第一章・異世界エルメアへ(その8)
智美はなんとかして少し気を取り直すと、あらためてサラに質問した。サラの説明を聞いても、智美の心の中の疑問は消えなかった。
「でも……どうしてそんなものが……」
その瞬間、サラの表情が変った。そして室内からも、先ほどまでの穏やかな空気が消えた。智美だけでなくフィリアまでもが、生唾をごくりと飲み込んだ。
サラは少し間を置いてから、低い声で語り始めた。
「昔、このエルメアでは大きな戦争があったの」
暖炉の火が静かに揺れる。
「国と国が争い、多くの人が死んだ」
サラの瞳は、遠い過去を見ているようだった。
「その戦争の中で、“呪力”を利用した兵器が研究されるようになったの」
「兵器……」
智美は小さくつぶやいた。その脳裏には、先ほど森の中で見た黒い呪装のまがまがしい雰囲気が蘇っていた。
サラは小さくうなづいた。
「それが呪装よ」
部屋が静まり返る。フィリアも黙ったままだった。
「呪装は本来、人の負の感情をエネルギー源にして動く兵器として開発されたの」
「そんな……」
智美は言葉を失う。感情を兵器にするとは、あまりにも恐ろしい発想だった。
「怒りや恐怖、憎しみは強い力を生む。戦争をしていた者たちは、それを利用しようとしたの」
サラは苦い顔をする。
「でも結果として、人の心そのものを蝕む存在が生まれてしまった」
暖炉の薪がぱちりと音を立てた。
「森の奥にある封印された遺跡――あそこは、もともと呪装兵器の研究所だったの」
智美の背筋に冷たいものが走る。昼間、森で感じた嫌な気配。あの遺跡の奥には、そんなものが眠っているのか。
「やがて戦争が終り平和が戻った後、呪装兵器の研究所は危険すぎるとして封印されたわ」
サラは続ける。
「けれど完全には止められなかった。遺跡は今も少しずつ呪力を漏らし続けている」
「だから呪装が……」
「ええ」
サラは静かにうなづく。
「人の心の闇に反応して、怪物を生み出してしまう」
智美はうつむいた。智美はかつて学校の授業で教わったり、本や映画で知ったりした戦争のことを思い出していた。
この世界には、魔法や冒険だけではない。人間が作り出した“過ち”が存在している。
それは地球と同じだった。どんな世界でも、人は戦争をする。そして取り返しのつかないものを生み出してしまう。智美は胸の奥が重くなるのを感じていた。
そのときだった。
——コツ、……コツ。
窓の外から、小さな音が聞こえてきた。
智美が顔を上げると、さらに音は増えていく。パタパタ、と屋根を叩く音。
「……雨?」
智美は立ち上がり、窓の外に目を向けた。すると夜のアウラムに、雨が降り始めていた。石畳には雨粒が跳ね上がり、街灯の光も降り注ぐ雨の中でにじんでいた。昼間はあんなに穏やかだった町が、どこか冷たく見える。
その瞬間、智美の胸に不安が押し寄せた。
(雅人……結以……)
二人は今どこにいるのだろう。雨を避けられる場所はあるのか。空腹を満たすことはできるのだろうか。怖い思いをしていないだろうか。
智美は窓辺でぎゅっと拳を握りしめた。
「……探しに行かなきゃ」
思わずそうつぶやいた。
だがその背中に、サラの落ち着いた声が届く。
「あなたが心配するのももっともよ」
智美が振り返ると、サラは静かに紅茶のカップを置いた。
「でも、やみくもに動き回っても何にもならないわ」
その声は厳しいというより、現実を知る大人の声だった。
「夜の森は危険よ。雨まで降り始めた」
フィリアも心配そうに智美に目を向けた。
「それに……休むことだって大切です。トモミ…さっきから見てるとだいぶ疲れてるみたいだから」
そこでサラはあらためて智美にはっきりと言った。
「今日はゆっくり休みなさい」
暖炉の火が静かに揺れている。
「明日、あなたの友達を探す方法をじっくり考えましょう」
智美はうつむいた。
本当は今すぐ飛び出したかった。じっとしているのが苦しい。
けれど、自分一人では何もできないこともわかっていた。森の危険に呪装。そして智美の知る夜の町とは全く違う、明かりなどほとんど見えない深い夜の闇。この世界のことを、智美はまだほとんど知らない。
「……はい」
智美は小さな声で答えるしかなかった。
その後、智美がフィリアに案内されて部屋へ戻ると、フィリアは白い寝間着を持ってきた。
「これは私の替えの寝間着だけど、寝るときにはこれを使って下さい」
