21話
フィロー
こんなに清々しい良い天気なのだから、私もエトーリアと一緒に茶葉園の手入れをしたかった。
城の廊下一面に張られている絨毯に、交互に足を沈ませ進みながら、そんなことを思う。
先ほど香茶宮にライアス王子の従者が来るまで、今日はのんびり過ごそうと、穏やかな気持ちでいっぱいだったというのに。
彼の執務室の前で立ち止まり、こちらを見ることもなく扉の両端に立つ二人の騎士に当てつけるように乱暴にノックした。名乗る前に向こうから、「フィローだろ」と半分笑うような声が聞こえる。
扉を開けると、申し訳なさそうな表情の男が分厚い書類を片手に、机の前に立っていた。
「ごめんよ、急に呼び出して」
「それ、本気で言ってるなら今すぐ解放してくれない?」
眉尻を下げて見せる彼に、不機嫌を隠さずに言うとハハハ、と空笑いされた。
応接用のソファに腰掛けると、足を組む。
ライアス王子は僕の向かいに座り、持っていた書類をテーブルに置いた。書面にエトーリアの名前が見え、やはりか、と呼び出された理由に軽く溜息を吐く。
「彼女はどうしてる?」
「元気だよ。毎日にこにこ笑ってる」
その返事をまっすぐに受け止めたわけではないだろうに、ライアス王子は「それなら良かった」と爽やかな笑みを浮かべる。
エトーリアが見せる明るい表情の裏にある心中は察するに余りある。不安やプレッシャー、突然始まった慣れない環境での暮らし。人間が一度に感じるには重すぎるものが渦巻いているに違いない。それなのに、毎日師として近くにいる僕にすら、ネガティブな感情を見せたことがないのだ。
元々、気丈に振る舞うことに慣れている子なのかもしれない。
だからこそ、彼女の感情や心がいつか、なにかをきっかけに壊れてしまうかもしれないと心配していた。
テア・ヴィータの力は、彼女自身の心とあまりにも深く結びついている。感情の乱れが力の暴発に繋がる可能性だってあるのだ。
「なにか、僕に聞きたいことでもあるんだろう」
早くしてくれ、と口には出さないが態度に出してみる。
早く香茶宮に帰りたい。昨日仕入れた珍しい乾燥果実を練茶して、エトーリアと一緒に飲むのを楽しみにしていたのに。
「フィローも、エトーリアを気に入ってるんだね」
「そうね。少なくとも、前にいた部下二人よりは遥かに」
「あの二人もいい子たちだったじゃないか」
「あと、まだ彼らの雇用契約は切れてないんだけど」とライアス王子が笑う。
香茶宮に務め、王宮の練茶を担う使用人である王宮練茶士。勤続年数が長続きしないのが僕のせいだと言われていることは、知っていた。
僕のことを神のように崇めてくる奴もいれば、僕に萎縮して居心地の悪そうな奴、肩書きを得たことに満足して、僕が一言不手際を叱っただけで来なくなってしまう奴。
僕に言わせてみれば採用試験が甘すぎる上に試験官の見る目がないのでは?と思うのだが、それはエトーリアが来るまで同じことの繰り返しだった。
彼女は自ら望んで城に来たわけでも試験を受けたわけでもないのに、僕の期待する手際の良さとクオリティの高さを毎回維持してくれる。
そして時に変人とも揶揄される僕にも臆さず懐いてくれ、常に自然体で接してくれるのだから、気に入らないわけがない。嫌う理由がどこにもないのだ。
「じゃあ本題に入ろうかな」
「あぁ、そうしてくれ」
ライアス王子はひとつ短く息を吐き、テーブルに置いた書類に視線を流した。
「テア・ヴィータの力は、練茶の材料が持つ本来の効能を最大限に引き出すことができる。だったよね」
「……何が言いたい」
「茶葉の中には、弱毒性をもって症状を和らげるものがある。それを利用すれば、つまり毒も作れるんじゃないかと思って」
彼の目から光が失われ、温度のなくなった瞳が僕をじっと見る。
僕が言わずとも、いずれそう遠くないうちにその結論にたどり着くだろうとわかっていた。
「フィロー。あの時、わざと出さなかっただろう。国が望むのは、治療と、増強。君はそう言った」
「……そうね」
「君は本当に、あの子を気に入ってるんだな」
もう一度先ほどと同じ台詞を繰り返して、大きな溜息を吐いたライアス王子は自分の太腿に肘をつき、頭を抱えるように額に手をやる。
自分が気づいてしまえば、王に報告を上げるほかない。
もしかしたらその葛藤と、彼も戦っているのかもしれない。
彼女の”訓練”と称した、国にとっての実験は、毎日あらゆる注文を王や王子の使いから受けていた。
疲れを癒す、切り傷を治す、という日常でも必要とされそうな課題から、最近では、精神を高揚させる、火傷でただれた皮膚を再生させる、欠損した体の部位を再生させる、というものまで。
