強制収容
七月一日、隔離区域に留まっていたマリーシャとペーティルの二人は食料の配給を得るため列に並んでいた。食料品の一部が配給制に変わったからだった。
この一週間でチルバは一気に物々しい雰囲気に様変わりした。
町全体を取り囲むように鉄条網つきの柵が設置され、銃を持った憲兵が門からの人の出入りを監視する様子はもはや強制収容所であった。
夏の暑い日差しの中、マリーシャは並んでいる間近くの人と立ち話をして気を紛らせていた。
「――それでさぁ、憲兵が突然ウチの中へ入ってきて、いきなり銃を突き付けて『今すぐチルバへ行け』とか言ってきたのよ」
強制収容されてきた一人がそう言うと、「アタシもよ」「僕も」と後ろに並んでいた人々も次々と声を上げた。
「それはお気の毒に……。それで、今はどちらに住んでらっしゃるの?」
マリーシャが同情気味に尋ねると、彼らはため息をついて、
「馬小屋に寝泊まりしてるよ。『動物同士仲よくしな』って」
ベンの紹介で少なくとも人家に寝泊まりしているマリーシャもこれには閉口した。
一方、ペーティルの背後では――
「食堂も酒場も夜間営業停止だってよ。ったく、どうしろってんだ」
「しばらくは酒が飲めねぇな」
「アンタらはただ飲めりゃいいんだろうけど、こちとら生活がかかってんだよ!」
二人の獣人がそんなことを話していると、その後ろにいた中年の人魚の男がぼやいた。
「俺なんか漁船没収されちまったよ。軍がノルディ海峡を通る船を監視してるみたいだ」
彼は額の汗をぬぐいながら、もう一方の手で海の方を指さした。
あの日の事件以来、ノルディ海峡の自由な行き来が難しくなったため物流が滞り、ハルホルトでは物価が高騰していた。
ここでペーティルが彼らに尋ねた。
「結局、橋を爆破したのは一体誰なんですか? 何も首都まで攻撃する必要はないでしょうに」
ペーティルもノルディスタでの暴動のことについては聞いていたが、まさかハルホルトから目と鼻の先でこんな大規模なテロが起こるとは思っていなかったのだ。
首都ならまだ安全だろう――そう思ってマリーシャを呼んだのに、これでは本末転倒であった。
さてなぁ、と三人が首を傾げていると、近くで新聞を読んでいた別の男が口を挟んできた。
「政府の発表じゃ『ノルディア軍』とかいう連中の仕業らしい。なんでも、『我らが神々の名の下に王国の蛮行に天の裁きを下す』んだそうだ」
この言葉を聞いて、先ほどの獣人の一人がふて腐れたようになるほど、と笑った。
「はーん、それでわざわざ夏至祭の日に合わせてドカァン、と祝いの花火を打ち上げてくれたってワケか。ありがてぇこった」
すると他の獣人たちも口々に、
「北部のためとか言って同胞を殺すとは……」
「あの売春婦の息子どももさぞかし俺らが大事なんだろうよ」
「所詮南にいる半人半獣は裏切り者、ってか」
などと不満の声を上げた。
しかし、これに真っ向から反駁するものもいた。
「おい、てめえら。さっきから好き放題言いやがって。北部が真の分離独立を勝ち取るには多少の犠牲は必要なんだよ」
一人の若い獣人の男が苛立った様子で唾を飛ばして叫んだ。
「多少だと? 何人死んだと思ってるんだ、この豚野郎」
「お前、北部が王国と戦争して本気で勝てるとでも思ってるのか?」
周りから総攻撃に遭って、男は毛を逆立てて威嚇した。
「んだと、この王国の雌犬が」
男が恐ろしい剣幕で殴りかかる構えを見せたところで、食料の分配をしていた女性が迷惑そうに怒鳴った。
「アンタら、とりあえずキレたら何かにつけて『シュカーラ』、『シュカーラ』って叫んでるけど、雌犬に失礼だと思わないのかい?」
その犬の獣人女性は曇った表情で皆を諫めた。この時誰かがブッ、と吹き出したおかげで、この日は結局ケンカにはならなかった。
●
隔離区域に指定されたチルバは、元よりハルホルト最大のノルディア人コミュニティであった。
