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節三 正門・覚醒の理

赤と青の理光が交錯し、空そのものが軋んでいた。地を這う理線が火花を散らし、城壁の影が歪み、風が音を失っている。そこはまるで、天地そのものが一局の盤面へと変貌したような戦場――玲秀王都・白領の正門。雫は剣を構え、玄凛と対峙する。

遠く、西門で無我の理脈が薄れていくのを感じ取った瞬間、胸の奥の“何か”が軋み、空気の流れさえも乱れた。


盤上に譬えるならば――いまは中盤。

攻防が激しく入れ替わる、「攻め合い」の真っ只中。

黒――雫が切り込み、白――玄凛が受ける。

両者の理が、棋石のようにぶつかり、弾け、地を削っていく。


玄凛の装束は青の紋章を抱きながら、覚醒とともに漆黒に染まりつつあった。その背からは黒炎の理が噴き上がり、空に裂け目を刻む。――まるで「地を割る一手」。かつて“耳赤の一手”で伝説の戦棋士が放った割り込みの如し。死地に打ち込むような無謀。だが、それは盤勢を覆すための静かな決断だった。玄凛の拳が放つ一撃一撃が、その「割り込み」の理を体現していた。

雫はその圧に耐えながら、剣を握り直す。

赤の理光が剣先に集まり、地脈が低く唸る。

「――行きます」

その声は澄んでいたが、内奥に微かな揺らぎを孕んでいた。

剣閃が走る。

赤の軌跡が閃光を描き、玄凛の黒衣を裂く。

即座に青の拳が応じ、理圧が空気を震わせる。

正門の地面が爆ぜ、瓦礫が宙を舞った。

理波が幾重にも重なり、互いの陣を呑み込んでいく。

それはまさしく、石と石の“攻め合い”――取られるか、取るか。呼吸ひとつで、盤面がひっくり返る危うい均衡。

――その光景を、少し離れた場所で寛蓮が見つめていた。黄金の袈裟が風に翻り、掌には淡い光が灯る。

「押されているな……」

低く呟く声に、焦燥が混じった。

「これ以上、劣勢が続けば――雫の理が暴走する」

祈りの声が、風に溶けていく。


戦場の中央で、雫の動きが変わった。

剣が風を裂き、炎を纏い、理を導く。

足下の地が鳴り、砂が舞い上がる。

雫は理風を纏い、稲妻のように間合いを詰めた。

赤い剣が空を裂き、斬撃が炎を巻き起こす。

その炎が竜のように渦をなし、玄凛を呑み込もうとする。

だが玄凛は、掌を一閃。

青の理が盾のように広がり、炎を押し返した。

二つの理が衝突し、爆風が天へと抜ける。

「お前は、何のために戦う?」

玄凛の声が、爆風の中から響いた。

「何をわかりきったことを。玲秀の非道から、蒼牙の民を守るために決まっています」

「そうではない」

玄凛の瞳が細まり、深く青く沈む。

「お前は、“なぜ”この場に立っている?」

雫の心に、一瞬の乱れ。

「なぜ……?」

胸の奥に、答えのない問いが落ちる。

玄凛は続けた。

「己の命の始まりを知らぬまま、理を振るう者は、いつか理に呑まれる」

「……あなたは何を言っているの?」

「答えられぬのなら、このままお前は蒼牙の“捨て石”で終わる。」

雫の手が震え、言葉が、理より鋭く心を貫く。


一瞬、剣が遅れた。

その隙を玄凛は逃さない。

拳が閃き、雫の肩を穿つ。

衝撃。理血が散り、赤い閃光が地を焦がした。

雫は後退し、息を荒げながら問い返した。

「……あなたの紋章は、どうして青なの?」

その声には、戦いよりも深い疑念が滲んでいた。

玄凛は微笑を浮かべる。

「何をおかしなことを。紺碧の玲秀、深紅の蒼牙――紋章は古より決まっておる」

その言葉に、雫の瞳が大きく揺れた。

(……深紅の蒼牙?)

