19話 ツヌグさまと私
はあ……。
ふう……。
ほお……。
我が刀身からは、いまやため息ばかり出てまいります。
何せ私、我が主が男の子だという事実をつきつけられて、参っていたのでございますが。
そんな私を天が慰めるかのように、目の前にすばらしい美少女が現れたのです。
トオヤ族という辺境の部族の娘。
名をツヌグというそのヤマトナデシコは、鹿が引くそりに我々を乗せて、自分の邑へ連れ帰りました。
大きな湖のそばにあるその邑はとても小さく。その家々も円くて小さく。木組みの枠に動物の皮を乗せた簡素なもの。邑人は狩猟と漁で生きており、総勢百人足らず。
鍾乳洞の外は雪が深く降り積もり、零下十五度という寒さです。
うすっぺらい蒼き衣一枚の我が主は、今にもこごえんばかり。
「大丈夫? ちょっとあったまろうか?」
ツヌグさまはまず、凍りつきそうな我々を邑むら外れの温泉へと連れて行ってくださいました。
湖の岸辺近くには、地熱で熱せられた暖かい泉がいくつもありました。
ツヌグさまは我が主をそこにどっぽんと放り込み。それからなんとご自分も、服を脱いで同じく湯の中へ……。
(うわあああああああ!)
湯の中でびっくりうろたえる我が主。
『うほおおおおおおお!』
美少女のあられもないお姿に、歓喜の声をあげる私。
これは。まさに、眼福!
私は、天に舞い上がる気持ちでした。
だって……なぜなら……ついてるんです!
胸に二つ、丸いものがしっかりと、くっついてるんです!
ああああ、これぞ本物の、美少女!!
しかしツヌグさまも私同様、我が主のことを同性であると勘違いなさったようです。
ですよねえ。やっぱり間違えますよねえ。
我が主ったら、女性にとっては許せないレベルのかわいさですもんねえ。
あわてて温泉から出ようとする我が主を、ツヌグさまは笑って引きとめました。
「いいから遠慮しないであったまりなって」
「う……う……!」
――「ツヌグか?何をしとう。騒がしい」
そのとき。泉の奥から、凛とした声がいたしました。
湯けむりの向こうに、泉に浸かる人影がひとつ。
こ、これは! もう一人、湯けむり美人あらわる?
「ああ、婆バア。洞穴で拾いもんしたもんで。あっためてやってるとこ」
あ。ツヌグさんのお婆さま……ですか。ああ、そうですか……。
我が主を引き取ると主張するツヌグさまに、かつては美少女であったであろうシワクチャのお婆さまは仰いました。
「しかしそやつは、まだ子供だで」
「いいの!」
「それにほっそい男だで。それでええのか?」
「いいの!……えっ? 男?!」
とたんにツヌグさまは顔を真っ赤にして、胸の出っ張りをさっと手で隠し。
「いやああああ!見ないで!見ないでええええ!」
大声でわめきだしました。
「ああああ! もう嫁に行けないじゃないよ! 責任取んなさいよぉお!」
責任? 取らせてくれるんですか? 取ります! いくらでも!
だ、だから!
――『隠さないで下さい』
私……言ってしまいました。思わず、我が主の声で。
だってお美しいツヌグさまを、もっと眺めていたかったのです。
ゆえにはっきり、誰にでも聞こえるように音声を出してしまいました。
『もう少しよく見せて下さ……』
「なんだってええええ!」
ツヌグさまは、我が主の頬に平手を一発、思いっきり叩き込みました。
哀れぶくぶく、温泉の中へ沈んでいく我が主。
(アクラさんっ! なにするの!)
す、すみません、ごめんなさい!
お許しください我が主!
つ、つい! ほんとに出来心でやってしまいました。
美少女に会えたのが嬉しすぎて。
ごめんなさい。ごめんなさい……!