今世紀初頭、北部を襲った大飢饉から逃れようと多くのノルディア人たちが国内外に流出したが、その中には「海外で豊かな暮らしができる」など謳う人身売買業者に言葉巧みに騙され、二束三文で売り飛ばされたものも多かった。彼らは家畜輸送船に載せられて半島のすぐ対岸にある首都ハルホルトに送られ、やがてこの貧民街に流れ着くのであった。
職業・居住ともに差別された彼らは主に、男性は土建業や港湾労働といったきつい肉体労働、女性は売春等に従事し、こうして一部の地域に固まって住んでいた。
●
様子が変わったのは次の日だった。
早朝、遠くから何やらワー、という群衆の叫びが聞こえてマリーシャは目を醒ました。寝ているところを急に叩き起こされて頭痛に悩まされていると、今度はドドド、という激しい足音が家の前を駆け抜けていった。
「……今度はなにごと?」
髪もボサボサのまま部屋の窓から外を見やると、家の前の路地に近所の人たちが集まっているのが見えた。彼らは一様に不安げな顔で、何やらひそひそ話をしている。
するとそこへ、顔を隠すように深く帽子をかぶったペーティルが戻ってきた。
「もう起きてたの?」
彼女が二階から尋ねると、ペーティルは手を振り返した。
「うん、ちょっと町の様子を見てきた」
「何があったの?」
するとペーティルは少し声のトーンを落として、
「昨日、爆破事件の容疑者として捕まってた半人半獣たちが、ロクに取り調べも受けないまま全員銃殺刑になってたみたいなんだ。それでみんな怒り狂ってる」
「なんですって!」
――昨日って、まだ一週間も経ってないじゃない。
マリーシャはひどく憤った。
「そんなの許せない。関係ない人も捕まえて殺しちゃうなんて、半人半獣は全員独立分子だとでも思ってるの?」
自分自身が巻き込まれたこともあって、彼女は人々が意に反して不当な扱いを受けることがどうしても許せなかった。
「決めた。アタシも抗議する」
するとペーティルは目を白黒させて彼女を宥めた。
「こ、抗議しに行ったノルディア人たちもどんどんまた拘束されてるみたいだし、そこに突っ込むのは、なんていうか、生き方として賢くないんじゃないかな……」
彼はそう言って情けなく笑った。
「アタシがバカだって言いたいの?」
「こないだ危ない目に遭ったばかりじゃないか。また憲兵に捕まって牢屋にぶち込まれたくないだろ?」
――それはそうだけど……。
マリーシャは納得しかねた。
「危ないからマリーシャは大人しく家に残ってて。ね?」
ペーティルは強い口調でそれだけ言い残すとマリーシャに背を向けた。
「でも、食料の配給が――」
彼女の質問には答えず、ペーティルは再び表通りの方へと姿を消した。
夜になってやっと戻ってきたペーティルは、山のように食料を抱えていた。
「……どうしたの、こんなにたくさん」
「ベンさんにもらった。いいから早く中へ入って」
ペーティルはマリーシャに荷物の半分を押し付けると、急いで部屋に戻ってドアのカギを閉め、さらにカーテンも閉めた。
「……ひどいわ、私を一日中家に閉じこめて」
マリーシャはリンゴやパンが入った袋をテーブルの上に置きながらペーティルを詰った。しかし彼はマリーシャの方を見ようともせず、椅子にドスン、と腰かけた。
「食料は僕が調達してきてあげるから君は家にいな、外に出たら何されるか分からないし」
ペーティルの話では、この件でそれまでノルディア軍を責めていた人々も一転して反王国感情を募らせているらしく、憲兵の取り締まりもより一層厳しくなっている、とのことだった。
「このまま本当に内戦になるのか……。そうなったら北部も王国もおしまいだ」
ペーティルは頭を抱えてうなだれていたが、ハッ、と顔を上げた。
「いっそ国外に逃げようか。とりあえず一番近いのは帝国だけど……」
実際、大飢饉のときも数多くのノルディア人が国外に脱出しており、確かに選択肢としてはあった。
