしまうんだ?
「そうなの……会ったこともない人の夢なのに、よく見ちゃうんだ」
女性は、ふふっと笑う。
背筋にゾクッと、心地よい寒気が走った気がした。
俺は彼女の笑顔を、心のどこかで不気味だと感じていたんだ。
俺は彼女に、『よく見る』夢だとは一言も言っていない。
「あなた――」
俺の一抹の疑念を塗り潰すように。
女性が、今度は俺の顎を指先で撫でた。
品定めするような瞳が、絡まる蛇みたいに俺を見つめる。
「アーロンに少し似てる…………」
フッ、と。急激に肩が冷えるのが分かった。
木陰が長く広く伸びていく。
西陽が沈みかけているんだ。
闇夜が着実に迫っていた。
「ねえ」
女性が、俺に抱きついてきた。
肩に首を乗せられ、髪が頬をかすめた。
彼女の手足が俺の背中を、太ももの辺りを覆う。
微かな囁きが、俺の耳に吐息を吹きかけた。
「私の弟になって?」
瞬間。
俺の脳裏に、またあの光景が浮かんできた。
2人の子どもが、森を駆け回って遊んでいる。
目まぐるしく過ぎ去る景色が見える。
土草を踏み、風を切る音が聞こえる。
前を走る女の子の、無邪気な笑い声も。
これは、記憶だ――。
「ケイスケさん!?」
名前を呼ぶ声で、俺はハッと我に返った。
咄嗟に、抱きつく女性を突き放して距離を取る。
女性は何が起きたか分からないのか、キョトンと俺を見て首を傾げる。
「そっ…………」
俺は声の主を見た。
ティアラだ。
俺と女性を見て、明らかに動揺している。
「外でそういうコトをしたらいけないと思います!?!?!???」
なんかえらい勘違いをしているようだ。
いや、まあ確かに男女が超至近距離で、体を密着させて突っ立ってる様を見たら、イケない想像をするのも分かるけども。
ともかく、ティアラのおかげでなにかが助かったのは確からしい。
「……………………」
女性は首を傾げたまま、ティアラに視線を移す。
目の色は、戸惑いから憤りに変わっていった。
ヤバい――俺は本能的に、ティアラの前に立ち塞がる。
「…………」
女性が、再び俺を見つめる。
俺とティアラを交互に見る。
なぜだろう……一瞬、彼女が悲しそうな目をした気がしたんだ。
「――また会いましょう」
寂しそうに微笑み、女性は森の奥へ消えていった。
またしても、静寂。俺とティアラは、風が森の草木を撫でる音に包まれた。
しばらくして、ティアラが『はっ』と俺の肩を掴む。
「もー! ケイスケさんっ! 日暮れには集合なのに、一体どうしてたんですか! それにあの綺麗な女の人は誰です!? あとなんで私こんなに怒ってるんですか!!?」
「え…………さあ? 俺のせいっぽいのは分かるけど……」
「ええそうでしょうとも! ちょっと、私いまヘンなので、落ち着きますね!」
自己申告。
ティアラは俺に背を向け、深く息を吸う。
やがて、本当に平静を取り戻した様子で、俺を振り返った。
「――大丈夫でしたか? あの人、学園の生徒ではないみたいでしたけど…………お知り合い、でもないですよね?」
「ああ、初めて会った……けど…………」
俺も、頭の整理がついてきた。
冷静になって、あの女性との邂逅を思い返す。
すると、なにか心にシコリが浮き上がったんだ。
「けど…………俺、あの人を見たことある気がする」




