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23. シャルルと舞踏会の支度

 ヒロ・ミーチャムは学校の裏庭を歩いていた。

 裏庭と言っても人が過ごすために開かれた場所ではなく、自生してくる植物を整えた森林である。庭師以外はよりつかないものの、ヒロには興味深い場所だった。なにしろ学園の位置する高台は独特の土壌を備えており、珍しい植生を観察することができるから。

 他の生徒がめったに来ないという事実もまた、ヒロが居心地よく感じる要素でもある。つまり、余計な目を気にしなくていいということだ。


 ヒロが木々の間を歩いていると、風に乗って何か音が聞こえてきた。

 高く澄んだ音は、女の歌声に思えた。


 人の話し声であったなら、見とがめられる前に退散したかもしれない。だがこの歌声は、不思議と気を惹きつけられるものだった。

 ヒロは声が聞こえる方へと歩を進めていた。


 声の主を見つけたところで足を止める。

 白い花を咲かせた低木をのぞき込む格好で、金髪の女性徒の姿があった。


 シャルル・クロイツの歌を耳にするのは初めてだった。


 ――我らがしるべ 時の鼎

  戴く天に 遥けし定め

  唱うは貧する民の祈りか

  捧ぐ己の――


「とうとき(たま)や……」


 最後の節をつぶやくように口にしたシャルルが、ふと顔を上げた。

 離れた場所でたたずんでいたヒロは、視線がかち合ってぎくりとする。のぞき見をしてしまったような気まりの悪さにうなじを掻きながら、声の届く場所まで歩み寄った。


 見られていたことを悟ったシャルルもまた気恥ずかしかった。誰もいないと思って歌ってしまうのは常のことだが、誰かがいたと分かったときのきまり悪さは慣れるものではない。


「その……歌が上手いんだね」


 数歩離れた位置で足を止めたヒロがそう言った。会話するには微妙に遠い気がする距離感だが、ヒロのいつも通りのふるまいはシャルルをほっとさせる。

 シャルルは顔をほころばせて返した。


「ありがとう。優しいのね」

「……優しい?」


 シャルルの言葉に、ヒロが不審げに眉根を寄せる。


「優しいって? それ、僕が君を喜ばせるために思ってもないことを言ってるってこと?」


 思いもかけずそんな返事を寄越されて、シャルルは目をしばたたく。

 そう――なのだろうか。

 他人への誉め言葉を口にできる人間は、心根が優しいに違いないと思っていた。それは他者の美点を認めることができるから? 素直な気持ちを表しただけだとしても?

 ヒロの言う通り、人に気を遣って口にしているものだから?


「……ごめんなさい。そういうつもりじゃないの」


 シャルルはかろうじてそう返して、思わず目を伏せる。

 口を突いて出たことだ。それはシャルルが意識もせずに思い込んでいること。

 自分がそうだから、他人もそうだと思ってしまうのだろうか。


「……そう。そうよね……」


 シャルルはひどく惨めな気分だった。


 ヒロから目をそらし、さっき眺めていた白い花を見やる。花弁の縁がほんのりとピンクに染まったかわいらしい花。

 シャルルがその美しさを味わうように手を伸ばすと、ヒロが慌てたように声をかけてくる。


「あ――それは毒草だから、触らない方がいいよ」


 驚いて手をひっこめるシャルルのもとに、ヒロが駆け寄ってきた。


「花弁は平気だけど、枝葉に触ると肌が炎症を起こす」

「そう……なのね。ありがとう……」


 シャルルは思わず自分の手を見つめた。


「こんなにキレイなのに危険なのね……。知らなかったら誰かにプレゼントしてしまうかも」

「身を守るために毒を持って、花粉を運んでもらうために美しい花をつける。植物にとっては生存戦略だけど、人間には有害なだけだったりするのさ」


 肩をすくめるヒロの何気ない様子に、シャルルは改めて安堵を覚えていた。


 ルームメイトのアンリが退学してしまってからというもの、こんなたわいのない会話を交わせる相手がいなかったのだ。

 ほとんどの学生たちはシャルルを怖がるように距離をとってしまうし、忙しいだろうと分かっているエルバルドをわざわざ捕まえる気も起きない。今度こそダンスクラブをのぞいてみようかと思うものの、先生の部屋で出くわした男子生徒が浮かべた表情を思い出すと、迷惑をかけるのが申し訳なくて足が動かなかった。


 アンリのことを思うと、いまだ気が沈む。


 彼女は父親に呼び出されたからと週末に実家へ戻って、そのまま帰ってこなかったのだ。

 代わりにシャルルとアンリの寮室にやってきたのは、アンリの父親であるコルティーア氏だった。彼は使用人たちにアンリの荷物を運び出させると、シャルルに一瞥をくれただけで何の説明もなく立ち去ってしまった。

