4話 吸血鬼の因子を持つ者
「クロム、こんなところで何してたの? ルフランもアリアも心配してた」
「えっ、ああ、それはごめんなんだけどさ、なんでメイがここにいるの? 僕は森の中で迷子になっちゃったから、ここに住んでるアルテさんの家で一晩お世話になっていたところなんだけど……」
「クロムはぼくの獲物。だからちゃんとマーキングしてある。ニオイで追ってきた」
「ええっ!? 僕ってそんなに臭うの!?」
「ううん。ぼくの鼻がいいだけだから大丈夫。たぶん。それで、いったい何があったの?」
「ああ、そうだった。アルテさん、その姿はいったい……?」
何とも言えない複雑な表情でこちらの様子を窺うアルテの姿は、明らかに先ほどまでの人間のそれと違う。
蝙蝠のような羽、口元で僅かに見える鋭い牙、目の形、爪など、見れば見るほど人間離れした異形の姿。
深紅に染まった槍は構えたままだが、今すぐ襲ってきそうな雰囲気ではない。もちろん、逃げる様子でもないようだ。
「……はぁ。やっぱり、似合わないことはするものじゃなかったわ。ごめんなさい」
「あー……えっと、僕は今起きたばかりなのであんまり状況を把握できてないんだけど、もしかして僕に何かしようとしていました?」
「こいつ、クロムのこと食べようとしてた。ぼくが来るのが少し遅れてたら、クロム、死んでた」
「えええっっ!?」
「違うわよ。血をちょっと分けてほしかっただけよ。見ての通り、吸血鬼なの。私」
「吸血鬼……? ああ、夜行性で人間の血を吸って生きているっていうあの吸血鬼ですか! へぇぇ、初めて見ました!」
「……随分と変な反応をするのね。普通、もっと驚いたり怯えたり嫌悪感を持ったりするものじゃないの?」
「いやまあ、びっくりはしましたけど、そういう種族もいるってことは昔なにかの本で見ていたので」
「……そう。まあ、そこの変な竜ともお友達のようだし、そういうのには慣れているのね」
「む、変な竜呼ばわりされるのは心外。お前なんか僕の周りをちょこまかと飛んでるコバエと変わらない」
「あら、それなら今はそんなコバエ一匹すら追い払えないほど弱っているのかしら」
「……そんなにぐちゃぐちゃに潰してほしいならそう言えばいい。望み通りにしてやる」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。とりあえず目が覚めちゃったからまたあのお茶でもいただいていいかな? その方がいろいろとゆっくり話せると思うんだけど……」
「そうね。強がっては見たけど、流石に二対一では勝てそうにないわ。さっきお茶したところに移動しましょう」
「ええ、そうしましょう。メイもそれでいい?」
「……クロムがそう言うなら我慢する」
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
アルテに案内され歩いていく中で少しずつ意識が定まってきて、まず感じたのは爽快感だった。
言葉で表すのならば、久しぶりによく眠れたというべき状態だ。
思えば、母が亡くなってから一度も満足に睡眠をとれたことがなかった。エルミアさんに拾われてからは身の危険を感じる場面が大幅に減ったとはいえ、一度染みついた癖というのはそう簡単に抜けるものではない。
常に周囲に意識を張り巡らせ、いかなる状況にも即座に対応できるように警戒しながらの仮眠という形でしか眠りにつけていなかったからこそ、気分よく目が覚めるというごく当たり前のことが不思議に思えて仕方がなかった。
師匠直伝の蒼気をコントロールした休息方法を取っていることからこれまでの仮眠でも十分疲労は回復で来ていたが、今回はわずか数時間の睡眠だったにも関わらずそれ以上の回復効果を得られている実感があり、気分がとても良い。
だが、同時に襲い掛かってきたのは恐怖だった。
襲ってきた吸血鬼そのものが怖いというだけではない。
彼女がこの体に直接触れるその瞬間まで、一切気付くことが出来なかったということ。
それは自らの警戒心が取り返しのつかないレベルまで落ちてしまっていたことの証明であり、何より恐るべき事実だった。
