第52話『月曜日/月読 ④-2』
月読さんは映画をほとんど観た事がないらしく、「日和にまかせる」と言ってくれたので予定通りミステリーにした。
スマホでチケットを購入し、割り勘ということで飲み物とポップコーンを彼にお願いする。
二手に分かれて引換券を発行している間、周囲の声が耳に入って来て……。
「あの人、俳優……? その前に、人間?」
「顔ちっさ! スタイル良すぎ!」
「彼の日常だけ上映しても満員御礼でしょ」
……また以前のように女性に取り囲まれたら可哀想な事になりそうだ。
さっさと合流するに限ると思い、つかつかとハイヒールを鳴らして歩き出せば、いかにも遊んでる業界人といった見た目の若い男性に声をかけられた。
「あのさ、連れの方いますか?」
「います」
目も合わせずに答えても、
「やっぱそうだよね。でも一目惚れしちゃって、連絡先だけでも……」
と食い下がられた。相手がいるのに教えるとでも思ってるんだろうか、図々しい。
(それに私は性格に問題アリだよ? そちらのためにも止した方がいい)
無視して歩いても付いて来られたので、このまま月読さんの所へ行く訳にはいかない。
苛立ちながら「あなたに興味ない」と怒気を籠めた声で言った途端。
変わらない表情の月読さんが現れて、私の左手を優しく取った。
「ねえ。これから必死に口説くところなんだから、邪魔しないで」
さらに手の甲にキスされ──ては、いない。見せかけだけ。それに気づかない周囲からは小さく悲鳴が上がった。
「すでに映画じゃん!」
「言われてみたいんだけど!」
お陰で業界人風の男は「ごめんね~…」と言いながら去ってくれて助かったけれど。
初めて月読さんが部屋に居た時の事を思い出す。
彼は「日和がいいって言うまで、無茶なことしない」と言った約束を今でも守っているから唇を落とさなかったのか。
変わらない誠実さに、変わってしまった私の胸がズキンと痛む。
恐る恐る彼の方を見れば──なぜかパッと目を逸らされて。
哀し気に言われたのは、こうだった。
「…………日和、ごめん。ポップコーンまだ買えてない。列から、出ちゃった」
「…………始まってしまいますから、席につきましょうか」
──本当に、この人は。
神様相手なのに、わしゃわしゃっと撫でさすりたい衝動に駆られてしまった。
◆◆◆◆
上映中、迂闊にも私の方が夢中で見入ってしまった自覚がある。
視聴済みであっても、大人でなければ意味の分からない描写が多かったのかと気づいた後は、時間を忘れたかのようだった。
エンドロールに入ってようやく「月読さんは楽しめただろうか」と気にし始めた体たらく。
その整い過ぎたラインの横顔からは察する事が出来ない。
館内が明るくなってから席を立ち、座りっぱなしだったので家まで一駅分歩く事にした。
夏の夜ならではの浮かれた空気に私は当てられてしまったらしい。
面白かったですか?と彼に聞きながらも、つい自分ばかり話してしまう。
「子供の頃、博士のあのエレガントな仕草に憧れたんですよ」
「この映画でカニバリズムって言葉を覚えたなあ」
「例の『そら豆とワイン』のくだりなんですけど」
はしゃいでいると、月読さんがしみじみと言った。
「…………日和は、ああいうのが好きなんだね。知的で怖くて、美しい映画」
「ガッカリ、させましたよね。あなたの知ってるわたしは優しくて守ってあげたくなる癒し系。決してこの映画を選ばない。……ええ、私は真逆の存在です」
彼の好みではないことは身をもってよく知っている。それに対して卑屈になるつもりはないし、無暗に謝っても鬱陶しいだけだろう。
それでもせめて直接、一回だけは。
「中学生の頃からずっと、本当に申し訳ありませんでした。あなたに贔屓される資格は無かったんです。……無理に優しくしないで下さい。私は大丈夫ですから」
歩きながら彼の桔梗のような瞳を見て言う。
かつてよりも大股で、ほんの少し早口の私。
高い自尊心が挫けてからは余計に拗らせてしまった、性格に問題のある女。
しばらく返事の無かった月読さんは公園を見つけて「寄ってもいい?」と尋ねるので、もちろん頷く。
ここには来たことが無いかもしれない。今時ジャングルジムがあるなんて知らなかったから。
ハイヒールを脱いでスイスイと昇る私を月読さんは見上げていた。
「…………その恰好、本当に綺麗だけど、困ってた。スリットって言うんだっけ、結構深くて心配になる」
「この方が動きやすくていいんですよ。実際、こうして天辺まで楽に行けましたし」
「お願い、おれ以外の前ではやめて。色々、見えそう」
そんな失敗はしませんよ、と言いながら月を見上げた。
別段、私に当たる事が無い光。
それでいいと思う。十分に慰めてくれるから。
「おれ、確かに見抜けてなかった。日和がさっきの映画みたいな子だってこと」
「知的と美しいは、お世辞として受け取りますけど。怖いって……ふふ、正直ですね」
「…………怖いよ、壊れてしまいそうに、脆くて。それに………」
「脆い? 私は決して弱くありません」
先の言葉に悩んでいる彼に、私は否定をぶつけてしまう。ああ、こういう所がかつてと違って駄目なのだと分かっているのに。
それでも私は言ってしまう。
「──あなたがわたしを大切に想ってくれた理由。真面目で、優しくて、可愛くて、料理上手……でしたっけ。かろうじて残ってるのは真面目と料理上手でしょうか。でも今は授業をサボることもあるし、料理は自分本位で味付けも気まぐれ」
「…………………」
「だから今夜が最後でいいんですよ。月読さん……どうか無理しないで」
「やだ」
私を見上げていた月読さんは、長い脚であっさりと同じ所まで昇ってきた。
そして私の瞳を見つめて言う。
「…………忘れたの? 他にも言ったでしょ、大切に想ってる理由」
「え?」
「嘘つきで、強情なところ。ほら、見抜けてるところも……あった」
それは初めて見る表情だった。
自信たっぷりで堂々とした顔。
この人、こんな所もあるのか。
私は呆然としながら呟く。
「──それ、は。一本……取られました」
「敬語、やめてほしい。名前も、さんとか要らない」
今度は私が返事を出来ずにいると、頬を撫でられて思わず身震いする。
目を逸らす事が出来なかった。
「おれ、今も日和が好きだ。自分を偽るほど繊細なところも、一方的な手紙で遠ざける……臆病で不器用なところも。それって、優しいからでしょ」
「そんな訳ない」
私は表情を変えずに、さらっと返す。
すると含み笑いをした彼は言った。
「そうやって、何てことないって態度とるの。夜歩きしてた時とおんなじだし」
「なっ……」
「誤魔化し切れないところは、可愛いね。ほら、全部揃った。…………好きだよ。信じてくれるまで、何度でも言うから」
彼に強く抱きしめられて、思い出す。
そういえば、この人は体温が高いんだった。
初めて手を取られた時から温かいと思ってた。
「……さっきの怖い、っていうの……付け加えるね。離れるのが、嫌われるのが、失うのが怖いんだ」
「わ、私」
「おれの名前、呼んでよ」
「────月読」
くぐもる声で言った私に「よくできました」と褒める声。
途端、月の光が私を照らした。
あの頃もこんなに明るかったのだろうかと、驚く程に。




