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節二 西門・白き焔と守護の槍

王都・白領の西門。

風は荒れていた。空気は理を帯び、見えぬ稲妻が地表を這っている。夜明けを前に、戦の気配は既に空を焦がしていた。西方より進軍するのは、蒼牙戦理院・第二陣。その先頭に立つのは、白装束を纏った戦棋士――無我。

無機質だった瞳は、いまは紅く滲み、理光のきらめきを映している。風に翻る黒旗の紋が、朝靄の中に滲んだ。

「西門、視界不良。理障壁、三重層構造」

「正門の交戦に合わせ、玲秀の防陣が中央へ偏っています」

副官から声が上がる。

「今が“割り打ち”の刻だ」

ハン・リンの声が静かに響いた。

彼は無我の背後に立ち、手に持つ理具《算盤機関》の表層を光らせた。黄金の符文が連鎖し、敵陣の理流を解析していく。


玲秀都の西門――その名を「玄封門げんぷうもん」という。正門・天嶺門の“光”に対し、西門は“影”の防壁。理の流れを受け止め、外部からの攻撃を吸収する構造を持つ。

「ハン・リン技師、後方での指揮を」

蒼牙兵のひとりが叫ぶ。

「私は“技師”ではなく、今は、“軍師”としてここにいる」

その声音には、静かな決意とわずかな哀しみが混じっていた。彼は理を生み出す者であり、その理を兵器として使うことに協力してきた。しかし無我に関しては、謀反を起こしている。それゆえ、その理の果てを、この目で見届けねばならない。

「理を造る者は、理の終焉を見届けねばならない――」

その声には、科学者としての義務と、父親としての懺悔が混じっていた。

無我は振り返らない。ただ、風の中に、かすかに声を放った。

「……聞こえる。誰かの声が」

それは風か、記憶か……

(……選べ……)

その声は、どこか遠い記憶の底から響いていた。

幼き日の夢か、あるいは雫の笑顔の残響か。だが、今の無我の瞳に、感情の光はない。理の命令のみが、彼女を動かしている。

次の瞬間、轟音。玲秀軍の防陣から、蒼光弾が放たれた。無我は片手を振る。空間がねじれ、弾丸が霧散する。まるで戦棋の“サバキ”のように、捨てることなく受け流す。理を理で殺さず、流して受ける。

「中央を空けてくるか……包囲を恐れぬ布陣」

ハン・リンが呟く。

算盤機関の符文が光り、敵陣の理線が可視化された。

「――ここですね、“劫”の一点」

正門では雫が玄凛を引きつけている。その間に、手薄な西門を突き、喉元を狙う。

ハン・リンの指が空を走る。

「――三々の始まりです」

無我が踏み込む。理が爆ぜ、地が裂けた。

玲秀の兵が吹き飛び、理装甲が砕け散る。無我の背の神棋《千手/改》が白光を放ち、無数の分腕が地を薙ぎ払う。理の奔流が押し寄せ、門前の地形そのものが変形していく。


「押し通れ――!」

蒼牙兵たちが続く。

無我の戦気は波となり、彼らの戦気に呼応する。空を走る理線が絡み合い、まるで巨大な布石のように陣形を形作った。それは戦棋の大局そのもの――無我の進軍が“黒”の意志なら、玲秀の防衛は“白”の抵抗。

だが、ハン・リンは眉をひそめる。無我が任務を遂行するにつれ、戦気を放つたび、彼女の内側に何かが増幅していく。無我の理波が乱れて、紅の輝きが増し、周囲の理流を歪め始めていた。

(……まずい。理核に内部干渉が起き始めている)

無我の戦盤に埋め込まれた“反理水晶”が赤く光る。遠隔の制御信号か?――いや、玲秀側の理が“無我の理波”と干渉している。無我の瞳が完全に紅に染まり、声が消える。

(……選べ……)

理波の共鳴が限界を超え、空気が焦げた。その光景に、ハン・リンは叫ぶ。

「やめなさい、無我……!これ以上の出力は危険です!」

だが、無我には届かない。蒼牙の“洗脳波”が優先されている。理核は紅に染まり、無我の内側から出る理波と“洗脳波”が脳を侵す。無我は言葉を発しないが、瞳の奥で――微かな悲しみのような光が揺れた。