今回はメイの介入があったことにより救われたが、もし本当にアルテが自分を殺そうとしていたら、次に目が覚めたときはあの世だったかもしれない。
実家を出てから寝ているときに体に触れられたことに気づけなかったのはこれで二回目だ。
一回目は最初にエルミアさんに拾われたときだ。あの時は寝たというよりは極限状態で意識を失ったというのが正しいが、それはただの言い訳だろう。
だが今回はなんだ。寝付いた時点でまったく疲れていなかったというのは当然嘘になるが、あんな近くまで接近され、しかも近くで激しい戦闘を始めていたことにすら気づけなかった。
一服盛られたと考えるのが自然だが、それすらも理解できないまま眠りについたことも普段の自分だったらあり得ないミスと言わざるを得ない。
「クロム」
「……え、あ。うん。どうしたの?」
「次あいつが何か変なことしたらバラバラにするから」
「あー……できればちゃんと話をしたいんだけど……」
「だから、安心していい。クロムはぼくだけの獲物だから」
「それって本当に安心していいのかなぁ……まあでも、ありがとう」
メイの一言で浮ついていた意識が一気に現実に引き戻された。
恐らく思考が悪い方向へと向かっていることを察されてしまったのだろう。メイは「自分の獲物だから誰にも渡さない」と言っているが、本当に食い千切られるわけではなく、単に魔力補給場として噛みつかれるだけなので、都合の良い捉え方をするならば「ぼくにとって役に立つ存在である限りいろんな敵から守ってあげる」と言っているようなものだ。
エルネメス王国である程度の力を取り戻した彼女だが、冥界と違ってこの世界ではまともにエネルギー補給が出来ないことに変わりはないので、メイに適合する魔力を作り出せるクロムは生命の維持に必須の存在となっているらしい。
だがそれでもキュウキュウと鳴いているだけの貧弱な小竜だった頃と比べると、メイは十分に戦力として数えられるレベルで強くなっている。正直なところ、クロム自身も彼女と真正面から戦っても確実に勝てるとは言い切れないので、腐っても冥界の竜神を名乗るだけのことはあるのだろう。
(それにしても吸血鬼、か。確か大昔は大陸のあらゆる生命の頂点に立つ”王”の種族だったと本に書いてあったけれど、正直アルテさんからはそこまでの圧は感じないなぁ……)
もちろん只者ではないことくらいは分かる。だが、こうして後姿を見ていると、化け物などとは程遠いごく普通の少女にしか見えないのだ。
それはアルテという少女が決して油断ならないことの証明に他ならない。なぜなら”分からない”ということが、この世界において最も恐ろしい事なのだから。
普段は強がっているけれども、体の奥底に押し殺したままの弱い心はいまだに消えていない。心の揺らぎ――魂の揺らぎは蒼気を鈍らせる。弱さを表に出してはいけない。少なくとも、強くない自分に明確な価値を見出すまでは強く在らなければ。そうでなければ、この世界では生きていけないのだから。
改めて自らを律することで、今まで見えていなかったものがはっきりと分かるようになった。
(……何故、気づかなかった? この城は明らかに”違う”じゃないか)
建物それ自体に異常性はない。違うのは空気だ。この場に漂う空気は、明らかに城の外のそれとは異なる雰囲気を醸し出している。
単純な言葉で表すのならそう、異世界だ。普段人間が暮らす領域には本来存在しえないものがこの城内を満たしている。
だけど、それに対する不快感はない。むしろ高い親和性すら感じるほどに、この場所は居心地が良かった。それはまるでこの場所こそが自らの居場所であるかと錯覚するほどに――
「――ッッ! 何を考えているんだ僕は……」
「……? どうしたの、クロム」
「いや、改めてアルテ見ると、ちょっと違和感を覚えてさ。この場所、ちょっと変じゃないかなって」
「……そう? ぼくは普通だと思うけど」
「うーん……勘違いならいいんだけど、何故か急にここが居心地のいい場所であるかのように感じちゃってさ。やっぱ疲れてるのかな」
