幕間 王の資格を持つ者
最初に鐘の音を聞いたあの日から、私の世界から色が消えた。
何者でもない、平凡で、平和で、退屈で、それでも満たされていたはずだったのに、私は何もかもを失った。
森の中で静かに暮らす小さな村に生まれて、いつか都会で暮らしてみたいという憧れを抱きながら、親友だった子たちと楽しく暮らしていただけの私が、気が付けばこんな無駄に広い城でたった一人で暮らしている。
「……私は、生まれてこない方が良かったのかな」
いったい何度、その言葉を口にしただろう。
ごくごく普通の人間の女の子だったはずなのに、気が付けば立派な羽や牙を備えた吸血鬼に変貌してしまった。
この体はとても強靭で、私は普通の人間よりも圧倒的に強い力を得た。多少食事や睡眠を抜いたところで弱ることはないし、空だって飛ぼうと思えばいつでも自由に飛べる。
でも、私はこんな力、望んで手に入れたわけじゃない。
「いいえ、そのような事は決してございません。我らは新たなる女王であるあなたの誕生を心よりお待ちしておりました」
だけど、その言葉はいつも彼に否定される。
ほんの小さな、ハエのような蝙蝠。彼はこの城に辿りついた私を女王と呼び、 生涯の主とさせてほしいと願い出た。
彼は自らを3000年より昔から生きる吸血鬼と主張し、私こそが長き時を超えて次代の王となるべき資格を持って生まれた最強の吸血鬼だと口にしたのだ。
「そう。私みたいなのを王に選ぶなんて、吸血鬼たちは見る目がないのね」
「まさか。あなた程優れたお力を持つ吸血鬼は他におりません。眠れる力の全てが覚醒すれば、あなたは大いなる月の下に住まうあらゆる種族の王として誰もが認める存在となりましょう」
「それは素晴らしいわね。譲れるものなら譲ってあげたいわ」
私が何を言ったところで、彼はひたすらに私を持ち上げて、私に王たる自覚を持つよう求めてくる。
確かにこの体は手に余るほどの強大な力を持っている。そして彼の言う通り、私はまだその力の1割も引き出せていない。
きっと私が望みさえすれば覚醒までにそう時間はかからないのだろう。だけど私は怖かった。もしこの力の全てを引き出したら、私はきっと私ではなくなる。
そう。この力は本来私のものではないのだから。
誰かから与えられただけの力。私が望んで手に入れたわけではない力。だから私は吸血鬼の王になることは出来ない。
何故なら私は、人間だったのだから。
「お姫様の説得に苦労しているようね。グラーク」
「おや、これはこれは……お久しぶりですね。ミス・フィアロヴァー」
「その名前は捨てたと言ったでしょう。もう一度深い眠りにつきたいの?」
「失敬失敬。では改めて。同士フェルマ。あなたがここへ来たということは、とうとう手に入れたのですか。例のモノを」
空気が凍てつくような感覚とともに、どこからともなく現れたフードで顔を隠した少女がこちらへと寄ってきた。
数年前、一度だけ見たことがある。恐ろしく冷酷で、それでいて悲哀に満ちた瞳をした、その顔の半分を悍ましい結晶に侵食されている少女。
たった一人で、死を待つだけだった私の下にグラークを連れてきて、この捨てられた城で暮らすように手配したのがこのフェルマ・フィアロヴァーという少女だった。
「ええ。見つけたわ。だけど、これは本来この地を担当するあなたの仕事だったはずよ」
「それはそれは申し訳ござません。あなたに封印を解かれて以降、毎日のように探し回っていたのですが、全く見つからなくてですねえ。いっそ異空間にでもあるのではないかと疑っていたのですよ」
「言い訳は聞きたくないわ。彼は計画の実行を急いでいる。だからこうして不甲斐ないあなたの代わりのこの私が派遣されることになったのよ」
「……それで、肝心のモノはどちらに?」
「上よ」
「上?」
「そう。例のモノは空にある」
「……一応そんなことはあり得ないと突っ込んでおいたほうが良いでしょうか。ご存じかと思いますが、天空にあるのならば空を飛べる私が見つけられないはずがない」
