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24. 黒蜘蛛のシナリオ:第四幕第一場

「――さ、よくってよ、ミス・クロイツ。目隠しを外してみて」


 アリヤの合図に、シャルル・クロイツが大人しく目の周りに巻かれたスカーフを外し、辺りを見回す。

 アリヤが連れて来たのは、教会の裏にある小さな物置小屋の中だった。部屋の真ん中に立ったシャルルは、不思議そうに首を傾げている。


「ミス・マキヴェリエ、ここは……?」


 扉の外に立ったアリヤは、にっこりと笑いかける。


「ふふ、驚くのはこれからですことよ。上を見てみてちょうだい?」

「上……?」


 言われるままに頭上を見上げるシャルル・クロイツに嘲笑を向け、アリヤは仕掛けのロープを引っ張った。


 天井に設置されたバケツがひっくり返り、中を満たしていた真っ赤なペンキがシャルルの頭から全身に降り注ぐ。

 美しく結い上げられた金髪が、初めて施した薄化粧が、繊細なレースで装飾された上品なピンクのドレスが、無遠慮な赤で塗りつぶされていく。


 しぶきがかかってはかなわないと体をひっこめていたアリヤだが、そろそろと扉から顔をのぞかせると、思わず笑い声を漏らした。


「あははっ、最高のサプライズですわ! そうでしょう、ミス・クロイツ?」


 全身から赤い雫をしたたらせる無様な姿に、アリヤは笑いが止まらなかった。


「あははははっ! まさか、本当にわたしがあなたとお友達になりたいのだと思った? なんて思い上がりなの! 特別扱いしてもらったからって、自分自身が偉くなったつもり? 勘違いもはなはだしいわ! みんなはあなたがみすぼらしい庶民だからお情けをかけているだけ、あなた自身になんかなんの興味もないのよ! ここに、あなたの、居場所なんかない! あなたがいて迷惑する人はいても、喜ぶ人なんか一人もいないんだから!」


 アリヤの笑い声は、いつしか叫びに変じていた。


 立ち尽くすシャルルを中に残して、アリヤは乱暴に小屋の扉を閉め、閂を下ろして閉じ込める。


 これでいい。

 これであの女にぶち壊されずに済む。そのはずだ。


 舞踏会でダンスパートナーが必要だと聞いて、アリヤが思い浮かべたのは一人だった。


 彼と初めて会ったのは幼い頃だ。どんな用事だったのかは知らないけれど、彼の父親が彼とその兄を連れてアリヤの家を訪れた。大人が話している間、アリヤときょうだいは彼らと遊んだ。

 いや、彼だけは遊びに加わらなかった。引っ込み思案な彼は、あいさつもろくにしなかったくらいだった。

 アリヤは、人形のように整った顔をした彼のことが気になっていた。彼がみんなの輪に入らず一人でどこかに行くのを追いかけて、陰からこっそり見ていた。人のいない部屋に勝手に入り込んだ彼は、棚から難しそうな本だの書類だのを取り上げて眺め――楽しそうに微笑んでいた。


 数年が経った後、この学園で彼を見かけたアリヤは一目で気づいた。彼はアリヤを覚えていないと言ったが、アリヤにはありありと思い出せた。

 人といるときの落ち着かなそうな顔。けれど一人になっておもしろいことがあると、無邪気な笑みを浮かべるのだ。

 アリヤはその笑顔が好きだった。だからつい、陰に隠れて彼を見つめてしまう。本当は自分と話すときもその笑顔を向けてほしいと思うのだけれど、人付き合いが苦手な彼には難しいことだと分かっていた。


 舞踏会は実にいいチャンスだと思った。

 ヒロにはほとんど友達がいないし、よく知らない人といきなり仲良くなれるタイプでもない。女の子を一人パートナーに選ぶとなったら、一番仲のいいアリヤを選んでくれるに違いない。


