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僕の世界  作者: 0u0
第二章
27/27

第1話 余分な手

 車輪の音が、ずっと低いままだった。


 石畳いしだたみを離れてから、どれだけ歩いたのか、もう分からない。土の道は、ひづめと車輪の音を吸って、返さない。前を行く荷馬車にばしゃわだちが、二本、まっすぐ先へ伸びている。僕はその片方を、踏まないように歩いていた。


 隊は、止まらなかった。

 荷馬車が三台。先頭に一台、真ん中に一台、しんがりに一台。あいだを、運び手が歩く。前と後ろを固めているのは、剣とやりと弓の護衛だった。街道で何かが出れば、あの人たちの領分だ。御者ぎょしゃ手綱たづなを握ったまま、馬の足に歩調を預けている。上り坂でも、道が荒れても、車輪はひと呼吸だけ間を置いて、また回りだす。その拍子に、脚を合わせる。合わせてしまえば、あとは考えなくてよかった。


 肩の荷は、歩くうちに、背中の形へ馴染なじんでいった。荷紐にひもの位置を、一度だけ直す。それきりだった。


 朝、初めて顔を合わせたときから、この隊が、僕を値踏みしていることには気づいていた。


 紹介で回してもらっただけの、素性の知れない荷運びだ。荷を抜かれたことのある商会が、名前の分かる者しか使わないのは、そういう理由だ。ムンドさんの口利きがあっても、この六日で信用できるかどうかは、また別の話なのだろう。歩きながら、御者の一人が、ちらとこちらを振り返る。荷の縄が緩んでいないか、僕の手元を確かめるような目だった。


 だから僕は、荷から目を離さないようにした。隠すことでも、気負うことでもなく、ただ、任された荷だから。


「暑ィな、今日は」


 しんがりの荷馬車のそばで、誰かが言った。


「……秋口だぞ」

「秋口だろうが、歩きゃ暑い」


 それで、少し笑い声がした。僕も、つられて口の端が緩んだ。

 道の両側は、刈り取りの済んだ畑だった。ときどき、まだ穂の残る一角があって、風が通ると、乾いた音を立てる。遠くの低い丘は、朝からずっと、同じ距離にあるように見えた。歩いても、歩いても、近づかない。

 車輪が土を巻き上げて、細かいほこりが、口の中に薄く積もる。水袋に手をかけて、やめた。まだ、飲むには早い。舌で、乾いた唇を湿しめらせるだけにした。


 昼を少し回ったころ、道が湿った。


 前の晩に、この辺りだけ雨が降ったらしい。土が飴色あめいろにぬかるんで、真ん中の荷馬車の後輪が、ずぶりと沈んだ。馬が前へ引く。輪は、鳴くような音を立てて、その場で回った。


「押せ」


 かしらの声だった。四十絡よんじゅうがらみの、日に焼けた男。もう荷台のふちからりて、車輪の泥に手をかけている。理由も、段取りも言わない。ただ、押せ、と。


 僕は、真っ先に荷台の後ろへ回った。れた木の縁に、手をえる。隣に、運び手がもう一人ついた。御者ぎょしゃが舌を鳴らして馬を励ますのに合わせて、押す。

 肩と、ももの付け根に、力を込める。泥が、すねまで跳ねた。輪が一度、空回りして、それから、土をんだ。荷馬車が、ぬかるみを抜けていく。


「……ほう」


 隣にいた男が、泥を払いながら、短く言った。値踏みの目は、まだそこにあった。ただ、その色が、少しだけ変わった気もした。

「雨のあとは、これだ。先の道も、こうかもな」

「井戸のある村までは、乾いてるといいですね」

「……あんた、そういうのも聞いてんのか」


 男は、それだけ言って、また前を向いた。

 僕は、荷を背負い直した。列は、もう動きはじめている。


 日が傾くと、街道の脇に、馬車を寄せた。


 井戸のある村までは、まだ半日あるという。今夜は、野宿のじゅくだった。六日のうちの、一日目が終わろうとしていた。


 火を組むのに、僕は言われる前に、乾いた枝を集めに行った。石を組んでいたのは、昼間、荷の縄を確かめていた、あの目の御者だった。その隣にしゃがんで、風の来るほうへ、火の口を空ける。細い枝から順に組んでいくと、御者が、ちらとこちらを見た。

「……手際、いいな」

「昔、よく外で寝てたので」

 御者は、それきり何も言わなかった。組み上がったきつけに、別の運び手が指先で火を落として、火は、すぐに立った。


 荷を数える。塩の袋。干し肉の箱。麻の反物たんもの。朝と、同じ数だった。頭のほうを見ると、こちらを見もせずに、うなずきをひとつ寄越した。それで、済んだ。


 日が落ちると、気温が、思ったより早く下がった。昼のあいだ背中を焼いていた熱が、うそみたいに引いていく。火のそばにいないと、じきに寒くなりそうだった。


 飯は、隊が出した。黒パンと、干し肉を煮た汁。わんは、てのひらに温かい。

 口をつけると、塩気が、疲れた身体に、じんと染みた。ふと、デュランさんの声を思い出す。――沢の水を、そのまま飲むな。腹を下したら、六日の荷なんざ運べねえ。井戸のある村でめ、とも言っていた。水袋の口は、閉じたままにしておいた。