「そうね。あなたの言い訳はあながち間違いではないわ。厳密にいえば鐘はこの世界には存在しない」
「……ほう。詳しく聞かせていただきましょうか」
「天喰らう双頭の魔狼が探している七つの罪宝の一つ、共鳴の鐘は、ソランディア上空、具体的には時計塔の上空に存在する。あなたならば、何故そこにあるのか分かるはずよ」
「……ああ、そういうことですか。ようやく納得がいきました。確かに黄金の鐘はあの場所にある。いえ、なければならない」
さっきから二人が何を言っているのか全く分からない。
だけど、聞き捨てならない単語はあった。
鐘。それは私を苦しめる全ての元凶。あんなものが存在しなければ、私はこんな目には合っていない。
どういう理由かは知らないが、二人は鐘を探しているらしい。
そういうことならせいぜい利用させてもらおうとしよう。このまま黙って聞いておけば鐘の場所を律義に教えてくれそうだ。
そうすればいずれ私の手で鐘を破壊することも出来るだろう。
「太陽の国ソランディアは、この大陸に存在する国の中で最も標高が低い。空から見ればまるで大きな穴が開いているような国に見えるでしょう。ですが、当時を知る私からしたら酷く違和感があります。何故なら——」
「かつてこの地に存在した国はもっと標高が高い場所にあったから、と言いたいのでしょう」
「ふ、ふふふふ、まるで見たことがあるかのような自信ですね。時間遡行の能力でも持っているのでしょうか?」
「あら、違ったかしら」
「いえいえ、正解ですよ。そう、かつてこの地には我々吸血鬼の楽園——大陸最大の巨大国家が存在しました。名をノクティヴァリス。月の国ノクティヴァリス。そう、まさに太陽の国ソランディアのちょうど上の位置に、ね」
「だけど、あなたが目覚めたときにかつてのノクティヴァリスの幻影はなかった。まるでこの大陸から月の国だけ丸ごと切り取られてしまったかのように」
「……私が封印されたのは国が消えるよりも前でしたからねえ。3000年も経てば国が滅びるのは当然ですが、ここまで露骨に月の国の痕跡が消えていると不自然だと言わざるを得ません。ですが、あなたの言い方から察するに、ただ消えたという訳ではなさそうですねえ……」
「勘がいいわね。その通りよ。月の国ノクティヴァリスは今も存在している。ただし、この世界ではない別空間に、ね」
「……その根拠を窺いましょうか」
「あなたの知っての通り、共鳴の鐘はかつて月の国で黄金に輝く偉大な鐘として月の国の象徴的存在とされていた。だけど、その能力の本質は、本来の名の通り共鳴にある。少なくとも私の知る限り、鐘が自分の意思で音を鳴らすような力は持っていないはずよ。ならば、現代のこの国で鐘のが聞こえるのは何故?」
「……ふむ。そうなれば誰かが鳴らしていると考えるのが自然ですねえ」
「そうよ。おそらく鐘の音は、異空間に存在する月の国の民が鳴らしている。そして鐘の位置がかつて存在していた場所と一致しているのであれば、月の国はこの世界に干渉できないだけで、かつてと全く同じ座標に存在していると考えるべきね」
彼女がそう言い終えると、グラークはしばらくの間沈黙し、思考に耽ているようだった。
一方のフェルマは、グラークの眷属である蝙蝠たちが運んできた紅茶に口をつけ、彼の思考が整理されるのを待った。
彼女が見つめている先、あの空の上に鐘が存在するのだろうか。
本来ならば今すぐ飛んで行って破壊したいところだけれど、物理的に干渉できない以上、それは難しいだろう。
「ですが、こちらの世界から干渉できないのならば、いったいどうやってあなたは鐘の位置を把握できたのでしょう。あなた程の方がまさか、適当な勘だとは言わないでしょう」
「無論よ。共鳴の鐘の音は、その名の通り音を通じて数多の生物に、それこそ境界を越えて干渉する力を持つのは知っているでしょう。音とは振動そのもの。いくら本体が異空間に存在するとはいえ、この世界で実際に鳴り響いている以上、必ずこの世界に物理的影響を引き起こしている。ならば鐘の音が発生したタイミングで空間を一時的に停止させれば、その発生源を突き止めることが可能になるわ」
