第一話 そして、未来へ
瞼の向こう側が明るい。朝だろうか。私はいつ眠ってしまったんだろう、出先だったはずなのに。
「――申し訳ありません、私のせいです、私のせいで、あなたを何度も苦しめた、ごめんなさい」
夢の中で誰かが謝っている。男性の涙声だ。薄っすら目を開けるとその人はやっぱり泣いていて、また私に謝る。人の良さそうな中年男性だ。
「ごめんなさい、今の私にできるのは、この程度。あなたを一度くらい、助けたかった」
そう言うと、彼の輪郭がゆらりと揺れ、ぼやけ、煙のように消えていった。彼は、幽霊だったのだろうか。
重たい頭を押さえながらゆっくり起き上がる。周囲を見て驚いた。私が寝ていたのは草原で、見渡す限り草原で、視界は緑一色だったから。さすがの私も驚いた。
神や幽霊とまみえ、500年間何十回と生まれ変わり続けているらしい私だがこんな経験は初めてだ。何十年生きていても今日という日は初めて、飽きることない日々は続くのだと、場違いにも考える。
けれど感慨に浸っていられたのもそこまで、すぐ横から人の声がして、名前を呼ばれてまた仰天。背の高い草に隠れて見えなかったその人は、先ほどまで談笑していた女の子。
「ま、麻耶さん、大丈夫?怪我はない?」
「は、はい。え、ここ、どこですか?」
私同様に頭を押さえながら起き上がり、きょろきょろ辺りを見回す彼女も困惑している。
よくよく周囲を見てみると、いくつか人工物のようなものが確認できた。ツタまみれで、背の高い雑草に阻まれているが、あれは自販機だ。あれは、花壇の残骸。あっちの建物らしきものはおそらくトイレ。先ほどまでいた公園にあったものばかりだ。位置関係も合致する。
「い、憩さん、あれってもしかして、都庁?」
麻耶さんが指差す先には、背丈が半分ほどになり、こちらもツタと苔に覆われた塊があった。一見してみると小山のよう。ツタに覆われて本来の姿を隠された民家や車がたまにあるが、まさにそれに近い都庁がそこにいる。
「ああ、確かに。ほぼ倒壊しちゃってるけど都庁だね。穴が複数空いてるとこ、窓だ」
「えっえっ、これ、どういう状況ですか?えっ、私達さっきまで都庁前の公園で座って話をしてて、気づいたら、寝てて、えっ!?どういうことですか!?」
背後で、この非常事態を言語化することで冷静になろうとする彼女を一時放置し、ツタに支配された自販機へ近づいていく。得体の知れない状況でむやみに動き回ろうとする私を、麻耶さんは心配して声を掛けてくれる。「あ、危ないですよ」と。ありがとう、でもこれより危険な目にはきっと山ほど遭ってきたはずだ、このくらいの展開は今更である。
心優しい彼女を無視して、ツタを両手で持ち、左右に引き裂く。ブチブチ、ブチ。頑丈で量の多いそれをようやく取り除き、塗料の禿げた文明の塊にそっと触れる。ひんやりと冷たいささくれた金属の質感を感じながら、そっと瞼を下ろす。
「い、憩さん?何やってるんですか?」
「情報を得ようとしているの」
「はい?」
「・・・なるほど、なるほど。わかった。どうやら私達、タイムスリップしたみたい」
「は!?」
「また未来へ飛ばされたみたい」
「え?いやいやいや、未来ってどういうことですか!?ここ、未来なんですか?なんで!?」
「麻耶さん、病み上がりなんだから大声出さない方がいいよ。もしかしたら長丁場になるかもしれないから体力温存してほしい」
「そ、そんなこと言われても」
「私達は今、2025年からおよそ200年先の未来にいる。2025年12月くらいかな、隕石が地球に衝突して人類は滅んだ。少なくとも日本に人間はいない」
「えっ」
一呼吸置かれ、「えー!」と叫ぶ声を背に浴びる。正直煩かったが、訳も分からずタイムスリップさせられ叫び出したい気持ちは痛いくらい分かるので注意はやめておいた。
「じ、人類が滅っ、いや、なっなんでそんなこと分かるんですか!?」
「それは企業秘密と言うことで。無理に信じろとは言わないけど、これが現実。さあ、少し移動しよう。幸い、寒くも暑くもないし、空気もあって、今のところ命を取られるような生き物もいなそうでラッキー。でも一応武器になりそうなものを探しながら進もうね」
「れいせいすぎる・・・」
「初めてじゃないからね、こういうの」
話を深堀される前に草をかき分け歩き出した。パンプスが恨めしいが仕方ない。
足元に蛇でもいたら厄介だ、手頃な棒きれを拾って行く先の地面を叩きながら公園の敷地外へ出る。道路部分にも多少草は生えていたが、コンクリートがしっかり残っている。歩道橋は隕石衝突時にでも倒壊したのか、原形を留めていない。
「こ、これって本当に現実なんですか、夢とか、幻とか。じゃなきゃこんなのあり得ない」
「あり得なくない、これが現実。この有様じゃ、隕石墜落時に皆死んじゃったんだろうな」
「じゃ、母も、みんな死んじゃったってこと・・・?」
「ここは200年後の未来だから、知り合いは誰も生きてないね」
「私達はなぜ未来に・・・」
「さあ、神さまの気まぐれかしら」
「い、隕石が落ちるのが事実なら、その証拠を集めましょう!そして過去に戻る方法を探しましょう!」
「唐突に前向き」