だが、マリーシャはすぐさま反対した。
「アタシは王国に残るわ。北部には家族も友達もいるのに、みんな見捨てて自分たちだけ逃げるっていうの?」
するとペーティルは哀願するようにマリーシャを見た。
「君にはもっと自分の命を大事にしてほしいんだ。家族なんて、向こうについてから呼び寄せたらいいじゃないか」
しかしマリーシャの気持ちは収まらないようだった。
「アナタは目の前で溺れて死にそうな子供がいても見殺しにしろ、って言うのね」
今日のことで苛立っていた彼女は悪態をついた。
「とにかく、今回の事件の犯人たちも許せないけど、王国はもっと許せないわ。こんなふうにただ家にいて何にもしないぐらいだったら、抗議しに行って捕まった方がマシ――」
「バカなことを言うなっ!」
ペーティルはテーブルを固く握りしめた拳で叩いた。
マリーシャはビクッ、と体を震わせて黙り、それと同時に彼は怒りにまかせて早口でまくし立てた。
「いいか、マリーシャ。この世の不正は君一人の手じゃどうにもならないほど多いんだよ。この国じゃ、正義感に溢れた人間から早死にすることになってるんだからな!」
そこまで言ってから、ペーティルはしまった、と思って口を噤んだ。
「そんな言い方……するべきじゃないわ……」
この時のマリーシャの顔は、悲しみと侮蔑を織り交ぜたような複雑な表情だった。
「……すまない。つい感情的になった」
彼女の様子にペーティルも我に返り、一度謝った。
二人の間を流れる重たい空気――まるで二人の間には見えない深い溝が横たわっているかのようだった。
「マリーシャ、君は王国が僕たちノルディア人の命をどう思ってると思う?」
「どう、って……」
マリーシャは答えに窮した。
「どうでもいいと思ってるんだよ。そうでなかったらこんなことはできない」
唇をかみしめたまま何も言わないマリーシャを前に、彼は自嘲気味に笑った。
「僕たちは何者にもなれないんだよ。君が自分を特別だと思いたい気持ちは分かるけど、世間は君の価値なんてクソほども気にしちゃくれないさ」
それはペーティルがハルホルトで暮らし始めて以来、身をもって痛感してきたことだった。彼は今まで幾度となくノルディア人たちがとるに足らないものとしてぞんざいに扱われるのを見てきた。
しかし、その個人的な恨み節を彼女に押し付けることは間違っている――それは彼自身もよく分かっていたはずだった。
「さっきからアナタの言ってること矛盾してるわ。自分の命を大事にしろって言ったと思ったら、今度は価値がないとか言って。
アナタこそ、アタシのことを何だと思ってるの?」
マリーシャはそう言ってペーティルの目を見つめた。
彼女の目は心許なげで、まるで彼女の中にあるペーティルへの不信がそのままにじみ出ているようだった。
「そうじゃない、そういうことじゃないんだ……」
ペーティルは自分が口下手であることを呪った。
「……しばらくはハルホルトに留まる。機会を窺って、もし本当に戦争になりそうだったら陸路で帝国へ逃げよう」
結局、彼は最後にこう言って強引に話をまとめようとした。
「アタシはイヤよ。アナタと違って帝国語なんて話せないし」
「そんなものは住んだらどうにかなる」
「そもそもお金もないのにどうやって生活するのよ? 家は? 仕事は?」
答えてよ、とマリーシャは声を上ずらせた。
ペーティルはテーブルの上の赤いリンゴを手に取ってしばらく沈黙していたが、やがて一言――
「リンゴは熟したら、落ちるだけだ」
そう発した後、また黙ってしまった。
話がまとまらないまま、さらに一週間が経った頃――
チルバの町ではノルディア軍関係者であるという疑いを掛けられた若い男子が強制収容され、首都の南にあるチャルツァブラという田舎町に送られているという噂が流れていた。
当時彼らはやがて自分たちが同胞と戦う兵士にさせられるということをまだ知らなかった。
無論、ペーティルも。