「あぁ、無茶苦茶な方法ですが、あなたならば不可能ではなさそうですねえ……それで、これからどうするおつもりなのでしょう。私は鐘を見つけるまでの事しか聞いていませんからねえ」
「鐘が物理的にこの世界に存在しない以上、異空間に存在する月の国をこちらへ引き戻すか、あるいはあちらの世界へ侵入する必要があるわ。そこであなたの力が必要になるのよ。アルテ」
「……私?」
これまでずっとグラークと1対1の会話をしていたというのに、突然私の方へと振り向いて話を振ってきた。
フードから覗き込む瞳は相変わらず冷たく、鋭い。だけど不思議と恐怖は感じなかった。
「そう。共鳴の鐘の力で吸血鬼化したあなたの力が、ね」
「…………」
「恐らく月の国は、鐘の音に何らかの力や意思を乗せてこちらの世界へ干渉してきている。つまりあなたの体には月の国からの何らかのメッセージが込められている可能性が高いわ」
「だから私の体を調べさせろと言うの?」
「ええ、そうよ。もちろん殺して解剖したいと言っているわけじゃないわ」
「お断りするわ。私はあなた達の仲間になった覚えはないし、協力する必要性も感じない」
「あら、あなたがこうして望まない生活をしているのは月の国のせいかもしれないのよ? わたし達に協力すれば復讐のチャンスが巡ってくると思うのだけれど」
「だとしてもそれは私一人の問題。やるとしても私一人でやるわ。つまりあなたに協力する理由にはならない」
「そう……残念ね」
次の瞬間、周囲の温度が急激に低下するのを感じた。
体の芯から凍り付きそうなほどの冷気。じっとしていたらそのまま一生動けなくなりそうな感覚に陥る。
「——ッ! アルテ様! お気持ちは分かりますが、ここは一度彼女に協力しておいたほうがよろしいかと……」
「……あなたが私に意見をするなんて珍しいわね。言っていたじゃない。吸血鬼はこの世界において5本の指に入るほど強大で高貴な種族だと。ならその王の資格を持つ私が人間に従う理由などないでしょう」
「それは……無論その通りですが、彼女だけは例外なのです。何故偉大なる吸血鬼であるはずのこの私が本来の姿を失い、このような小さき姿に甘んじているのか……それはここにいる魔女に完膚なきまでに敗北したからに他なりません……! そのお体に眠りし真の力が覚醒した状態ならばともかく、今の状態ではおそらく——」
「……そう。でも関係ないわね」
そう言って私は無言で黒き血染めの破械槍を3つ生成する。
つい最近人間に防がれたばかりのような気がするが、本来ならば人間がこの槍を食らえば体に大穴が開くどころか、肉体が耐え切れず崩壊するレベルの威力だ。
無論この程度で殺せるとは思ってはいない。だけど、開戦の一撃としては十分すぎるだろう。
果たして避けるのか、防ぐのか。どのような対応をとるかは分からないけれど、1本でも命中したら即座に命を奪い取れる自信とともに槍を解き放ち——
「お姫様の教育がまるでなってないわね、グラーク」
次の瞬間、私の視界は白く染まり、意識は闇の底へと落ちていった。
「……申し訳ございません。この脆弱な身では、王たる資格を持つアルテ様に強く出ることは難しく……」
「言い訳は聞かないと言ったはずよ。鐘も見つけられず、お姫様と協力関係すら結べないあなたの存在価値を疑わなければならないわね」
「しかしながら、私には月の国に関する知識がございます。いずれ足を踏み入れるおつもりならきっとお役に立てるかと……」
「まあいいわ。お姫様にはこのまま少し頭を冷やしてもらうとして、計画を次の段階に進めるわ。異論はないわね」
「はい……」
物言わぬ氷像と化した私の前で、すっかり余裕を失ったグラークが、奥へと消えていくフェルマの背中を震えながら見送っていた。
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