 訳が分からないシャルルはジョルドモア学長を訪れ、アンリが結婚のために急遽退学することになったと知ったのだった。


 アンリの意思でないであろうことは、シャルルには容易に想像がついた。彼女は嫁ぐことを嫌がっていたし、学校でやりたいことがはっきりしていたのだから。

 学長の話では、アンリは異国の立派な商家に嫁ぐという。めったにある機会ではなく、たいへん名誉なことなのだそうだ。

 だがアンリが望まぬ生き方を強いられたと思うと、シャルルにはやるせがなくてたまらなかった。


「……大丈夫?」


 ヒロに顔をのぞきこまれ、シャルルは我に返る。


「大丈夫よ、ありがとう。――ああ、そういえばヒロは、舞踏会には行くの?」


 余計な心配を掛けたくなかったシャルルは、別の話題を持ち出した。

 王子が催す舞踏会が今週末に迫っていたのだ。ダンスパートナーを見つけることは半ばあきらめていたものの、せっかくヒロと話せたのだから、もしやと思って尋ねてみる。

 だが返事は案の定のものだった。


「まさか。僕は“パーティー”には行かない」


 ヒロは露骨にぞっとしたように顔を歪める。やはり社交的な場が好きではないのだろう。


「そう、残念だわ。実はダンスパートナーがいたらいいなって思ってて」

「きみは行くつもりなの?」

「ええ。パートナーがいなくてもいいと言っていただいたし、一人で行くことになりそう」

「王太子と黒蜘蛛(くろくも)の婚約発表会だろ? きみ、その……嫌な思いするんじゃないの?」


 ヒロの言葉にシャルルはまたも不意を突かれて、思わず目を伏せた。

 人に興味のないそぶりをするヒロだけれど、シャルルの気持ちをきちんと察してくれる。嬉しい気がする反面、少しだけ――恐ろしくもあった。


 嫌な思い、というのは正しいだろう。

 きっと舞踏会は華やかに催される。臨席者はみな、王子と黒蜘蛛の君を誉めたたえ、婚約を祝って見せる。

 でもそうして祝福される二人の姿が、アンリと同じように見えてしまうのではないか。


「……さっきの歌はね、黒蜘蛛(くろくも)(きみ)に聴かせていただいた曲なの」


 シャルルはぽつりと語った。


「最初の声楽の授業でね。それが、すごく素敵な歌声で……私、とても感動したの。だからきっとあのかたも、本当は素敵な心をお持ちなんだと……思ってるの……」


 と、頭に冷たい感触がした。

 見上げると、さきほどまで薄青に澄んでいた空が、灰色の雲で覆われ出している。

 一滴、また一滴と、顔に雫が落ちるのを感じて、ヒロとシャルルは顔を見合わせ、校舎の方へ足早に向かった。


 夕立の方が足が速かった。二人が屋根の下に入る前に雨の雫は糸へと変わり、さやさやと音を立てて降り注ぐ。

 ようやく渡り廊下へ駆け込んだ頃には、二人ともすっかり濡れてしまっていた。


 シャルルがハンカチを取り出そうとしていると、ヒロが手を伸ばしてくる。

 見ると、彼が自分のハンカチでシャルルの濡れた髪を拭いてくれていた。


「ごめんなさい。大丈夫よ、自分のハンカチがあるから」

「きみの方がはるかに髪が多い。それに舞踏会に出る気なら、今、風邪をひいたら困るだろ」


 ヒロはなぜか怒ったような調子でそう言った。

 シャルルは小首を傾げながらも、「ありがとう」とほほ笑んで返した。


「優しいのね」


 今度はきちんと意識して、そう言った。

 ヒロは「本当だよね」と他人事のように肩をすくめていた。


***


「ねーえ、ミス・クロイツ?」


 廊下を歩いていたシャルルは、背後から猫なで声で声を掛けられておそるおそる振り向いた。

 アリヤ・マキヴェリエが二人の女性徒を連れて立っていて、妙な笑顔を浮かべている。


 シャルルはアリヤに向き直り、「ごきげんよう」と丁寧に礼をした。

 黒蜘蛛の君の侍女であるアリヤがシャルルを好いていないことは、充分すぎるほどに理解していた。きっと普通の態度をとっては不愉快に思われてしまうだろうから、最大限の礼を尽くした方がいい。

 最後に言葉をかけられたときは、アンリが割って入ってひどく威嚇して返したのだ、それ以来アリヤはシャルルをからかうようなことはせず存在を無視するようにふるまっていたが、アンリがいなくなったことで怯える必要がなくなったのだろう。