「確かに、居心地はいいかも。ぼくの元々いた場所にちょっとだけ似てる」
「冥界に……? だとしたらここは……」
「そんなところで立ち止まってどうしたの? 何か気になることでもあったかしら」
「え、あっ、なんというか――ッ!? 妖刀が――」
急に手に持っていた妖刀が震え、輝きだした。あの時、強大なドラゴンを欲して騒ぎ出したときのように、クロムに対して激しく訴えかける。
直後、体の芯を揺らすほど深い鐘の音があたり一帯に響き渡った。
「――ッ! なんで!? まだいつもの時間じゃないのに、なんであの鐘が!!」
「クロム、警戒して。何かが起こる」
「なにかって、いったい何が――」
「ッッッ!! 離れて! 今すぐ城を出て!!」
「え?」
「時間がないのよ!! はやくッッ!!!」
「――クロム!」
「ちょっ、メイ!? アルテさん!?」
瞬時に危険を察知したメイに強引に引っ張られる。翼をはためかせ、猛スピードで廊下を駆け、閉まったままの扉へと突っ込もうとしたその瞬間、
「メイ、危ない!」
「くっ!!」
クロムは強引にメイの手を振りほどき、妖刀を抜く。そして猛烈なスピードで飛んできた紅き槍を強引に受け止めた。
だが、無理な体勢から構えたせいで、完全に叩き切ることは叶わず、背後のメイごと扉を突き破って外へと追い出された。
幸い腹に大きな風穴を開けずに済んだが、勢いよく地面を転がる羽目になってしまったため、全身が痛い。それでも無理やり起き上がると、その先にいたのは、槍を放り投げたまま硬直したアルテだった。蝙蝠のような禍々しい翼を広げながら、ゆっくりと顔を上げる彼女の姿は、もはや異形の化け物と遜色ない。深紅に染まった月のような瞳がこちらを強く睨みつける。
だが、何かに抗うように強く拳を握り締め、息も荒く、とても正常な様子には見えない。その様子から察するに、おそらく彼女は、
(暴走している……?)
先ほどまでの穏やかな雰囲気はどこへやら。今の彼女はこちらに対して明確な敵意を示している。
気が付くと、もう間もなく日が昇り朝を迎える時間に至っていた。
「はぁ、はぁ……もう、空が……あぁ、そういうこと、なのね」
「アルテさん、いったい何が……」
「……悪いけれど、私はあなた達を生きて返すことが出来なくなった。止めたければ鐘を……いえ、私を殺すしかないわ」
「くそっ、何が何だか分からないけど、やるしかない!」
「コバエのくせに、調子に乗りすぎ。やっぱりぼくの手で殺す」
状況はイマイチ理解できていないが、こちらが死にかねない攻撃を仕掛けてくる時点で敵として迎え撃たなければならない。メイもここまでコケにされたことに腹を立てているのか、強烈な殺意を持ってアルテと対峙していた。
今この瞬間もアルテを豹変させた元凶と思しき鐘の音はうるさく鳴り響いている。ただの鐘を叩いた音だけではなく、何か強い意志や言葉を乗せた音だ。吸血鬼ならざるクロムたちにはその真意は測りかねるが、この音が彼女に対して悪影響を与えていることは間違いないだろう。
改めて問いただすためにも、アルテを無力化する必要がある。明らかに危険な状況にもかかわらず、冷静でいられるのはメイのおかげだろうか。だが、いつまでも落ち着いてはいられないだろう。
「黒き血染めの破械槍」
黒き雷鳴を纏った禍々しい槍がアルテの真っ白な手のひらに握られた。
もはや言葉はなく、凄まじい速度でこちらへと投合される。クロムとメイは即座に空中へと跳び上がり回避した。だが、まるで糸で操られたかのように槍の軌道が変化し、逃がすまいと空へと打ちあがる。その狙いは当然——
「やっぱり僕か!」
豹変前の出来事とは言え、アルテはクロムを狙っていた。だからこそ、追撃があるとすれば自分が先だろうとクロムは認識していた。
恐ろしいスピードと迫力を持って迫りくる黒き槍。まともに食らえば当然ただでは済まない。判断ミスは死に直結するだろう。
「妖刀!!」
クロムは静かに妖刀に呼びかける。あれほど密度の高い槍を叩き落とすには、同量のエネルギーを纏った一撃をぶつけるしかない。