 だからアリヤから声をかけてあげたのだけれど、ヒロは断った。

 舞踏会には行かないと言い張っていた。

 確かに、人前でアリヤと仲睦まじく手をつなぐなんて、ヒロには恥ずかしかったのかもしれない。それなら仕方がないかと思っていた。


 そんなとき、アリヤは、久しぶりに黒蜘蛛(くろくも)(きみ)の自室に呼ばれたのだ。


「――殿下が、わたくしに隠し事をしていますの」


 肘掛椅子に身を沈めそう語る黒蜘蛛の君の美貌には、いつになく憔悴の色が浮かんでいるようだった。


「舞踏会では婚約発表をするのに……殿下はわたくしに隠れて、別の女を……祭り上げようとしている」


 黒蜘蛛の君はため息をつき、艶やかな真紅の髪を掻き上げる。こんなふうに取り乱した主の姿は初めて目にするもので、アリヤは面食らっていた。


「どうして? わたくしはずっとお側にいたのに。突然現れたみすぼらしい女にどうして脅かされなければいけないの?」


 黒蜘蛛の君が口にしているのは、庶民の編入生、シャルル・クロイツのことだ。

 アリヤは不思議な心持がした。黒蜘蛛の君の心痛がひどく鮮明に感じられたのだ。黒蜘蛛の君の傍らに歩み寄り、慰めるように優しく答える。


「殿下はお優しいから、情けをおかけになっているだけですわ。黒蜘蛛の君がいらっしゃるのに、心奪われるはずありませんもの」

「それがあの女の手口なのだわ! 殊勝な顔をして慈悲を請い、差し伸べられた手を掴んで煉獄へ引きずり込む。そう、殿下はお優しいわ、だからそれに気がつかないのよ……」


 黒蜘蛛の君が顔を上げ、潤んだ金色の目でアリヤを見据えた。


「どうしてあなたを呼んだか、分かる……?」


 滑らかな肌に手を握られる感触。心の内を見透かすような視線に、アリヤは呑まれてしまっていた。


「あなたなら分かってくれると思ったからよ、想い人を奪われる気持ちが……」

「え……?」

「あの女は、ヒロ・ミーチャムと舞踏会に行く約束をしたのよ」


 アリヤは目の前が真っ暗になる気がした。


 そんなはずはない。ヒロはアリヤを断ったのだから。舞踏会には行かないと言ったのだから。

 だから、アリヤを断った? 舞踏会には行かないと嘘をついた?

 アリヤはヒロをいつも見ていた。ヒロが人を避ける姿を。一人きりになって初めて見せる微笑みを。そして――シャルル・クロイツと話している現場を。


 最後に見たのは夕立の日だった。渡り廊下で話している二人の姿を、廊下の窓から目撃した。アリヤが駆け付けようとする前にすぐに別れて行ったけれど、アリヤは見逃していなかった。

 別れ際、ヒロが他人の前では決して見せない笑顔を浮かべていたことを。


 ヒロの手が掴まれたのだ。邪悪な女は、彼を底なし沼へ引きずり込もうとしている。


「……もちろんです、黒蜘蛛の君」


 アリヤは震える声で言った。


「お気持ちはよく、よく分かります……。わたしがあの女に……思い知らせてやりますわ……!」


 彼を奪うなんて、許していいはずがない。

 ずっと見守ってきたのはアリヤなのだ。ずっとずっと、彼を見つめ続けてきた。

 アリヤの一途な思いはいずれ実を結び、アリヤとヒロを幸せにするはずだったのに。

 それがぶち壊されることなど、絶対にあってはならない。


 シャルルを閉じ込めた小屋の扉がしっかり閉まっていることを確認し、アリヤは深く息をつく。

 これでこの女は舞踏会に来られない。小屋を出られたとしても、ペンキまみれの無様な姿で人前に出ることはできまい。着替えるドレスだってあの女は持っていないのだし。


 後は会場でヒロを見つけて、本当に純粋なアリヤの想いを告げればいい。ヒロはとても頭がいいから、ちゃんと話せば理解してくれるはず。


 振り向いたアリヤは、自分の体にペンキがかかっていないことをよく確認すると、強張った笑みを浮かべて講堂へ急いだ。


***


 舞踏会会場の講堂はすっかりにぎわっていた。

 フレデリック王太子と黒蜘蛛の君は一段高くなったステージに座って、開会宣言のときを待っている。


 王子のそわそわと落ち着きのない様子を、黒蜘蛛の君はいつまで黙っていようかと考えながら眺めていた。


 彼はまた、黒蜘蛛の君に黙って勝手な計画を進めているらしい。それが可能になったのは、見張りとしてルームメイトに据えたアシュレイ・オーガストがすっかり気力を失ったからだと知っていた。

 アシュレイは幼馴染のアンリが黒蜘蛛の君によって退学させられたことに気落ちし、黒蜘蛛の君に従おうとする動機も失ってしまったようだ。アシュレイが何も報告しないことをいいことに、王子は夜になるとたびたび寮室を抜け出している。


「どなたを探しておいでなの?」


 やがて黒蜘蛛の君が優しく声をかけると、きょろきょろしていた王子はびくりと背筋を正して振り向いた。


「友達がみんな来てくれてるかなって思って。それにしても、みんないつもと違って素敵な恰好だよね!」


 あからさまに話題を逸らす王子に、黒蜘蛛の君はすねたように唇を尖らせて見せた。


「ひどいわ、フレディ。わたくしのドレスは素敵だとおっしゃってくださらなかったわよね?」

「ああ――ごめんね、イリア。きみは普段から特別素敵なんだもの」


 王子の取り繕う言葉を聞き流しながら、黒蜘蛛の君は会場にアリヤの姿を見つけていた。

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