ハン・リンは自らの理脈を解放した。腕に黄金の符文が浮かび、理力が渦を巻く。彼もまた、“武力転換者”だった。


理風が走り、彼女の長髪が宙を舞う。

掌から放たれた理光が、無我の前に防壁を展開する。

「あなたは、壊れるために造られたのではない!」

ハン・リンは震える手で、無我の神棋《千手/改》の理回路に触れた。自らの理波をそこへ流し込み、干渉を逆転させる。反理水晶が反応し、無我の戦気の出力を抑えた。

「制御値……安定。――出力、低下中」

彼女は息を荒げた。戦闘力が大幅に減衰する。

しかし、無我は足を止めない。被弾し、傷つきながらも、まっすぐに前へと歩を進める。まるで棋盤の一点に、最後の一石を打ち込むかのように。

その姿に、ハン・リンは息を呑む――

理障壁が鳴動する。白領西門――玄封門がゆっくりと開いた。その奥から、玲秀軍の副将・楽廉が姿を現す。青旗を翻し、金の槍を肩に担いでいた。

「おいおい……私の相手は、“白焔の戦棋士”ですか」

楽廉が薄く笑う。

「玄将も、なんとも人遣いが荒いことだ」

ハン・リンが小声で呟く。

「まずい……防御陣形を」

だが、無我はもう動いていた。二人の間の距離が、わずかに揺れる。

次の瞬間、理光が炸裂。槍と刃が交錯し、白と蒼の閃光が空を裂いた。

楽廉は俊敏だ。無我の斬撃を紙一重でかわし、理槍を地に叩きつける。青の理波が地表を走り、無我の脚をすくう。無我は空中で一回転し、神棋の補助腕で着地し、うっすらと笑みをこぼす。その動きは正確で、美しかった――だが、どこか“人間的”でもあった。

「……笑ったな。随分余裕じゃないですか……」

楽廉が息を漏らす。

「人形が笑うとは、風変わりな奴だ」

無我は応えない。だが、その表情には確かに微笑があった。それは、かつて雫のもとで見せた、わずかな優しさの残滓。

理の衝突は、もはや音ではなく衝撃だった。空気そのものが盤面のように軋み、石畳が目に見えぬ筋を描く。その中心に立つ無我は、まるで盤上の天元に立つ“白き焔”だった。

「来るか……!」

楽廉が身を沈め、槍を地に突き立てた瞬間、刹那、彼女はすでに懐にいた。理の線を踏み越え、空間を“跳び越える”。白光が閃き、神棋《千手/改》の分腕。十数の白腕が雷撃のように走った。だが楽廉は紙一重で跳躍し、理波を逆流させた。

「――“反転の理槍”!」

槍先から青光が奔り、理流の方向を逆相にする。

楽廉が槍を交差させ、防御の理層を張る。しかし無我の一撃が触れた瞬間、それは音もなく分解された。

「……理層が、崩壊した……!?」

(無我の理波が、理そのものを“無効化”している!)

楽廉の眉が動く。彼はさらに間合いを詰め、槍を突き出す。

無我は防御を取らず、そのまま前進した。

刃と槍が交差し、理光の粒子が弾ける。

楽廉は槍を横に払う。

必殺のタイミング。

だが、無我の反応は不可解だった。 彼女は防御も反撃もせず、唐突にその場にしゃがみ込んだ。“定石の外”――読めぬ手筋。

「――なっ!?」

槍の刃が、無我の頭上数ミリを通過し、彼女の白髪を数本切り落とす。

完全な隙だらけの姿勢。楽廉が追撃を加えようとした瞬間、無我は地面の何かを両手で覆い隠すように守りながら、空いた右手の分腕だけで楽廉を吹き飛ばした。

一瞬、彼女の表情が揺れた。

ドォォン! 衝撃波に弾かれ、楽廉が石畳を転がる。

「ぐぅ……っ! 貴様、今、何を……?」

楽廉は信じられないものを見た。

無我がゆっくりと立ち上がったその足元。焼け焦げた石畳の隙間に、一輪だけ、小さな名もなき白い花が咲いていた。 先ほどの攻防で、楽廉の足がそれを踏み潰そうとしていたのだ。

無我は、泥にまみれたその花を無表情に見下ろし、それから楽廉へと視線を戻した。 その瞳には、殺気も怒りもない。ただ、純粋な「困惑」だけがあった。

「危ない。」

無我は、鈴の鳴るような声で言った。

「ここは踏んではいけない。」

楽廉の背筋に、冷たい汗が伝う。

(……これは、狂気なのか。それとも――)

周囲には、無我の手によって倒された兵士たちが伏している。彼女は数秒前まで、人の命を軽々と消し去っていた。 だというのに、足元の雑草一輪を踏むことだけは、「道理に反する」として許さないと言うのか。

