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節二 理による洗脳

蒼牙戦理院──青の盤塔の朝は、鐘の音で始まる。その音は冷たい金属のように塔中を震わせ、眠る理を刺激する。雫は白衣の生徒たちの列に加わり、理演の間へと向かっていた。

整然と並ぶ机、壁には各国の戦棋譜。寛蓮の庵とは正反対の世界。すべてが規則で動き、すべてが「理」の名のもとに統制されていた。

「かつて、我ら蒼牙は“玲秀”の一部であった。玲秀は理を極め、やがて世の理そのものを支配しようとした。だが、その野望は人を“理の奴隷”と化した。我ら蒼牙の祖は、それに異を唱え、反旗を翻した。理に支配されぬ理──それこそが蒼牙の誇りである。」

教官の声が理演の間に響く。

「大戦を経て、我らは独立を成した。玲秀は今尚、理を私欲に使い、隣国を侵そうとしている。ゆえに、蒼牙の理は清浄でなければならぬ。」

院生たちは一斉に頷いた。だが雫だけは、黒板に描かれた古戦図を見つめたまま動かなかった。

(玲秀……どこかで聞いたような懐かしい響き……胸の奥が疼いた。まるで心の奥に眠る誰かの名を呼ばれたように。)

胸の奥に、かすかな痛みが生まれた。


午後。実技訓練が始まる。雫たちは塔の中庭に集められた。中心には水晶柱が立っており、そこから淡い光が放たれている。

教官が説明する。

「これは“理晶水りしょうすい”──気の流れを可視化する晶体だ。内部の液体は理流を感知し、共鳴すれば色を変える。自らの気の質を見極める、いわば理の鏡と思え。」

生徒たちは次々と手をかざしていく。水晶の色がそれぞれの理を映し出す。

青──静水の理。赤──焔理。白──剣気。

雫の番が来た。彼女がそっと手を伸ばすと、水晶がわずかに震え、淡い翠色の光が広がった。

教官の眉がぴくりと動く。

「……流動理。自然と共鳴する希少な質だ。」

隣の院生が囁く。

「風の理か……すげえな。」

雫は小さく首を傾ける

(風なんて、触れられないのに……)


次の課題は理の循環訓練──“外転”である。

「まず、盤を使わず、自身の体だけで理を巡らせ。」

号令がかかり、院生たちは静かに目を閉じた。

雫も深呼吸し、胸に意識を沈めた。そこに微かな光が生まれる。筋肉が硬直し、瞳が光り、棋力が戦気に変わり血脈に巡る。体の奥から熱が湧き上がり、指先にまで理が通う感覚。

ほとんどの院生は、わずかに肉体が強化される程度にとどまった。拳を握り、跳躍し、わずかに風を切る音を立てる。しかし、雫だけは様相が違っていた。

周囲の空気がわずかに震え、髪がふわりと浮かぶ。その掌から、かすかな風の渦が生まれた。砂が舞い、草が揺れる。


「次は、戦盤せんばんを介して“外転”を行う。」

教官の指示に従い、院生たちは支給された小箱を開く。中には掌大の蒼鋼製の盤──汎用小型戦盤が入っていた。

「戦盤は理流を人工的に増幅させる理具だ。効率的な武力転換を可能にするが、過負荷は禁物。心身の均衡を欠けば、理は暴走し、己を喰う。」

雫は慎重に盤を手に取った。ひんやりとした蒼鋼の感触。それがまるで、何かの鼓動のように震えている。

「始め!」

院生たちが一斉に盤に手をかざす。

淡い光が教場を満たす。それぞれの体から力が滲み出る──筋肉が盛り上がり、腕に光の紋が浮かび上がる。肉体を理で強化する、蒼牙式の「理武転換」。

だが、雫の盤だけが異様な反応を示した。周囲の空気が鳴り、風が走る。盤の文様がまるで呼吸するように光り、理の流れが加速していく。雫の胸奥で、風の気配が膨張する。盤が呼吸するように脈打ち、彼女の鼓動と拍を合わせて速くなる。

「ま、待て雫! 出力を抑えろ!」

教官の声が飛ぶ。だが、遅かった。

突風が走り、他の院生たちが倒れる。光が弾け、風が竜巻のように渦を巻く。結界符が放たれた。光の檻が形成された。雫の視界が白く染まり、音が遠のく。

身体が浮き、自分の中の“理”が薄まっていく。──そして、闇。


観測室。ガラスの向こうで、雫が眠っている。教官と研究官たちが記録を取りながら、囁き合った。

「……自然理反応。共鳴型の武力転換か。」

「外界の気象と同調している。こんな現象は記録にない。」

「いや、玲秀では、時折そういった型が現れると記録にある。」

観測官の一人が目を細めた。

「玲秀の血か……? いや、この子は蒼牙の生まれと登録されている。」

「どちらにせよ、これで玲秀の理の解析・徴収ができる。……あの子の理は、蒼牙の理を進化させる糧になる。」

その言葉と共に、記録水晶が淡く光り、雫の名が刻まれた。


その夜。雫は部屋の窓辺で、月を見上げていた。塔の壁が風に鳴り、遠くの鐘が三度響く。手の中には、あの黒曜の宝玉。淡い光を放ち、彼女の鼓動に合わせてかすかに脈動している。

その光を見つめていると、ふと視界が滲んだ。月の輪郭が歪み、闇が広がる。

──気づけば、見知らぬ光景の中にいた。


燃え上がる村。

炎が夜を呑み込み、空は朱に染まっていた。

焦げた木と血の匂いが、熱気とともに皮膚を刺す。

人々の叫びが、理石の砕ける音にかき消される。

家々が崩れ、瓦の雨が降り注ぐ。

その屋根の上で、白い衣の戦棋士たちが無言で戦っていた。

白衣の胸元には、異国の紋章。彼らの放つ戦気は、炎よりも冷たく、空気を震わせる。


光景が弾け、現実に引き戻された。額には汗がにじみ、息が荒い。月の光が、再び穏やかに揺れていた。

「……あれは……玲秀の戦棋士?」

雫は自らの胸に手を当てた。痛みとも熱ともつかぬものが、胸奥を走る。

黒曜石を握りしめると、石はわずかに光り、まるで応えるように温もりを返した。月の沈黙のように冷たい夜だった。


塔の下階では、研究官たちの記録が続いていた。

「被験体・雫。戦盤外転実験にて特異反応を確認。

 戦気転換効率:70%。精神耐久値:不明。暴走抑止に自己制御の兆候あり。」

「外部刺激に対して幻視反応。」

記録水晶の上に、ひとつの追記が刻まれた。

──【玲秀の理の再現の兆し】。


塔の外では風が鳴り、月が昇る。蒼牙の都の上空に、蒼く光る薄雲が広がっていた。

それはまるで、遠い未来からの呼び声のようであった。

──そして、その呼び声に応じる者が、玲秀の地より歩みを始めていた。



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