それからツヌグさまは我が主を小さな住居に連れて行き、暖かい毛皮の服をくださいました。
トオヤ族は、湖にやってくるトッカリというアザラシを採って食糧にしたり、皮で服を作ったりしている部族です。もらった毛皮の服も、トッカリの皮製なのだそうです。飢饉の時には、この服を煮込んで食べたりもするのだとか。
この家のご家族は、コケから薬を作っているお婆さまと、日がな一日縫い物をしているお母さま、そしてツヌグさまと双子の姉君という女所帯でした。
さすがは一卵性双生児。この姉君もまた、とても魅力的な方であったのですが――。
「あん! ああっ!」
そのお姉さまの部屋から、四六時中、変な声と物音が聞こえてくるのです。
「姉さんの邪魔は、せんといてね」
ツヌグさまによれば、双子の姉君は現在、眼の覚めるような金髪の男の看病をしておられるとのことでした。
「看病」と言われましても、寝台から聞こえてくる音は、ちょっとそれとはかなり違うような気がするのですが、気のせいということにしておきましょう。
しかしその看病されている金髪の男というのは、なんと。
トリオンと一緒に処刑された、カイザリオンという導師でありました。
彼は滝つぼに落ちて流されたため、脳に若干障害が残ってしまったようです。
ろくに喋ることも動くこともできない状態なのだそうです。
なるほど。それでカイザリオンは、姉君の手厚い「看護」になされるがままの状態でいるのですね。
ツヌグさまが言われるのには、双子の姉妹がこの人を拾った時、もう一人連れがいたのだそうです。
その人はしばらく邑にいたそうなのですが。
「ある日ね、『大事な子を迎えに行く』って、鍾乳洞に潜ったきり。オオグライに食われたか逃げ出したか、どっちかね」
ツヌグさまは肩をすくめて仰いました。
むむ。もしや、その人こそは。
『トリオンだ』
我が主の中にいるフィオンが大きく舌打ちしました。
『やっぱり生きてたのか!』
悔しげなフィオンとは正反対に、我が主は涙を流すほど大喜び。
「トリオン様が生きてた! よかった。生きてた!」
ツヌグさまの家から矢のように飛び出しました。
「大事な子」というのは、すなわち我が主のこと。トリオンは寺院をめざして鍾乳洞を進んでいるのでしょう。
つまり。我々はどこかで行き違いになったのです。
我が主は鍾乳洞めざして、不自由な足で必死に駆けました。
が。
「だめだめ! 逃げたらいけんよ!」
ツヌグさまは石のついた縄を投げて、華麗に我が主の足をからめとり。見事に脱走を阻止してしまいました。
「イクグ姉さんが拾ってきたのは役立たずでさ。邑長がぶうぶういってる。アンタは、剣が使えるんでしょ? 持ってるってことは、それなりに使えるってことだよね? 拾いものをしてから、姉さんはコケ取りをサボるようになっちゃってさ。アタシばっかり苦労してんだ……」
ツヌグさまはすがるような切ない顔で訴えてきました。
ですから私、思わず。
『任せなさい。強いです私』
我が主の声で、そう答えてしまいました。
(ちょっと、アクラさん!)
す、すみません、ごめんなさい!
お許しください、我が主!
つ、つい! ほんとに出来心でやってしまいました。
ごめんなさい。ごめんなさい!
