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節三 白曜の転移

戦場は、蒼い炎に包まれていた。風が焼け、砂が光を弾き返し、空さえも金属のように軋んでいる。玲秀の兵が築いた陣形を、蒼牙の戦棋士たちが次々と打ち砕いていた。

その最前線に、玄凛の姿があった。彼の戦気は、理を肉体へ転換する“武力転換型”。

戦盤を媒介に発動すると、全身の神経が灼けるように熱し、筋肉が鋼のように硬質化する。

右手に握る刃が淡く光を帯び、石を打つかのように敵を切り裂いていく。一太刀ごとに空気が震え、視界が歪み、敵兵が沈黙して倒れた。その戦いぶりは、もはや鬼人と化していた。

後方の塹壕からその戦いを見ていた老兵が、呟いた。

「……まるで昔の寛蓮を見ているようだな」

「寛蓮?」若い兵が問う。

「蒼牙が玲秀から独立して間もない頃、戦気で国境を守った男だ。鬼のように冷たく、誰よりも強かった」

老兵の声には、かすかな畏れが混じっていた。

「寛蓮は“戦は計算だ”と信じた。理だけを拠り所にして、敵の全手を読み尽くした。 だが……玲秀王・秀廉の“月影の布陣”に敗れた。あの夜、寛蓮は負けを理解できぬまま、炎の中で消えた。」

老兵は煙草に火をつけ、震える指で煙を吐いた。

「……あの寛蓮も最後は……理に縛られ、己の理を見失った」

老兵の言葉を、玄凛は雑音のように聞き流した。だが、心の底で一瞬、盤に石を置くような音がした気がした。そして、風が唸りを上げた瞬間、玄凛は敵陣中央へ向けて、蒼炎を纏った矢を数百本放つ。

炎が夜空を裂き、玲秀の陣形が崩壊した。彼はそれでも手を緩めず、ただ勝利の戦盤を見つめていた。

戦闘が終わるころ、彼の刃は氷のように冷たくなっていた。勝利を告げる報告を聞いても、胸の内は空洞のまま。その深い闇の底で、微かな声が囁いた。

――「あなたの石は、冷たいのね。」

あの少女の言葉が、幻聴のように甦る。玄凛は無意識に右手を握りしめた。刃が軋む音が、心の奥に響いた。


一方、戦局が、一進一退を続けている戦場もあった。

蒼牙の科学と軍事は優勢でありながら、詰め切れない。戦線は決して均衡を崩さない。どれほど兵を投入しても、玲秀軍は必ず応手を返してくる。

その盤面を統べるのは――玲秀王の娘。彼女はまだ十代半ばの少女でありながら、戦場の空気そのものを読むように指揮をとっていた。彼女の戦気は、自然を操る戦気。

戦場の地形、風の流れ、兵の動きをすべて“棋譜”として把握する。丘陵に置く石一つが、実際の布陣に転写され、数万の兵がその“手”の延長として動いた。

そして彼女自らは、敵を殺める棋譜を使わない。専守防衛、敵を退ぞける棋譜。

勝つことよりも、守ることに理を見出す。

――その姿勢が、蒼牙の者たちには理解できなかった。それだけに彼女の棋譜は、難攻不落の棋譜となる。

彼女の前では、敵の策謀も読み通しの中にある。ある夜、蒼牙の斥候隊が夜襲を仕掛けたとき、すでに迎撃の棋譜は敷かれていた。迎撃の火線が夜空を裂き、兵たちは逃げ場を失う。

玲秀王の娘は、冷ややかに盤上の一手を打ち、「終」と刻まれた棋石を静かに置いた。

その瞬間、彼女の軍勢は動きを止め、逃げ惑う蒼牙の軍勢を尻目に一斉に反転した。まるで盤上の意思が、現実を支配しているかのようだった。

その知略と静謐な眼差しが、蒼牙の将たちに一層の恐怖を抱かせた。

彼女の存在は“人の理を超える“封じ手”の戦棋士”――そう呼ばれている。


蒼牙の中央部では、戦局の報告を受けて議論が続いていた。勝利を積み重ねながらも、決定的な一手が打てない。原因は明白だった。玲秀王の娘の存在。戦略の要である“封じ手の戦棋士”を倒さぬ限り、この戦は終わらない。