僕はそれを日々検閲し、彼女がどうすれば国への疑念を抱かず、純粋な願いに集中し適切な力を使えるかを考える。
その注文リストを、いわば”翻訳”しているのだ。毒を作れなんて、どう考えても翻訳できるとは思えない。
「そういえば。欠損した体の部位を再生するお茶は、罪人に拷問して検証したのか」
「……君には内緒にしていたつもりだったんだけど」
「あのリストの項目を見れば、お前たちがどうやって実験しているのかくらい想像がつく」
「……エトーリアは何か言っていたかい?」
「傷ついた騎士団員のためだと思って祈ってる。僕がそう言ったからね」
「そうか……。助かるよ」
「国のためじゃない、エトーリアのためだ」
冷たく言い放つと、ライアス王子はふっと息を吐く。僅かな光が戻った目を細めた。
「俺も、生まれた場所さえ違えば、ルークや君の立場になっていただろうね。……正直、今だってそうしたい」
「……そうか」
「彼女に毒は作らせない。王に報告するつもりはないよ」
「約束する」と彼は僕としっかり目を合わせ、きゅっと唇を結ぶ。
正直なところ、少しだけほっとしていた。若いライアス王子にはまだ、選択を迷う心が残っている。
国を救うためにひとりの女の子を犠牲にしていいと、為政者らしい踏ん切りはつかないらしい。
「それなら、欠損を理由に退役した騎士にでもあのお茶を飲ませて、彼女のところへ連れてきてくれ」
「あぁ、そうだね。効果は確かだったから、対象になる者がいないか団長に聞いてみよう」
「僕としても、貴重な仲間が帰ってくるのは嬉しいことだからね」と彼は微笑んでみせる。
僕のフォローに対して辻褄を合わせることを飲ませて、ソファの背もたれに体を預けた。
ついでに、ライアス王子の罪悪感も、幾分軽くなるかもしれない。
僕だって王宮に誰よりも長く身を置くものとして、王やライアス王子に情がないわけではないのだ。彼女の存在を巡って、理由もなく敵対したいわけでもない。
「そういえば、調べていたことがあるんだけど」
「今度はなんだ」
「ただの情報共有だよ。そう身構えないで」
ライアス王子は僕を諌めると、先ほどまでよりも穏やかに、公務のスイッチを入れたかのように話し出した。
「まず、エトーリアの母親について」
「あの子に”まじない”を教えたんだっけ」
「うん。テア・ヴィータの血筋が母方であるのは間違いないだろうけど、エトーリアが幼い頃に亡くなっていて、その時、すでに身寄りがなかったらしい」
「あの民族は滅びてしまったとされているからな」
「国としては他を追いかけたかったんだけど、今のところ行き止まりって感じだね」
「あんな才能、そう見つかるものじゃないだろう」
「うん。たとえあの民が見つかっても、彼女のような才能がある人は稀なんだし、俺もしつこく追う必要はないかと思ってる」
ライアス王子は僕に対して少し心内を見せるスタイルに切り替えたのか、さらりとそう言う。
国として彼女に何かあった時のために保険を用意しておきたいのは山々だが、一世代に二人いるかもわからないその奇跡を探すため、莫大な人数と時間をかけるほどの余裕はないのだろう。
「あと、もうひとつあるんだ」
「なに、今度はいい話?」
彼の顔色がやや明るくなり、僕もつられて少し興味が湧いた。
「彼女の店がある周辺地域だけ、流行病や持病で亡くなる人の数が圧倒的に少なかった。知らず知らずのうちに、願いの力を使っていたんだろうね」
「……そう」
「俺たちがちゃんと調べていれば、もう少し早く出会えたかもしれない。あんなにアシュベルが苦しむ前に」
目を伏せた彼の表情に、後悔の念が滲む。
結局彼は、王太子である以前に、弟を思う心優しい兄という役目を人格の根底に持っている。
「アシュベル王子のあの姿を見るのは、僕も辛かったよ。何もしてやれないことも、歯痒かった」
あの時ああしていれば、を一度考え出してしまうと、それは果てしない沼に沈んでいくから、僕は後悔はしないようにしていた。それでもライアス王子に呼応するように、苦しみ倒れたアシュベル王子の姿を、思い出してしまう。
「俺も、エトーリアには本当に、感謝してるんだ」
ライアス王子はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。
そうか、と気づく。彼も間接的ではあるが、エトーリアに救われた側の人間だ。
立場によって様々な思惑はあれど、きっと彼女は国の体制にとどまらず、関わる人たちの心までもを救っていく。
そういう運命を背負った子なのだろう。