「命を奪いながら、花は守るか……。それがお前の理か!」

楽廉の叫びに、無我は小首をかしげる。

「花は、理の通りに咲いている。でも、あなたたちは理を乱すノイズ。」

だから消去する。 そう言わんばかりに、彼女の背の神棋《千手》が鎌首をもたげた。

無垢ゆえの残酷さ。

善悪の彼岸に立つ、純白の怪物。 楽廉は初めて、眼前の少女に「底知れぬ恐怖」を覚えた。

無我は静かに右手を上げた。掌の紋章が輝き、空間に棋譜のような軌跡が浮かび上がる。空を覆う光の軌跡が、玲秀軍の理線を分断し、敵の陣形を“盤上の敗勢”に変える。

「定石を崩すか……ならば、俺も“変則”で行こう」

楽廉の瞳が光る。

槍を反転させ、刃の根を押し込むように突く。

同時に、理槍の柄が青白い紋を描き、時間差の“二重理槍”が展開された。

背後から飛ぶ衝撃波。

だが、無我は振り返らずにそれを斬り裂いた。

神棋《千手》の分腕が自動で受け止め、理波を吸収して霧散させる。

「……完璧だ。いや、“完璧すぎる”」

ハン・リンの眼鏡に符文の光が走る。

(自己防衛演算が、許容値を超えて拡張している。理核が独自に“学習”を始めている……!)

「戦を、戦棋を……楽しんでいるのか?」

楽廉が呟く。

彼女は答えず、ただ一手、虚空に指を走らせた。

無我の姿が掻き消える。

次の瞬間、彼女は上空にいた。

「――理跳リスキップ!」

高空から白光が垂直に落ちる。

楽廉が防御姿勢を取るが、槍ごと吹き飛ばされた。その光景は破壊ではなく、まるで浄化だった。


地面が抉れ、理光が渦を巻く。

その中心に立つ彼女の瞳が、紅に染まる。

呼吸のたび、理波が震え、空気が歪む。

楽廉が地を蹴る。

槍に青光が走り、円弧を描く。

その軌跡が空間を裂くが、無我は一歩も動かない。


「読める」

その一言とともに、無我の分腕が動く。まるで未来の手を打つように、攻撃の“着地点”に先回りして受け流す。理流が反転し、楽廉自身の槍を押し返した。

「――ぐっ!」

衝撃波が走り、楽廉の体が後方へ吹き飛ぶ。

槍の理紋が乱れ、光が断続的に途切れる。

無我はその姿を見つめ、微かに瞳を細めた。

「あなたの理は、美しい。けれど……脆い。」

その声は静かで、まるで人間らしい。


無我の瞳は、もう“紅”に染まり切っていた。理核が過剰反応を起こし、紅光が身体の内部から滲み出す。

神棋《千手/改》の分腕が暴走的に展開し、空間全体を包み込んだ。洗脳波が強制的に増幅され、理核が暴走する。

「無我!」

ハン・リンの叫びが響くが、彼女の意識はもう遠い。彼女の唇が、誰かの名を掠めるように動いた。

(……シ・ズ・ク……?)

無我の身体が痙攣し、理子が乱舞する。自我?と理が激しくぶつかり合い、演算がショートする。

「くっ……精神層が崩壊していく!」

ハン・リンは咄嗟に理術陣を展開。

黄金の結界が無我の体を包み、外部からの信号を遮断し、無我の動きが止まる。

楽廉は、それを見逃さなかった。

彼の槍が容赦なくそれを貫いた。

「悪く思わないでください。私にも大義があります。」

青光が走り、無我の体から赤い血が流れ落ちる。

地に伏す彼女の手が震え、理の火花が弾ける。

意識が――途切れた。

ハン・リンは咆哮するように駆け寄り、無我の体を抱きかかえ、理波を最大出力で放ち、煙幕を形成する。

「一旦引きます――!」

蒼牙兵たちが動き、ハン・リンと無我を囲む。理障壁が一瞬だけ緩んだ隙を突き、彼は、無我を連れて後方へと退いた。

残された戦場に、楽廉が立ち尽くし、槍先の蒼光が、ゆっくりと消える。

「急所を外したか……」

「いや、急所を付けなかったといった方が正しいですか……」

その呟きは、風に紛れて消えた。

彼の背後で、玄封門が再び閉じる。

理脈が沈黙し、白領の空に静寂が戻る。


ハン・リンの胸には、確かな確信があった。無我は――もう“ただの兵器”ではない。その瞳の奥に、一瞬でも“想い”があったのだから。

科学者としての理性は、その現象を“錯覚”と断じたが、人としての心は、それを希望と呼んだ。

(いつかお前の理が、自身を形成する。それは盤上の民としてか、それとも蒼牙の兵としてか――)

彼の掌の中で、無我の胸の紅紋が、かすかに明滅していた。



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