 夜の見張りは、交代だという。最初の番は、僕ではなかった。

 火のそばで、男たちの声が、途切れ途切れに流れてくる。仕事の話。宿場の女の話。値の下がった反物の話。そのあいだに、ひとつ、混じった。


「――先の村で、焼けたのが出たらしいぜ」


 誰の声かは、分からなかった。

「焼けた?」

「さあな。畑だか、小屋だか」


 それきり、話は別のほうへ流れていった。焼けたものが何なのかは、どうやら、誰も知らないようだった。


 僕は、椀の底を見ていた。

 朝、頭は言った。今回は、運び手を一人多く取った、と。理由は言わなかったし、僕も聞かなかった。荷馬車が三台に、運び手が四人。積んで下ろすだけなら、三人でも足りる数だった。護衛は、別についている。それでも頭は、運ぶ手を、ひとつ余分に取っていた。

 ――物騒なときは、手が一組でも、多いほうがいい。

 たぶん、そういうことだ。頭が、荷のために用心するのは、当然のことだった。

 ただ、椀の底で、汁が冷えていくのが、分かった。


 二日目からは、道が、少しずつ似てきた。


 朝、荷を数える。歩く。日が傾けば、火を組み、また、荷を数える。同じことの繰り返しが、少しずつ、足の裏に馴染んでいった。

 二日目の昼過ぎ、隊が、急に止まった。


 先頭にいた弓の護衛が、片手を挙げていた。声は、なかった。ただ、その手ひとつで、荷馬車が三台とも、順に止まった。

 僕は、荷馬車の脇に寄って、腰の剣に手を掛けた。何が見えたのかは、分からない。ただ、隊が止まったら、そうするものだ。

 弓の護衛は、道のずっと先を見ていた。畑の切れた先、丈の高い草のしげみが、風とは違う順で、揺れていた。

 護衛が、矢を一本つがえて、茂みのだいぶ手前の地面へ、射た。

 乾いた音がして、土が、小さく跳ねた。

 茂みの揺れが、止まった。それから、遠ざかるように、草の穂が、順にかしいで、戻った。

 護衛は、しばらくそのまま見ていた。やがて、挙げていた手を、前へ振った。車輪が、また回りはじめた。

「何だったんだ」

 運び手の誰かが、聞いた。

 弓の護衛は、答えなかった。矢筒に手をやって、数を確かめただけだった。

 僕は、剣から手を離して、荷を背負い直した。


 二日目の晩は、街道沿いの小さな村で、隊は宿を借りず、村外れの納屋なやを借りた。頭が、そのほうが安いと言った。わらにおいの中で、僕は、屋根の下で眠った。

 二日、一緒に歩いても、隊が僕に打ち解けた気配は、なかった。飯は分けてくれる。だが、それは仕事のうちだ。夜になれば、男たちは自分らだけで火を囲み、僕は少し外れたところで、荷にもたれて目を閉じた。

 目を閉じると、昼の、あの茂みの揺れが戻ってきた。頭が言った「一人多く」を、僕は、もう一度だけ思い出した。


 番が回ってきた、ある夜のことだった。

 火を落とすと、闇が、思ったより濃かった。虫の声も、風もない。ただ静かで、その静けさが、かえって落ち着かなかった。

 護衛のひとりが、槍を抱えたまま、街道の奥を見ていた。何かを警戒しているというより、長年の癖のようだった。

 結局、その夜も、何も起きなかった。ただ、あの焼けたという村が、この先のどこかにあると思うと、僕は、火のほうへまきを一本、足した。


 三日目の、夕暮れ近く。


 道が、細い川を渡るところだった。浅い瀬で、馬が脚を入れるのを、いやがった。先頭の一頭が、急に首を振り上げて、後ろへ跳ねる。

 水の中で、何かが動いたのかもしれない。蛇だったのか、光の加減だったのか、分からない。ただ、馬は耳を伏せて、荷ごと横へ振れた。荷台が、大きく傾く。


「おい――」

「押さえろ、綱を!」


 御者が手綱に体重をかける。運び手の一人が、馬の口へ手を伸ばして、はじかれた。馬は白目をいて、脚をく。荷台のふちが、水面すれすれまで沈んだ。


 僕は、荷を下ろしていた。


 いつ下ろしたのかは、覚えていない。気づくと、馬の首のほうへ回り込んでいた。走らず、正面にも立たず、斜め前から、ゆっくり。汗と、川のにおいがした。

 首の、汗ばんだ毛の上に、手を置く。押さえるのでも、でるのでもなく、置いた。もう片方の手で、たてがみの生え際を、軽く握る。馬の目が、僕を見た。

 低く、短く、のどの奥だけで音を出す。言葉ではなかった。


 馬が、一度、大きく鼻を鳴らした。

 それから、脚を、瀬の底へ下ろした。


 荷台が、ゆっくりと戻る。水が、車輪の下で跳ねた。


 しばらく、誰も、何も言わなかった。


「……おい」


 声をかけてきたのは、火のそばで手際を認めた、あの御者だった。

「あんた、何もんだ」

「昔、馬の世話をしていたので」

 僕は、そう答えた。

 御者は、しばらく僕を見ていた。それ以上は聞かなかったが、その目が、すぐにれることもなかった。


 頭が、少し離れたところで、縄の結び目に手をかけたまま、こちらを見ていた。目が合う。頭は、何も言わなかった。ただ、視線を、荷のほうへ戻しただけだった。


 僕は、下ろした荷を、拾いに戻った。


 その晩の火のそばで、また、あの話が出た。


「焼けたっていう村な。二つ先だとよ」

「畑火だろ。この時期、乾いてるからな」

「畑火が、家まで行くかよ」

「じゃあ何だ。付け火か」

「……さあな」


 誰も、続けなかった。火の粉が、短く昇って、消えた。

 畑火だと言う者と、そうじゃないと言う者がいて、どちらも、それ以上は知らなかった。知らないまま、荷は、その村のほうへ、まっすぐ進んでいる。

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