私はあわてて、我が主のご機嫌を伺いました。
『あの娘、喰らいます? 生気たっぷりで、めちゃくちゃおいしそうですけど』
もし我が主が私を使えば。
その気になりさえすれば、こんな小さな邑などあっという間に征服できます。
でも、返ってきた答えは予想通り――
(だめだよアクラさん)
やはり我が主は、とても優しい子でした。
私は、さらに聞いてみました。
『この家どかーんします? ほら、私の柄を持って。さあどうぞ。思いっきり。どかーんしましょう?』
(大丈夫)
私の誘いを、我が主は柔らかく退けました。
心は急いて鍾乳洞へ、そして遠い先の寺院へ飛んでいるはずなのに。
私の黄金の柄を握るのをぐっとこらえて、けなげに優しく言うのでした。
(大丈夫、まだ行き詰ってないから。進める道が、どこかにあるはずだよ)
我が主は、静かに、辛抱強く機会を待ちました。
ツヌグさまは我が主が隙をついて逃げぬよう、夜に眠り薬を飲ませようとしました。でも賢い我が主はそれに気づいていて、薬を飲んだふりをしておりました。
翌朝、我が主は一族総出で行うトッカリ漁の手伝いにかり出されました。
みなが丸々太ったアザラシの皮をはぐ間、私は自分がいかに使える道具かツヌグさまに知って欲しくて、我が主の背中から夢中で武勇伝を語りました。
寺院の宝物庫に入る前、すなわちエティアの武王に仕えていた頃のお話です。
エティアの武王は、世に名高い魔王フラヴィオスを封じた王としてつとに有名です。
もともと王族ではなく竜輝兵であったのですが、いくつかの戦役で大活躍して名を馳せて、王女に見初められて婿入りし、王となりました。
私は彼の相棒として、あの恐ろしい魔王を相手に勇猛果敢に戦ったのです……。
トオヤ族の人々は、漁をするかたわら目を輝かせて、私の話を聞いてくれました。
特に子供たちは、剣と剣が交わるがっぷり四つの戦話に、すごいすごいと目を丸くしました。みな、深い尊敬と崇拝の眼差しで私を見てくれるのです。
しかし漁場にいるのは、女子供ばかり。
男たちは、ほんの数十人しかおりません。
トオヤ族の人々は、湖からやって来る水賊にいつも悩まされているのでした。
男たちは、みな賊を追い払う戦いで亡くなってしまうのです。
ツヌグさまの父君も、そんな犠牲者のおひとりでした。
「母さん、アタシの拾い物、みんなの人気者よ。ほんとにすごい奴なの。王様のそばでずっと戦ってたんだって」
丸一日の漁を終えたツヌグさまは家に帰り。きらきらと黒い瞳を輝かせて、そうお母様に話されましたが。
「……」
お母様は、無言で毛皮を縫い合わせるばかり。
「母さんてば。聞いてよ。ねえ」
ツヌグさまは母君の腕を掴んで、とても優しく話しかけました。
「ねえ、もうその服は必要ないんよ? ねえ、父さんはもう、いないんよ?」
ひとことも喋らないお母様は……もうこの世にはいない、愛する人の服を一日中縫っていました。よく見れば、縫い終われば解いて、何度も何度も、縫い直しているのでした。
コケをすりつぶして薬を作っていたお婆さまが手を止めて。深いため息をつかれました。
「ツヌグ、無理ぞ。もうこん人には何も聞こえん。おぬしの父親と一緒に、死んでしもうたんだから」
「母さん……」
ツヌグさまの黒い瞳に、真珠のような涙が浮かびました。
「母さん……戻ってきてよ……」
ああ。この人をお守りせねば。
乙女の涙を見た瞬間。私は、強くそう思いました。
この邑には。この方たちには。戦える者がほとんどいないのです。
だから私が、この方をお守りせねば。
か弱き者を守る。これこそ、まことの戦士のつとめでありましょう?