この妖刀は人智を超える莫大なエネルギーを貯めこんだ兵器だ。もはや剣技もクソもない、純粋な暴力を振り下ろす。
「はああぁぁっっ!!」
振り下ろした刃は槍に接触する前に、槍が纏う莫大な魔力が作り出したエネルギーの幕に阻まれた。
溢れ出る紫の光と黒き雷鳴が激しくせめぎ合う。持ち主の手を離れたはずなのにその勢いは一切衰えることなく、妖刀ごとクロムの体を突き刺さんとその勢いを緩めることはなかった。
だが、
「ぐ、おらあああっっっ!!」
クロムはそれを強引に押し返し、地面へと叩きつけた。凄まじい勢いで落下した槍は爆音とともに森に大きなクレーターを作り、消滅する。あれは実態を持つ槍ではなく、アルテの手によって作り出された魔法の槍だったのだろう。
だが休んでいる暇はない。槍のターゲットから外れたメイはアルテに対して苛烈な攻撃を仕掛けていた。
「死ね」
シンプルな殺害予告から繰り出されたのは竜化した右腕による悍ましい爪攻撃。
猛スピードで接近し、毒々しいオーラを纏った爪がアルテを引き裂かんと空を斬る。
「——ッッ」
アルテはやや驚愕しながらもそれを間一髪でかわし、左手のひらに作り出した黒き炎雷をメイの体へと叩きつけた。
だが、メイはそれに意も介さず新たに発現させた巨大な翼をはためかせ急上昇する。
「竜の翼は強靭無敵」
「ぐぅっ!?」
己の翼の頑丈さを完全に信じた急上昇突進により、自らに向けられた炎雷ごと大きく吹き飛ばす。
そしてすぐさま反転し、竜化させた足をアルテの腹に叩き込んだ。
自在に空を蹴れるクロムですらあれほど自由に空中で移動することは難しい。流石は空の覇者たる種族と言ったところだろうか。
そして鋭い蹴りを叩き込まれたアルテの体はそのまままっすぐクロムの方へと飛んできた。
「クロム!!」
「っ! 分かった!」
これは明らかに意図的だ。いまだにアルテは体勢を立て直せていない。こんな無防備な状態で目の前に運び込まれたとなれば、それはトドメを刺す絶好のチャンスということになる。
(アルテさん……)
妖刀を高く構えながらも、ほんの一瞬の間だけ躊躇いが生まれる。これは明らかに彼女の意思で仕掛けた戦いではない。それでも、引くことが出来ない事情があるのだろう。
だからと言ってここで斬らなければ、彼女を止めることは出来ない。止めたいならば殺せと、アルテ自身も言っていた。
「至天水刀流奥義——」
「!!!」
一瞬アルテと目が合った。だけど、クロムにはこの状況で躊躇うという考えはない。
蒼気と妖力を纏った刀を勢いよく振り下ろす。
「大瀑布」
溢れてた蒼と紫の光が津波のごとく広がっていく。クロムが持つ剣技の中で最も高い破壊力を持つ奥義をもって、アルテの華奢な体を両断した。
綺麗に引き裂かれた断面からは遅れて鮮血が噴出して——
「えっ?」
来なかった。その代わりに、アルテの体から無数の小さな蝙蝠が湧きだしてきた。一体どこから、と思ったが、よく見てみるとバラバラになったアルテの体が蝙蝠に変身しているではないか。やがてアルテの体は影も形もなくなり、無数に飛び散った蝙蝠はある一点めがけて集合していく。
それらは急速に融合し、足から順に元の体である吸血鬼の少女の姿を形どって言った。
「蝙蝠への変身能力……これも、伝承通りってわけか」
「厄介。めんどくさい」
「どうする? メイ。逃げる?」
「逃げない。殺しても復活するなら復活できなくなるまで何度でも殺せばいい」
「そうはいってもそんな簡単にいくかなぁ」
「復活するのだって何も代償がないわけじゃないはず。ぼくだって体の再生するときはたくさん魔力を使わないといけない」
「……そっか。なら無力化できるまで頑張るしかないかな」
アルテは無表情のまま、感情を失った虚ろな瞳でこちらを見ながらも、先ほどの黒き血染めの破械槍を今度は両手に顕現させた。
次はメイも一緒に狙うつもりなのだろう。その密度は先ほどのそれと何ら変わらない。食らえば当然ただでは済まないだろう。
「メイ、来るよ」
「うん。叩き落す」
直後、黒き槍が勢いよく放たれる。
気づけば間もなく東の空から夜が昇ろうとしていた。




