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名前のない家族  作者: HANA


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第10話 名前なんてなくても

「ただいま」


玄関の扉を開けると、懐かしい匂いがした。

何年経っても変わらない、廊下の匂いと食堂から聞こえる子ども達の声。

どこかで職員さんが誰かを呼んでいる声。


「おかえりなさい」

奥から聞こえた声に、自然と笑みがこぼれた。

「園長先生」

「二人とも、久しぶりね」

園長先生は昔と変わらない笑顔で俺達を迎えてくれた。

「お久しぶりです」

俺が頭を下げると、隣にいる蓮も軽く頭を下げた。

「お久しぶりです」

「さぁ、上がって。今日はどうしたの?」

「報告があって」

「あら」

「俺達、就職決まりました」

園長先生の顔が、一瞬で明るくなった。

「本当に?」

「はい。俺は地元で」

「俺は向こうで」

「そう……」

園長先生は嬉しそうに笑ったけど、その目には少しだけ涙が浮かんでいた。

「二人とも、本当に大人になったのね」

「もう大学卒業しますからね」

「そうよね。でも私にとっては、あの頃の二人がまだ昨日のことみたい」

「あの頃?」

「蒼真くんは毎日泣いていたし」

「え」

「蓮くんは全然お話してくれなかったし」

「……」

「ちょ、蓮はともかく、俺そんなに泣いてました?」

「泣いてたわよ」

園長先生が笑う。

隣を見ると、蓮まで笑っていた。


「お前、泣き虫だったからな」

「お前まで言うなよ」

「事実だろ」

「今は泣かないし」

「どうだかな」

「何だよ」

いつものように言い合う俺達を見て、園長先生が声を上げて笑った。

その笑い声を聞いたら、何だか胸の奥が温かくなった。

     

「見ていく?」

園長先生に言われて、二階へ上がった。

十二年間暮らした部屋は、今は別の子ども達が使っているらしい。

だから中には入らず、廊下から扉だけを見る。

「……懐かしいな」

「あぁ」

「ここだったな」

「何が」

「俺達が初めて会ったの」

蓮が扉を優しく見つめていた。

「お前、めちゃくちゃ泣いてた」

「またそれ?」

「うるさかった」

「五歳だぞ? 仕方ないじゃん」


でもあの日のことは、今でも覚えている。

知らない場所、知らない大人、知らない子ども達。

ここが今日から家だと言われて、嫌だった。

帰りたかった。

お母さんが迎えに来ると思っていた。

だからあの日の俺は、知らなかった。

この扉の向こうで出会った無愛想な男の子が。

これから何年も俺の人生にいることになるなんて。


「蓮」

「ん」

「十二年もよく俺に付き合ったな」

「……何が」

「俺、うるさかっただろ」

「今もうるせぇよ」

「ひど。……でもさ」

俺も扉を見つめた。


「ありがとう」


隣から返事はなかったけど、別にいい。

蓮は昔からそうだから。

返事がなくても、言葉にしなくても、分かることがある。


「……お前も」

「え?」

「何でもねぇ」

「今なんか言ったじゃん」

「言ってねぇ」

「絶対言った!」

「うるせぇ」


変わらない。

何年経っても。

きっとこれからも。

     

帰る前に、園長先生と三人でお茶を飲んだ。

大学の話や就職先の話、昔の話。

俺の彼女の話までされて、蓮には散々からかわれた。

気付けば、外は夕方になっていた。

「そろそろ行きます」

「そう」

園長先生と一緒に玄関へ向かう。

靴を履く。

この場所で何千回も繰り返したこと。

「また帰ってきてね」

「もちろん」

俺が迷わず答えると、蓮も小さく頷く。

「じゃあ、行ってきます」

隣からも、声がした。

「……行ってきます」

「いってらっしゃい」


その言葉を背中に受けて、俺達は外へ出た。

     

夕焼けの中を、駅まで続く道を二人で歩いた。

何度も歩いた道の景色は何も変わっていなかった。


「なぁ、蓮」

「何だよ」

「俺達って何なんだろうな」

「は?」

「いや、何となく」

「急に何だよ」

「友達?」

「……まぁ」

「親友?」

「知らねぇ」

「兄弟?」

「違ぇだろ」

「だよなぁ。じゃあ何だろ? 」

「何でもいいだろ」

「気にならない?」

「ならねぇ」

「蓮らしいな」

ふと立ち止まって、俺は夕焼けを見上げた。

「名前、ないな」

「……何が」

「俺達の関係」


友達。

親友。

兄弟。

どれも間違ってはいない気がする。

でも、どれもしっくりこなかった。


「別に……名前なんてなくても、変わんねぇだろ」

「……蓮」

「何だよ」

「たまに良いこと言うよな」

「殺すぞ」

「褒めたのに!」

蓮の背中を笑いながら追いかけた。


昔からそうだった。

俺が歩けば、蓮も歩く。

蓮が立ち止まれば、俺も待つ。

でも今は、別々の道を歩くことも出来る。

違う場所で眠れて、違う人を好きになれる。

違う友達を作れる。

それでもまた会えば、こうして隣を歩ける。


家族になろうと約束したことは、一度もなかった。

血も繋がっていない。

兄弟でもない。

恋人でもない。

俺達の関係には、最後まで名前なんてなかった。


だけど五歳だったあの日。

知らない場所で泣いていた俺の隣に、蓮がいた。

次の朝もその次の朝も十二年後の朝も。

ずっと、いてくれた。

そして俺も人を信じられなかった蓮の隣に、ずっといた。

俺達は、お互いを救おうとしたわけじゃない。

家族になろうとしたわけでもない。

ただ気付けば、そこが一番安心できる場所になっていた。


俺はようやく分かった気がする。

愛には、きっと色んな形がある。

恋人を想う気持ち。

育ててくれた人達を想う気持ち。

友達を大切に思う気持ち。

そして名前を付けられない、この気持ちも。

全部、本物なんだ。


「蒼真」

「ん?」

「信号」

「あっ」

制服ではなく、今度はコートの袖を蓮に掴まれた。

「お前、何年経っても変わんねぇな」

「考え事してたんだよ!」

「前見て歩け」

「はーい」

笑いながら、青になるのを待つ。


やがて信号が変わると、二人で歩き出した。

これから先、俺達はそれぞれの人生を歩いていく。

新しい人と出会って、誰かを愛して、いつかまた新しい家族が出来るのかもしれない。

それでも俺の人生で最初に見つけた家族は。

きっと、ずっと変わらない。

名前なんてなくてもいい。

あの日から俺達はずっと———。


名前のない家族だった。


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