『僕もそう思う』
ありがたいことにフィオンが、私の燃えるような意志に同調してくれました。
『僕らは、ここでみんなの役に立つべきだ。レクもトリオンのことなんか忘れて、そう思ってくれるといいんだけど』
我が主は、ツヌグさまの母君の様子を見て、とても心を痛めているようでした。いますぐトリオンを探したい気持ちと。ツヌグさまを助けたいという気持ちが、その心の中で戦っているようでした。
ああ、我が主。どうか私と同じように思ってください。
私と共に、か弱きものを守る者になってください……。
その夜。
「婆、大変だ!」
邑人むらびとが血相を変えて、ツヌグさまの家に飛び込んできました。
「水賊が夜討ちに来おった! いつもと違う! 鎧着とる! 若い衆が斬られた!」
たちまちツヌグさまは唸り声をあげ、銛を持って外に飛び出していかれました。お婆さまが、おたおたとその後を追います。
「ツヌグいかん! 仇打ちなんぞ無理じゃ! おなごには!」
双子の姉上も金髪のカイザリオンの「看病」をやめて、石包丁を持って家の外に飛び出していきます。
こうして。
機会は、さっそくやって来ました。我が主がじっと待っていた、逃げ出す好機が。
外の喧騒が、一段と大きくなっていきます。
我が主は居間に這い出して、柱に立てかけてある銀の杖を取りました。
逃げるなら、今しかありません。
――『さあ、行きましょう?』
私は、よそよそしく我が主に言いました。
『これぞ絶好の好機。逃げるなら今ですよ?』
我が主は、まだ縫い物をし続けるお母様がこちらを見ているのに気づきました。
突然、お母様は、にっこりなさり……。
「守ってやってね」
そうしっかりした声で言われました。
この方は。一瞬だけ、この世界に戻ってきたのです。愛する娘のために。
我が主はたじろぎました。迷っていました。
私はまた、挑発するように冷たく言いました。
『どうしました? 急ぎましょう? ここにも敵が、来るやもしれませんよ?』
(うん……そうだけど……)
迷う我が主は、家の外に出ました。目の前に移る、明るい炎。
火矢を射かけられたのか、集落の家々が燃えています。
黒い鎧の水賊たちに、邑人たちが追われて。襲われて。倒されていきます。
『さあさあ。よそ見しないで。今のうちに行きましょう?』
(待って!)
『放っておきなさい。あなた、助ける気などないのでしょう?』
(待って!)
『力なきものは喰われる。そういう運命です。さあ、行きましょう』
(だめ!)
――「いやあ!なにするの!」
空気をつんざく女の子の悲鳴。すぐ近くに、必死で戦うツヌグさまのお姿が。その上に、黒い影が覆いかぶさって……。
『だめですか? では。どうします?』
私は、はやる気持ちを抑えながら聞きました。
『今を逃せば、もう二度と逃げる機会はないですよ?』
私の柄に、我が主の手が伸びてきました。
震える手が、伸びてきました。
もう一押しです。
「アクラさん……」
『ほら。そこまたいで。あ、そっちの方は血だまりありますよ。さあさあ、進みましょう。とっとと逃げましょう。晴れておさらばできますよ』
私は特にむごい光景のところに、我が主の視線を誘導しました。
あちこちに、暗い血だまりがいくつもできています。
白い雪を染める朱の血が、燃える炎に照らされて、赤黒くてらてら光っています……。
我が主の中で、フィオンが叫びました。
『だめだ。こんなのだめだ! 放っていくなんて!』
すると、我が主も心の中で叫びました。
(だめだ! 放っていくなんて!)
そうです。我が主。我が主。さあ、私を持ちなさい。
「いやああ!」
ツヌグさまの悲鳴が、あたりに響き渡りました。
「助けて! 父さん! 父さあああん!」
その瞬間。びりっと我が主は震えました。
そして。
ついに私を握り、大声で叫びました。
「その人を、放せ!!」
『そうこなくては』
私は、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
ああやはり。この人こそ、我が主。私が見初めた主人です。
『任せなさい、我が主。すべて私が、喰らってさしあげます』
我が主の手にしっかと握られた私は、喜びに打ち震えて踊りだしました。
にっくき敵を喰らい。我がいとしの姫君を救うために。
※※ 双子の名前 ※※
※ツヌグ
日本の古語で「芽吹く」という意味。
※イクグ
日本の古語で「芽が育つ」という意味。




