3話 深紅に染まる月の下で
「……妙だ。ヤケに体が軽い。それに確か僕はアルテさんの城で寝ていたはずでは……?」
意識が覚醒したと思えば、気が付くと深紅に染まった満月の下を漂っていた。
どういう原理かは分からないが、進みたい方向へ意識を向けると体が自然と動く。
どうやらまだ夢の中の世界のようだ。
少し進んでみると、見覚えのある建物が現れた。
アルテに案内された城だ。だが、周りの景色がまるで違う。
深い森の中に立っているはずの城は、何故か巨大な城下町の中心部に位置していた。
しかも、よく見ると城の最上層付近で人の形をした何かが大量に集まっている。
とても危険な予感がしたが、好奇心が抑えきれず近づいてみると、そこにいたのはまるで物語に出てくる悪魔のような真っ黒の翼を生やした人型の生命体。
彼らはその翼を羽ばたかせることなく宙に浮いている。この世界に浮遊できる生命体は少なからず存在するが、竜種のように種全体が浮遊の性質を持っている種族は、ほぼ例外なくこの世界の最上位の存在として扱われる。
吸血鬼。後の世代ではほぼ現存しない希少種族であると語られているが、何千年も昔には確かに存在していたことが記録に残されている。
今日は祭りか何かなのだろうか。言葉は理解できないが、皆歓喜しているのが分かる。
そしてそれに応えるように王たる風格を備えた白髪の大男は、その体格に負けない巨大な槌を大きく構え、背後に備えられた黄金の鐘を叩き鳴らした。
「ぐぅぉ……」
体全体を揺らすような重い音が襲い掛かる。
声は聞こえないのに、鐘の音だけははっきりと脳に響く。
耳を塞いでも、目を瞑っても、何をしても逃れられない。
それと同時に、次々と見覚えのない景色が頭に流れ込んでくる。
若くして王冠を受け取る王。虐げられる人々。憎たらしき太陽。最も発展した夜の種族。出口のない迷宮。聞き飽きた鐘の音。それでも鳴らす。遠き地の誰かに届くように。
繰り返し。繰り返し。何度も。何度も。いつか彼らを救い出す真なる王のために。
「――っは!」
「!!」
「クロム……?」
目を覚ますとそこは、見覚えのある部屋の中だった。
どうやら悪い夢を見ていたようだ。額を拭うと汗がべったりと付いていた。
「……あれ? アルテさんと、メイ? なんでこんなところに……?」
気が付くとクロムのベッドの前で、二人の少女が対立していた。
一人はこの城の主、アルテ。そしてもう一人は、旅の仲間である竜少女、メイだった。
何故このようなことになっているのか、それは少し前に遡る。
♢♢♢
「――ぐっすり眠っているわね」
本来人など寄り付くはずもない森を彷徨っていた冒険者の少年。
訳あって少し深い眠りについてもらった。
別に薬を盛った訳ではない。体の奥底に眠る疲労を刺激して、生半可なことでは起きないようにしただけだ。
事が済めばきっと心地よい目覚めに至るだろう。
「……ごめんなさい。あなたを見ていると、どうしても衝動を抑えきれないの」
それは2度と抱くまいと思っていた衝動。
彼女が人里離れて暮らしているただ一つの理由。
人と触れ合ってしまえば、どうしても抑えきれない本能。
最近は少し話した程度なら我慢できないというほどではなくなっていたはずなのに、どうしてかこの少年は彼女の欲を強く掻き立てた。
「……ちょっとだけ。ちょっとだけよ……」
ゆっくりと少年が眠るベットに迫るアルテの姿は、人間のそれから少しずつ離れていく。
蝙蝠の如き羽を生やし、鋭い牙を光らせたその姿はまさに吸血鬼。
その名の通り人間から血を吸い上げて自らのエネルギーとする、人類の敵と言うべき旧き種族だった。
この細く白い首筋に牙を突き立てて、ほんの少し、血を分けてもらうだけ。
たったそれだけでいい。だけど、真正面からお願いしたところで、受け入れてもらえるはずのない願い。
だからこうして、深い眠りについているうちに――
「おまえ、何してる?」
「――ッッ!?」
口を開き、クロムの首に迫ろうとしたその瞬間、無機質だが重い声がアルテの耳に突き刺さった。
強烈な悪寒を覚え、慌てて距離を取る。そして声がした方へと向くと、そこには占めていたはずの窓の淵に腰掛ける一人の少女がいた。
鋭い二本の角、そして吸血鬼のそれよりもやや大きな翼、そして濃い紫色の立派な尻尾を揺らしている。
端正だがその表情はひどく無機質。されどこちらを見下ろす瞳は紛れもなくこちらに敵意を持っているだろう。
「まさか、竜人……?」
「おまえ、何者? クロムはぼくの獲物。なに勝手に食べようとしてる?」
「なっ……まさか彼が言っていた仲間……? いえ、それなら獲物という言い方はしないはず……ならばなぜ?」
「なにブツブツ言ってる? 今すぐクロムから離れないと――殺すよ?」
「……断る、と言ったら?」
小柄ながら凄まじい圧を放つ竜少女を前に、僅かに気圧されながらも反抗の意思を示す。
いくら強大な竜種といえど、アルテは自らの力に自信があった。
例え攻撃されたとしても受け止める自信があったからこその答えだ。
だが、それに対する竜少女の答えは淡白なものだった。
「それでもいい」
竜少女は座っていた窓から降り、ゆっくりとこちらへ向けて歩いてきた。
先ほどまで感じていた圧力が薄まった気がする。もしかすると話が分かるタイプなのだろうか。
だとしたら交渉の余地はあるのかもしれない。そう思っていたのだが――
「だったら死んでもらうだけ」
「ッッッ!!」
アルテは即座に身をかわす。直後、先ほどまで自分が立っていた空間は、恐ろしく鋭い爪によって引き裂かれていた。
少しでも避けるのが遅れていたら即座に体をバラバラにされていたことだろう。
アルテは虚空から得物である紅き槍を取り出し、構える。
あまり派手なことをすればクロムが目覚めてしまうが、今はそんなことを言っている場合ではない。
ここで引けば命はない。竜は一度目を付けた獲物は絶対に逃がさない。ならば、ここで戦う他ないのだ。
そう思っていたのだが――
「……あれ? アルテさんと、メイ? なんでこんなところに……?」
予想よりも遥かに前にクロムは目を覚ましてしまった。




