まつろわぬ者ども・後半
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同じ頃、チルバの一角にとある酒場にて――
照明も灯っていない店内で、仕事にあぶれた獣人たちが昼間から酒を飲んでいた。
夜間営業停止になってから客はおらず、カウンター席をこれだけの人数が取り囲んでいるのは久々だった。
「最近、俺らの仲間がどんどん当局に捕まってるみたいだが……」
カウンター席に座っていた馬の獣人が浮かない顔で声を落とした。
「南の方へ連れてかれてるらしいが、詳しくは分からん」
「どうせ殺されちまってるよ、今頃」
豚や狼の獣人たちがふて腐れたように答える。埃っぽい空気の中、彼ら皆一様に沈んだ表情だった。
「ケッ、ケダモノ、ケダモノ、って何かにつけてイチャモンつけてきやがって。誰が手伝ってやったからあの橋が完成したと思ってんだ」
一人の泥酔した魚人が醸造酒を呷りながら管をまいた。
「生まれも育ちもハルホルトでも、まつろわぬ者どもの末裔は百年経っても王国民にゃなれねえのさ」
「そもそも俺らは人間ですらねえしな」
彼の隣に座っていた獣人たちはくさくさした様子でそう言った。
「『クソ売女と祖国に万々歳(フラー・フェルン・シュカーラ・イア・ヴァツァトラーダ)!』」
魚人の男は国歌の一節に合わせてそう歌うと、空になった瓶を握りしめたままその場に突っ伏した。この替え歌が面白かったのか、酔っ払いたちは聞き苦しいほどに音を外しながら、
「『神よ(テースィ)、我らがクソ売女を守りたまえ(ラーディス・ジャス・フェルン・シュカーリ)!』」
などと皆で歌い出した。
すると、一番隅の席でぬるいビールを啜っていた一人の男がカウンターをバン、と叩いて立ち上がった。
「……俺ぁもう我慢ならねぇ」
あのベンだった。ベンは怒りに肩を震わせると、その場にいた全員の顔を見回した。
「このまま同胞がむざむざ殺られるのを、ただ黙って見過ごすワケにはいかねぇよな?」
ベンは拳を振るい、仲間たちをけしかけた。
「そらそうだけど……、どうせ憲兵に捕まるだけだぜ?」
仲間の一人が忠告するも、ベンは聞く耳を持たない。
「ケダモノでもまつろわぬ者でも何とでも言いやがれ。あのクソどもにノルディアの誇りってもんを見せつけてやる」
ベンは強気だった。というのも以前、彼は港湾労働者組合の一員としてストライキを起こし、待遇改善などの要求を通した経験があったからだった。
「明日蹶起する。王宮へ向かって行進してやる」
彼の目は本気だった。
すると、彼の周りにいた飲んだくれたちは口笛を吹いてベンを囃したてた。
「まつろわぬ者どもよ、立ち上がれ!」
「今こそ百年の軛からノルディアを解き放つときだ!」
意外にも、彼に賛同するものは少なくなかった。
「お前らみんなバカか? 命が惜しくないのかよ?」
一人の冷静な獣人が憂い顔で彼らを諫めたが、ベンはバッサリと切り捨てた。
「命だぁ? 命ごときが惜しくて反乱なんてやってられるかよ」
それはノルディア併合以来、何度も繰り返されてきたことだった。
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明日発つために荷物をまとめていたペーティルは一冊の本を見つけた。それは彼が愛読していた歴史の本で、この日の夜寝付けなかった彼はその中のある一節をずっと読んでいた。
百年前、ヴァドリア王国の領土拡大に伴って徴兵された者のうち、ノルディア人兵士はかなりの割合を占めたという。そしてその中で、実際に戦地に赴いて再び故郷の土を踏めたものは僅かだった。
――僕が死んでも、僕の事なんて一行も書かれないだろうな。
