8話 脱出方法
葉枕と白水は、両手両足を、手錠で金属製の金庫に繋がれていた。室内は殺風景で家具はない。
「準備を整えたら、すぐに拷問を始めるの。嘘つきリリィ、あなたにも絶対、嘘はつかせないの」
涙童はこぼれ落ちる涙を舌で舐め取ると、部屋を出ていった。ドアの鍵がカチャリと鳴る。鍵のレバーは内側にはない。
「白水、何か脱出する手はあるか?」
「ありません」
葉枕の問いに、白水は即答した。
「『予知』のルートから外れてしまいました。あなたは私を裏切りましたね、葉枕さん」
「裏切ったのはどっちだ、嘘つきリリィ」
「その名で呼ぶことはやめてください」
白水は葉枕を睨んだ。
葉枕は白水の銀色の瞳を見つめ返す。
「でも、事実なんだろう。君は予知者じゃない」
白水は目を閉じ、長く息を吐いた。
「では、私を信じなくても構いません。すでに起きたことについて、考えて下さい」
「僕達は王族に捕まった。これから拷問されて殺される。君が偽物だったからだ」
「その前です」
白水は落ち着いた口調で言った。
「葉枕さんは私の『予知』の通り、王族に連れ去られそうになっていたメデューサを見つけたのでしょう。そのとき、あなたがメデューサにカエルを与えていたら、どうなっていましたか?」
「わからない。あのとき僕は、眼森にカエルを食べさせるなんて、考えもしなかったからな」
「嘘ですね」
白水は銀色の目で、じっと葉枕を見つめた。
「あなたは考えたはずです。メデューサにカエルを与えれば、彼女は本来の力を取り戻せると。そしてメデューサが涙童を殺し、私の予知通りになると」
葉枕は白水から目を反らした。
金庫に繋がれた手錠を恨めしそうに見つめる。
白水は力強い声で続けた。
「あなたは気づいていたはずです。私の予知を信じれば、眼森八百子を助けられたのです。しかし、あなたは私の存在を涙童に打ち明けるという、安易な手段に頼りました。あなたは、王族を敵に回す勇気が出なかったのです。私を裏切ったのです。違いますか?」
白水は責め立てるような口調になっていた。
葉枕は目を瞑り、下唇を噛んだ。
「……できるわけないだろ」
白水に目を合わせず呟いた。
「自分の好きな子に、カエルを食わせるなんて、できるわけないだろ……。そんなの、眼森が化け物だと、認めてるようなものじゃないか……! 僕の知ってる眼森がもういないって、認めてるようなものじゃないかっ……! 他の手段があるなら、他の手段を選ぶに決まってるだろ! 誰が自分の好きな子に、進んでカエルを食わせるんだよ!」
葉枕の唇からは血が滲んでいた。
白水はその表情を見つめた。
「……そうでしたか」
白水の長い睫が下へ向いた。
「葉枕さんの心情までは読めませんでした……。私が、葉枕さんに接触するのが早すぎたようです。葉枕さんは私と出会っていなければ、私の存在を涙童に伝えるという選択は、無かったはずです。『予知』通り、メデューサにカエルを与えていたはずです。このような窮地に陥ることもなかったでしょう」
「もうどうでもいい。全部終わったんだよ。僕達は殺されるしかない」
葉枕は低い声で呟いた。
白水は静かに告げる。
「ですが、私達はまだ生きています。葉枕さんの機転のおかげで、生き延びることができました。『予知』のレールからは外れましたが、生存の可能性はまだ残されています」
「そんなこと言ったって、もう打つ手はないだろ……最初にそう言ってたじゃないか」
「いいえ、あります」
葉枕は顔を上げ、白水を見つめた。
「あるのか? だって、僕達は手足すら動かせないんだぞ……?」
「葉枕さん、私を信じますか?」
白水は葉枕を見つめる。
「今度こそ、私を信じますか?」
「……信じるよ」
葉枕が呟くと、白水は銀色の目を見開いた。