フィリアから手渡された寝間着はきれいに洗濯されて畳まれていて、サイズも智美に合っているようだった。
「ありがとう、フィリア」
そしてフィリアは部屋を立ち去る間際に、メリルに声をかけた。
「メリル、今夜は一晩トモミのそばにいてあげて。トモミはだいぶ心配してるみたいだから」
フィリアが立ち去って、学校にいたときからずっと着ていたワンピースから白い寝間着に着替えてからも、智美はぼんやりしていた。
ランドセルは部屋の隅に置かれている。まるでそこだけ日本から切り取られてきたかのようだったが、そのそばに立てかけられた剣は、智美がこの異世界で呪装と戦ったことは幻ではないということをまじまじと示していた。
窓の外では、まだ雨が降り続いている。その窓の外に広がる闇をじっと見つめながら、智美は考え込んでいた。
――私はフィリアやピート、そしてサラに出会えたおかげで、温かい夕食を食べることもできたし、雨に濡れる心配もないままベッドで休むことだってできる。でももしそうでなかったら、今ごろこの雨の夜の中でどうしていればよかったんだろう…。
そこで智美はまた家族のこと、そして雅人と結以のことが気にならずにはいられなかった。智美は思わず、そばにいるメリルに話しかけていた。
「私…これからどうしたらいいんだろう」
メリルもそのような智美を、心配そうにきょとんと眺めるのみだった。しかしそばにメリルがいるだけで、智美は多少なりとも気分が落ち着くような気がした。
「メリルってやさしいね」
智美はメリルを手のひらでそっと抱き止めて軽く頭をなでた後で、ベッドへ潜り込んだ。メリルも部屋の片隅の机の上で、そっと休みにつこうとしていた。
柔らかな布団の温もりが身体を包んだとたん、智美の身体にどっと疲労が押し寄せた。
今日はあまりにもいろいろなことがありすぎた。
放課後の学校からいきなり異世界に飛ばされて、森の中で呪装という恐ろしい存在に襲われたかと思うと、自分は剣を手にそれと戦って、フィリアやピート、サラと出会って…。
そして、雅人と結以。二人も本当にこの世界に来ているのか、来ているとしたら今どこでどうしているのか…。
(どうか無事でいて……)
それだけを願いながら、智美は目を閉じる。
雨音は子守歌のように静かに響いていた。
やがて智美は、深い眠りへと落ちていった。
ちょうど智美がサラのアトリエのベッドで静かに寝息を立てていた頃、夜の森には冷たい雨が降り続いていた。
木々を濡らす雨音の中を、一体の青いロボットがゆっくり歩いている。
その身体は人間に近い形をしていたが、明らかに異形だった。青い装甲。頭部から伸びる二本の角。そして闇の中で赤く光る目。
ギ……。
関節がきしむたび、金属音が静かな森に響く。
ロボットは二本の足で泥をはねながらふらつくように森を進み、やがて村外れの小道へ出た。
そのとき、荷車を引いた村人がロボットの姿に気づいた。
「……っ!?」
村人の顔が一瞬で青ざめた。
「じゅ、呪装だ!!」
村人が悲鳴を上げても、ロボットは襲いかかったりはしなかった。むしろ戸惑ったように立ち止まり、ゆっくりと片手を伸ばす。まるで「待ってくれ」と伝えようとしているかのように。
だが村人には、そんなことはわからない。見えるのは角の生えた異形の怪物だけだった。
「来るなっ!!」
村人は荷車を放り出し、雨の中を逃げ去っていく。
ロボットはその背中をじっと見つめていた。追いかけようとして、一歩踏み出したものの、やがてその動きは止まった。伸ばした手が、ゆっくり下がる。
ギ……。
ロボットはうつむいた。その姿は、どこか肩を落して落胆しているようにも見えた。
けれどロボットの顔には口がないから、声を発することもできない。表情もない。だから本当にロボットが何を思っているのか、誰にもわからない。
ただ、点滅する赤い目の光だけが雨の中で静かに揺れていた。
やがて雨はますます強まっていった。雨粒が青い装甲を叩き、顔を伝い落ちていく。その雫はまるで涙のようだった。
ロボットは再び歩き出した。当てもなく、まるで何かを探しているかのように。
暗い森の奥へ、青い影は静かに消えていった。
第一章はここでひとまず完結です。次の章では、雅人と結以はどこにいるのか、智美たちはどうやってこの二人を探し出すのかがポイントになります。




