28話
ルーク
「フィロー様からお茶を預かってきました。」
体を起こす私に後輩騎士の一人がそう言って、湯気の立つカップをサイドテーブルに置いた。
扉のノックに応対するために声を出したら咳が止まらなくなってしまい、その合間に切れ切れのお礼を言う。
「ルークさん、大丈夫ですか」と心配してくれる後輩に、移ってしまうかもと早く部屋を出るように促した。彼はまだ何か言いたげだったが、言葉を飲み込むように頷き、背を向ける。
フィロー様のお茶であれば、体も温まり回復も早まるに違いない。フィロー様には先に言伝を送っておいたために、気を回してくれたのだと有り難く思う。明日、元気になったらエトーリアに悟られないよう礼を言わなければ。
エトーリアのことを考えるのと同時に、オリバーさんの顔が頭に浮かんだ。
果たしてあの人は、本当に黙っていられるのだろうか。
任務であれば秘匿義務を順守するだろうが、ただのいち後輩の頼みだ。彼に守る義務はない。
私が彼女のことを想っていることを知られているからこそ尚更、気を揉んでいた。あの人は、ちょっとお節介なほどに世話好きだから。
マグカップの取手に指を滑らせる。
淹れてくれたばかりらしく、近づける唇に熱気が伝わってくる。ふう、ふう、と二度と息を吐いて気持ちばかり冷ますと、ほんの少量を一口含んだ。
違和感は、すぐに感じた。
温かいものを口に入れたはずだ。
それなのに、飲み込んだそばから身体中の熱が、すうと引いていく。
昨晩から感じていた体の重たい怠さも、喉や鼻腔の腫れた感覚も。
同じようにあからさまに薄れていく。
数秒の間、体に起こった変化に対する驚きのあまり、マグカップのお茶を眺めて呆気にとられていた。
薄らと鼻の奥に残る、甘い果実のような香り。
私はこれが何なのか知っている。フィロー様が使うはずのない材料だ。
何が起こったのかを完全に理解して、はあ、と思わず深いため息を吐いた。
気づかないとでも思ったのだろうか。
だとしたら、彼女はまだ自分の持つ力を侮っている。
いつもの調子が瞬時に戻ってきたことで、部屋の外の気配まで感じられるようになった。
「エトーリア。そこにいるんでしょう」
扉の外の空気が張り詰めたような気がした。
「オリバーさんも」そう付け加えると「あー、バレちゃった」と壁越しにオリバーさんの声が聞こえる。
カチャ、と軽い音を立てて扉が開く。
オリバーさんが顔だけを出して、ひらひらと手を振った。
「まったくあなたという人は」
「ごめんごめん、つい口が滑っちゃって」
ニカっと笑うオリバーさんの後に続いて、エトーリアが顔を覗かせる。
彼女が浮かべる申し訳なさそうな表情にも、気を許せばかわいらしいと呟いてしまいそうになる自分を律した。
「違います、ルーク。私が無理やり聞き出して、」
「そういうことになるよう仕向けたんでしょう」
彼女の言い分を遮り、オリバーさんへ冷たい視線を向けると、彼は口を尖らせてみせる。やっぱり、お節介を発揮したのは間違いないようだ。
「おかしな責任を負わせてすみません」
エトーリアはあっという間に作戦を覆されたためか、眉を下げ、小さく頬を膨らませた。
私のことを心配してくれたのは事実だと、このお茶を飲めばわかる。
大方、私の突然の不在を聞いて、オリバーさんの答えの不自然さを不審に思い、問い詰めたというところだろう。
「ルーク、具合は」
「すっかり良くなりました。あなたのおかげです」
「私は何も」
「フィロー様のお茶では、ここまでの即効性はありませんよ」
ベッドの脇に立ち、彼女は私の額に手を伸ばす。
ぴたりと添えられた手のひらは、既に私の体温よりも温かい。
「ね、もう熱はないでしょう」と同意を促し、その手をとった。
「エトーリア。私のために、あなたの力を使うのはやめてください」
「……大切な人のために使えない力なんて、必要ありません。ルークに元気でいてほしいんです」
「私にとっては、自分よりもあなたの体の方が大切です」
先ほどまでよりも随分と意識のはっきりした頭で、彼女の目をまっすぐに見てそう伝えた。
彼女の返事は何よりも嬉しい言葉だったが、私が発したのも間違いなく、心からの願いだった。
そうでなければ、私が彼女を護っている意味がない。
エトーリアは俯き、目を伏せた。
「すみません、せっかく作ってくれたのに。先にちゃんとお礼を言うべきでしたね」
「ありがとうございます」と私が言葉を付け足すと、彼女は視線を上げ、ほんの少しだけ微笑んだ。
優しさに溢れる彼女の思いに対して、まるで叱られた子どものような表情をさせてしまったことに、申し訳なさを感じる。
「もう良くなりましたから、着替えて仕事に戻りますね」
「だめです。今日くらい休んでください」
「え?」
「ルークは働きすぎです。今日はゆっくり過ごして、明日また、帰ってきてください」
ほら、と彼女に促され、ベッドに寝かされる。
抵抗すればいいのにできないのは、こちらが力を入れると彼女との距離がさらに縮まってしまうからだ。枕元に隠している匂い袋に似た香りがして、思わず胸が高鳴った。
彼女の後ろでオリバーさんがにやけているのが見えて、顔を覆いたくなる。
「今日は一日、俺が責任持ってエトーリアちゃんを護衛するよ!」
「はい。よろしくお願いします」
「じゃ、ルークも寝かせてあげたいし、フィロー様のところに戻ろっか。そろそろお昼ご飯も食べないとね!」
オリバーさんがエトーリアに笑いかけると、彼を見上げ、呼応するように彼女も微笑んだ。
あからさまに、胸がぎゅっと締め付けられる。
隣に並ぶのは、彼女と一日を共にするのは、自分であってほしい。
その役割を欲していることに気がついて、部屋を後にする二人の背中を見つめていた。