それは自分たちの紋章の色。記憶の片隅に、深紅の紋章を掲げた玲秀兵の幻が浮かぶ。

(あのとき見た……あの紋章も、赤だった……)

玄凛が構えを変える。

「敵とは、己の記憶が決めるもの。そして――お前はまだ、“何を打っているのか”を知らぬ」


拳が放たれた。

赤と青が衝突し、空がひび割れる。

地脈が露出し、白領の空が裂ける。

寛蓮は祈りの構えを取りながら駆け出そうとした。――だが、前に立ちはだかる影。

「行かせません。」

楽廉だった。青白い紋章を背に、理槍を構える。

「あなたが動けば、この均衡は崩れる」

「その均衡こそ、雫を壊すのだ!」

寛蓮の声が震え、掌から金色の理弾が放たれる。

楽廉が槍を振り、理が交差する。二人の戦いが始まり、雫の元へ辿り着く道は閉ざされた。


その頃、玄凛の覚醒はさらに進んでいた。白衣が理を呑み込み、拳の軌跡が残光を描く。彼の動きはもはや人ではなく、ことわりを統べる「法則」そのものと化していた。

玄凛が指先をわずかに動かす。ただそれだけで、雫の放った烈火のごとき攻め手が、まるで最初から存在しなかったかのように霧散する。

攻めれば吸い込まれ、守れば押し潰される。 雫がどれほど鋭い刃で切り込んでも、玄凛は一歩も動かない。いや、動く必要すらないのだ。


彼が打つ一手は、派手な破壊ではない。

相手の呼吸を支配し、指先一つで敵に「自滅」を選ばせる――絶対的な王の振る舞い。

「……これが、“覚醒者の定石”……!」

見る者は戦慄した。 彼が立っているのは戦場ではない。彼だけが、遥か高みから盤上という名の“下界”を見下ろし、慈悲なき秩序を与えている。

その圧倒的な「格」の違いが、雫の心を、そして戦場全ての兵の戦意を、静かに、しかし確実に削り取っていった。


雫は剣を構え直し、呼吸を整える。

理の衝突が続く。

黒の剣が閃光を描き、青の拳がそれを受け止める。

「……押し切れない!」

雫の胸の奥で、何かが軋む。

玄凛の拳が、まるで“劫”のように彼女の理を絡め取り、離さない。

玄凛の紺碧の紋章が、雫の目に映る。

その瞬間――雫の動きが、止まった。

玄凛の拳が、紅の光を裂いて迫る。

そのとき、曇天の空から閃光が走った。

寛蓮の祈りが共鳴したかのように、空から一条の白光が降り、その光が、戦場を裂いた。


「……間に合った……よな?」

低く、静かな声。

光の中から現れたのは、白装束の男――嵩陽。その剣は純白の理を纏い、玄凛の拳を受け止めた。

赤、青、白――三色の光が交錯し、空気が震える。

「嵩陽……なの?」

雫の瞳が見開かれる。

「すこし遅れたが、まだ布石は崩せる」

淡々とした声。玄凛の眉がわずかに動いた。

嵩陽は短く息を吐き、言葉を続ける。

「里の演武会で、お前に負けてな。焔煌で修行していた。」

「蒼牙四十周年の式典でも、お前を見ていた。……あの仮面の男の隣でな。」

玄凛の目が嵩陽に定まり、理の揺らぎが走る。

嵩陽の剣が閃き、玄凛の拳とぶつかる。

凄烈な音が響き、理光が爆ぜた。

その瞬間、盤面に“劫”が生まれた。

どちらも引けば敗れる一手――永劫の拮抗。

理が乱れ、風が逆巻く。

嵩陽は雫に目で合図を送った。

「ここから先は、再び、お前自身の手で打て。俺は寛蓮のじいさんを助けに行く」

「じぃさまが、この戦場に!?」

「話は後だ。俺と再戦する前に、誰にも負けるなよ!」

そう言い残し、嵩陽は風に消えた。


雫は剣を握り直す。

刃先に赤い光が宿る。

玄凛の拳が再び構えられる。

「――お前は、誰のために戦う?」

その声が、雫の心を刺す。

理が震え、記憶の断片が脳裏を駆け抜ける。

遠い声。青い空。笑う誰かの顔。

――私は……何のために。

唇を噛み、雫は答えを絞り出す。

「理を壊してでも、真実を掴む!」

赤い剣が空を裂き、青の拳が迎え撃つ。

“劫”は永劫となり、戦局は決着を拒む。


そして――雫の胸の奥で、何かが囁いた。それは恐れでも怒りでもない、“懐かしさ”だった。

玄凛の瞳にも、一瞬だけ柔らかな色が灯る。そして、低く呟いた。

「――お前はまだ、“何を打っているのか”を知らぬ」

轟音。閃光。理が崩れ、空が裂ける。戦いは続く。その一手が盤を終わらせるのか、あるいは――新たな理を刻むのか、まだ誰にも判らなかった。




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