蒼牙の中央は、ある一つの決断を下す。

「玲秀の娘を、過去で消す」

(白曜石を使い、過去に行き、玲秀の娘の幼少期“棋力の幼い”ときに抹殺する)


ハン・リンは、玄凛を呼んだ。その瞳は、いつもより深く、底に影を宿していた。

兵棋計画の最優秀個体、任務遂行率100%。彼に与えられた使命はただ一つ。

「お前に命じる。白曜石を通じ、過去へ行け。玲秀王の娘がまだ棋力を持たぬ時に──抹殺せよ」

「白曜石……?」

白曜石――かつて蒼牙が玲秀から独立する際に混乱に乗じて持ち出した玲秀の宝玉。黒曜石共々持ち出す手はずだったが、それは、玲秀の戦棋士によって、阻まれた。

黒曜石が“過去へ還る”なら、白曜石は“過去や未来へ転移する”。

長年、“過去や未来を映す鏡”とされてきたが、用い方は不明であった。

それは“人の時間を映す鏡”とも呼ばれ、覗き込む者の記憶を媒介に、過去と未来を揺らす石。

しかしハン・リンが古文書から玲秀の秘宝「白曜石」の記録を発掘し、ついに解読。

今では、兵棋計画の中核に据えられ、使用する機会をうかがっていた。

転移できるのは人一人。玄凛は過去の玲秀に送り込まれ、“少女の才”が芽吹く前に断つよう命じられる。

「育つ前に敗者を消す。それも、戦の理。それで蒼牙の勝利は磐石となる。」

ハン・リンの言葉に玄凛はうなずいた。だが、その胸の奥で、あの敗北の盤面がよみがえる。

玲秀王の娘の微笑み。あの柔らかな一手の音。自分が理解できなかった“理の外”の世界。

(なぜか、あの一局が忘れられない……)


転移までの数日、研究区画は異様な静けさに包まれていた。

白曜石のエネルギー調整が進む中、玄凛は先の戦いで負傷した体を修繕するため、戦棋医療区画に向かっていた。

行く途中の通路で見知らぬ幼女とすれ違った。白衣を着た研究官に連れられ、透明な容器を抱えて歩いている。

幼女の瞳は澄んでいて、どこか懐かしい光を宿していた。すれ違いざま、少女が微かに微笑んだ。

「アナタの……ツメタイ……」

その言葉に玄凛は足を止めた。振り返るが、少女の姿はもう見えなかった。


白曜石の起動準備が整った。

【転移先 天紀暦五一〇年 幼女五歳時】

巨大な円環装置の中心で、玄凛の手に持つ白曜石が、蒼い光を放つ。研究員たちは一斉にモニターを操作し、膨大なエネルギーを制御した。

光は空間をねじ曲げ、風も音も存在を失っていく。その中央に立つ玄凛は、胸に冷たい機械の端子を取り付けられ、神経が軋む。その光の中で、玄凛は静かに目を閉じる。脳裏に浮かんだのは、あの少女の微笑み。

「あなたの石はツメタイのね」――あの声。

戦うために生まれ、勝つために生きてきた中で、あの一局だけは忘れられない。


ハン・リンの声が響く。

「玄凛、お前は“鬼手”を超えろ。理を見よ。そして、その理を携えて、戻ってこい。それが、蒼牙の勝利を導くことになる。」

光が爆ぜた。時空が裂け、白曜石が唸りを上げる。空気が焼け、視界が蒼に染まった。

その瞬間、白曜石の表面が悲鳴のように軋み、欠けた。ひび割れた一片がハン・リンの足元に落ちた。

最後に見たのは、玲秀王の娘のあの微笑。そして、盤の上に落ちる白い石の音だった。

計画文書と未来図が刻まれた書、それと白曜石を手に、玄凛は時の狭間へと足を踏み入れる。その胸中には、あの時の敗北の記憶が冷たく沈んでいた。

──玄凛の身体は、光の奔流の中へと吸い込まれ、蒼牙の研究員たちは無言のまま、記録装置を止めた。


玄凛が過去へ旅立った翌日。ハン・リンは第零区の別区画にある、一つの生成カプセルの前に立っていた。そのカプセルの中には、幼い少女が、眠るように膝を抱きかかえ横たわっている。

ハン・リンは静かに呟いた。

「鬼手を超えるには、理なき理が要る。思考すら持たぬ“器”――それが、未来を導く」



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