「葉枕さん、本心で答えてください。あなたが私を心の底から信じない限り、二人ともここから出ることはできないのです」
葉枕の表情に戸惑いが浮かんだ。
「だって、仕方ないだろう……そう簡単には信じられない。君の話はどれも筋が通ってるし、君は未来を予知してるように見える。けど、涙童は君を『嘘つきリリィ』と呼んでいた。君が嘘をつくことに長けたミルフィーだとしたら、これまでの話は全部嘘かもしれない。何かのトリックがあって、未来を予知しているフリをしているだけかもしれない」
「信じないと言うことですか?」
葉枕は沈黙した。
白水はわずかに苛立った声で告げる。
「私に『予知』の力が無ければ、ここから出ることはできません」
「どういうことだ……?」
葉枕は顔を上げた。
白水は葉枕を見つめ返す。
「新たな予知を見たのです。数分後、この部屋に鍵番のミルフィーが訪れます。そのミルフィーと取引を行うことができれば、助かる可能性があります」
「そんなこと、できるわけないだろ。君の話が本当だったとしても、無理だ。敵の鍵番だぞ? 涙童が信頼してる奴だ。裏切るわけがない。そもそも、その作戦なら、僕が君を信じる必要なんてないじゃないか!」
「時間がないので簡潔にお伝えします。取引の道具は、あなたの『カエル』です」
「何だって……?」
「あなたのカエルは、人間と同じなのです」
「どういうことだよ!? 意味がわからないぞ」
「葉枕さん、あなたは純粋な人間ではありません。ミルフィーと折り重なって、カエルを生み出す力を得ています。『予知者』である私も、人間の『白水溜理』と折り重なっています。そして、眼森八百子はメデューサと折り重なっています」
「まさか……僕のカエルも?」
「はい。葉枕さんのカエルも、ミルフィーの世界の生き物と、折り重なっています」
白水はドアの方をチラリと伺うと、話すスピードを早めた。
「あなたのカエルは、こちらの世界では『カエル』ですが、ミルフィーの世界で捕食されていた『シフォン』という生き物と折り重なっています。そして『シフォン』は、私達ミルフィーにとって、地球が基盤となったこの世界では、もう二度と手に入らないエネルギー源のはずでした」
「つまり、僕のカエルは、ミルフィーの食べ物だってことか。だから僕のカエルで、眼森が力を得られるのか……」
「ええ、正確には、眼森八百子と折り重なったメデューサが、一時的に本来の力を取り戻すことができます。他にも、一部のミルフィーが同様に、力を得られます」
白水はドアの方を伺った。微かな物音や聞き取れない程度の話し声が漏れている。
「説明を急ぎましょう」
「もうわかった。僕のカエルを取引に使うんだろう。僕は君を信じるよ」
「ここからが本題です」
白水は語気を強めた。
「……まだ何かあるのか?」
葉枕が表情を曇らせる。
「はい。私の見た予知では、この部屋に、葉枕さんと鍵番のミルフィーの二人きりになっていました」
「白水はどこに行ったんだよ?」
「私は別室で、他の者から拷問を受けることになると思われます」
「なっ、なんだよそれ! 大丈夫なのか!?」
葉枕が叫んだ。
そのとき、ドアの外で、複数の足音が鳴った。音は徐々に大きくなる。
「葉枕さん。これから私達は一人ずつ拷問されると思われます。涙童は必ず自分の目で真相を確かめようとするはずですから、二人同時に拷問するなどという手抜きは考えられません」
「それで……?」
「交渉は私が成功させます。ミルフィーは人間より場数を踏んでいますから」
「でも、この部屋に残るのは僕なんだろ?」
葉枕は眉をひそめた。
足音はすぐ近くまで迫っている。
白水は息を吸うと、長い睫を上向けた。
「葉枕さん、あなたは自分が先に拷問を受けるように、涙童を誘導してください。そして、私が助けに行くまで、生き延びてください」