「だって、こういうのって大抵そうじゃないですか。役割を果たせば元に戻る、現象には必ず何かしら意味がある。私達がここへ飛ばされた意味や役割がきっとあるはずです!それを見つけて過去に戻る!」
「私達がここへ飛ばされたのは、人類を救うためってこと?」
「そうです!」
「いいね、やる気はないよりあった方がいい」
「それ、褒めてないですよね」
「あはは」
口をへの字にする麻耶さんは愛らしい。それほど小柄というわけでもないが、挙動や言動が可愛らしく、庇護欲を搔き立てるタイプだ。その一生懸命さ、健気さも評価できる。
かつての私も「現象には必ず何かしら意味がある」「役割を果たせば元に戻る」と考えていた時期があるらしい。そうやって自分を鼓舞し続けて精神を壊しかけたが、何もそれは悪いことじゃないと思う。過酷な現実から一時的にでも逃避し、心の防衛に役立った。もしあの時、馬鹿正直にタイムスリップや生まれ変わりのループを解き明かそうと奮闘していたら、解明できない数式を解き続けるようにその場に囚われ、最後には廃人になっていただろう。ただ真正面から”この現象を受け入れ、真摯に生きる”、そんな馬鹿真面目なやり方が、最終的には自分を守ったのだ。
「この様子じゃ人はいないし、建物に入るのも倒壊の恐れがあって危ないね。とりあえず飲み水を確保したいな」
「川、ですか?」
「ちょっと距離があるけど行ってみようか。途中、寄りたい場所が2つあるの。着いてきてくれる?」
こくこくと何度も頷く麻耶さん。離れる気はない、一緒に行動する。口に出さずとも潤んだ瞳が訴えてくる。一人の方が気楽だし身軽でいいが、仕方ない。
割れて隆起したコンクリートは歩きにくい。人が長らく歩いていなかったからか、コンクリートは脆く簡単に崩れてしまうので、足をくじいたりしないよう慎重に進まねばならなかった。やはりヒールが憎たらしい。いっそヒール部分を叩き取ってしまいたいが、この靴高いんだよなぁと状況に似合わぬ打算が頭を掠める。私はまだまだ余裕があるようだ。
10分ほど進むと、半歩後ろにいる麻耶さんの息が上がり始めた。
「大丈夫?」
「は、はい。すみません。ずっと引きこもっていたし、2日くらい寝たきりだったので体力が落ちちゃってるみたいです」
「若いんだからこれから筋力もすぐ回復するよ、焦らなくて大丈夫。はあ、しかし、世紀末って感じだね。人が誰もいなくて清々しいなぁ」
「す、清々しくはないです。私は不安しかないです」
「そう?私はずっと、こういう世界を見てみたかった」
人間のいない世界、滅びゆく地球。いつの頃だったか、私はそれらを望み、空想したことがある。人間がいなければ私の痛みの幾何は減り、鬱積した感情も少しは晴れるだろうか、と。
けれどそれはあくまで空想や妄想の類であって、実現するため行動を起こしたことはない。6年前、神の涙を呑む前までの私の目的は、あくまでも神を自らの手で殺すことであって、地球滅亡などではなかった。よって、今回のタイムスリップを含む出来事に私の意思は全く含まれていない。
空を見上げる。昨日までと変わりない群青色の空だ。とても200年という月日が流れたとは思えない。かつて、戦国時代に飛ばされた私も、空を見上げながら同様のことを考えた。未来も過去も関係なく、空は空だ、ずっと変わらずそこにある、と。
ピチチ、数匹の小鳥が鳴きながら空を横切る。麻耶さんがあっと声を上げる。
「と、鳥だ!生物はいるみたいですね!」
「さすが恐竜の生き残り。また生き残ったみたいだね」
姿かたちや生態が多少変わっても、しぶとく逞しく生き続ける。人間もそうありたいものだと、柄にもないことを考えた。 一時は人類滅亡を空想したくせに現金なものだなと、自嘲じみた笑みが浮かぶ。
目的地の一か所目は『トチノミ』だ。言わずもがな、神が経営するブーランジェリー。隕石衝突の件はともかく、タイムスリップに神が関わっているのは自明の理だ。可能であれば事情を聞きたい。
しかし、所在が分かる数少ない1柱が営むその店は例に漏れず倒壊し、跡形もなく消え去っていた。年季の入ったビルだったし、当然と言えば当然か。
「あ、あれって井戸ですか?」
麻耶さんが指差す先、トチノミの敷地奥に石作りの円形の物体がある。上部には鉄製のポンプまでしっかり残されている。草や瓦礫に隠れているが、それは年代物の井戸に違いない。
「ああ、建物の裏にあったんだろうね」
「行ってみましょう、飲み水ゲットできるかも!」
期待に満ちた横顔に、複雑な気持ちになる。期待すればするほど、裏切られた時の落胆は大きく、立ち直るのに時間を要する。それが幾度も重なれば心はあっけなく壊れる。
麻耶さんの背を追い、井戸に近づいてみると案外綺麗な状態が維持されていることに驚く。隕石が衝突し、さらに200年経過しているにもかかわらず、井戸のポンプはまだ機能しそうだ。
試しにポンプを何度か上下してみる。すると、大量の泥水が噴出。しばらくは葉や小枝の混じった泥水が続いたが、次第に澄んだ水が流れ出す。この地球に、水はまだ生きている。
ああ、そういや、ここにいたのは水に纏わる神だったな。