ペーティルはその本を閉じた。
彼が感傷に浸っていると、朝方家の外から群衆の歓声が聞こえた。
抗議集会なのか、それとも本格的な暴動なのか、いずれにせよ――
「バカは止めても聞かない、か……」
こないだも止めたのに、とペーティルは独りごちた。
するとそこへマリーシャがやってきた。
「……寝てないの?」
彼女は寝巻のままペーティルに話しかけた。
「マリーシャこそ、寝てないのか?」
マリーシャは頷かなかったが、目の下にひどい隈があった。
そんな彼女を前にペーティルは思いつめた表情でこう切り出した。
「マリーシャ……。僕はもう行かなきゃいけないけど、とりあえず君だけでも逃げろ」
彼女は意味が分からないというように聞き返した。
「……逃げるってどこへ?」
するとペーティルは意外なことを言った。
「ノルディアだ」
彼はさらに続けた。
「そこで家族や友達と合流して、ノルディスタからまた外国へ行く船に乗るんだ。いいか、できるだけ早くするんだぞ?」
戦争の足音はすぐそこにまで迫っていた。
「今から屯所に行くついでにダーリウに話をつけてきてあげるから、ノルディスタ行きの船に乗せてもらいな。ノルディ海峡は軍に封鎖されてるから、どうせ普通の船じゃ通してもらえない」
ペーティルは宙を見つめながら、早口で独り言のように話した。
しかし、彼の話が穴だらけであることはマリーシャにもよく分かった。
「……そんなこと、できっこない」
彼女が呆れたようにそう言うと、ペーティルはいよいよ声を荒げた。
「できないなら、精々海峡を泳いで渡ってでもノルディアへ逃げろよ。そんなこと、人魚の君にとっては子供のお遊びだろ?」
怒気の滲んだ苦笑、泣き笑いのような顔――
ペーティルがマリーシャを思いやる余裕もないほど追い詰められているのは明白だった。
「パンにバターを塗るみたいな言い方しないでよ」
売り言葉に買い言葉でそう切り返したものの、マリーシャは一度深呼吸をしてからあくまで冷静に問いただした。
「……そうじゃなくて、アタシ一人で逃げたらペーティルはどうなるのよ?」
ペーティルは視線を床に落とした。
「僕は兵士になる。もう他に選択肢はないんだ」
まるで固い決意に満ちて、彼はそう言い放った。
「僕は大丈夫さ。まぁ、従軍すればしばらくは食べるのに困らないし、多少は金も出る。上手く生き残れば――」
「そんなのウソよ!」
今度はマリーシャが声を荒げた。彼女の言葉に驚いて、ペーティルは思わず次の言葉を口にするのを躊躇った。
「そりゃあマリーシャはバカだから、こんな見え透いたウソでも当然見抜けないわよね?」
マリーシャは引きつった顔でキッ、とペーティルを睨みつけた。
とうとうこんな皮肉を言い出した彼女に、彼も流石に心を痛めた。
「マリーシャ……、この通り、確かに僕は至らない男だ。いつも言葉が足りなくて、君を傷つけた。でも、これは僕の最後の頼みなん――」
「そんなのクソくらえだ!!」
マリーシャは自分の胸を叩き、それからペーティルを指さした。
「アタシはね、アンタと一緒じゃなきゃイヤなのっ! そうじゃなきゃ、どこへも行かないわっ!」
それはただのわがままでしかなかった。
「そうじゃなきゃ……、どこへ逃げても意味なんてないわ……」
クシャクシャの顔で声を上ずらせるマリーシャ――彼女の紅潮した頬の上を一筋の涙が流れた。
女の子を泣かせてしまったことについては罪悪感があったが、これにはペーティルも困り果てた。
「……じゃあ、どうするんだよ? 何か他に手立てはあるのかよ?」
この時、マリーシャは沈黙したまま窓の外を流れる川を見つめていた。
彼女はベンよりもずっとバカだった。