 が、アリヤの言葉はシャルルが予想していたものとは違った様相だった。


「あなた、舞踏会には行くのよね? でもドレスをお持ちでないんじゃありませんこと? 良かったらわたしが見繕ってあげたいのだけど、いかがかしら」


 シャルルはおもむろに顔を上げ、アリヤの顔をきょとんと見つめ返す。

 アリヤはいつになくにっこりと笑みを浮かべて、シャルルの返事を待っていた。


「……ありがとう、ございます。でも……ええと、ご迷惑かと思いますので」

「あら、そんなことなくってよ、遠慮しないでちょうだい! それとも、もうドレスはお持ちだったかしら?」

「いえ、その、ドレスはなくて、困ってはいたのですけれど――」

「それならちょうどいいじゃない! ラボリニー先生が流行のドレスをたくさんお持ちでね、学生に貸してくださるのよ。あなたに一番似合うドレスをわたしが選んであげる。さ、行きましょ」


 素直にうなずくべきか遠慮すべきか――とシャルルが迷う暇もなく、アリヤと女生徒たちはシャルルを囲んで歩き出してしまった。

 いったいどういう風の吹きまわしなのだろう、とシャルルが目を白黒させていると、アリヤは察したようにくすくすと笑った。


「ごめんなさいね。わたし……ちょっぴり、反省しましたの。ミス・コルティーアに叱られたことは正しいんだって分かったのよ。わたしは由緒ある学園の生徒で、市長の娘。恵まれない民に手を差し伸べることが自分の役目なのだと、考え直したんですの」


 アリヤは口元に指を当てて、小さくかぶりを振った。


「……本当に、ごめんなさいね」


 小さく呟く声に、シャルルはため息とともに笑みを浮かべる。

 アリヤの気遣いが嬉しかった。今までは確かに他人に対して攻撃的な態度をとってきたけれど、それが過ちだと悟ることができたのだ。否、今までも分かってはいたのかもしれない。分かっていても、相手から攻撃されることを恐れれば、自らの攻撃の手を引くことはできないもの。

 それができるようになったのがアンリの言葉のお陰ならばなおさら、シャルルには嬉しくてたまらないのだった。


「ありがとうございます、ミス・マキヴェリエ。どうか謝らないでください」

「ミス・クロイツ……わたしたち、お友達になれるかしら?」

「もちろんです!」


 アリヤはシャルルを見つめ、またどこかぎこちない笑みを浮かべた。


「――そういえば、あなた、ダンスパートナーは見つかったのかしら?」

「いえ、それが見つからなくて……一人で行くつもりなんです」

「まあ、そうなの? 不思議ね、あなたとダンスしたい殿方はたくさんいそうなものだけれど」

「そんなことありません……。ミス・マキヴェリエのお相手は決まっておいでですか?」

「ええ。ミスター・ヒロ・ミーチャムよ」


 思いがけない名前に、シャルルは目を丸くしてアリヤを見やる。アリヤはけげんな顔で小首をかしげた。


「どうなさったの?」

「いえ、その、ミスター・ミーチャムは舞踏会に参加されないとうかがっていたので」

「ああ、あなたたち、お友達でしたのよね。彼、恥ずかしがり屋だからきっと隠したのだわ」

「そうでしたか……」


 シャルルはなんだか合点がいくような気がしていた。思い返せば、ヒロはいつも一人で行動していて、シャルルと話しているところも人に見られるのを嫌がった。女子と関わるのを決まり悪がるたちなのかもしれない。

 そんなヒロが舞踏会に出るというのは、きっとアリヤに頼み込まれたからなのだろう。


 ふふ、とシャルルは微笑ましい思いに笑みを漏らす。


「お二人は仲がよろしいんですね」


 自分にもそんな相手がいればいいのに、と、シャルルはどこか羨ましく感じていることに気付いていた。


***


 舞踏会当日はあっという間に訪れた。

 寮室の鏡の前、シャルルは身にまとったドレスを眺めて、知らず顔をほころばせていた。


 先日、二度目に訪れたラボリニー講師の部屋にはまたもや先生本人はおらず、若きデザイナーのビーモ・バリンが留守番をしていた。

 ビーモはシャルルを見てぎょっとしたが、アリヤが彼女に似合うドレスを選びたいのだと高らかに宣言すると、目を輝かせてあれこれとドレスや靴やアクセサリーを並びたててくれた。どうやらファッションに関することには夢中になる性格のようだ。


 アリヤとビーモが選んでくれたのは、白いレースで上品な装飾がされた淡いサーモンピンクのドレスだった。シャルルは身に着けるどころか、手に取ったこともないほどの上質で洗練された服。

 アリヤの友人に手伝ってもらいながらそれらを身に着け、鏡に映る自分が立派な人間になったように錯覚していた。


「素敵よ、ミス・クロイツ!」


 ターコイズのドレスに身を包んだアリヤは、部屋から出てきたシャルルの装いに声を高くする。


「とてもお似合いね! まるでプリンセスのようだわ」

「素敵なドレスを選んでいただいたおかげです。ラボリニー先生にもミスター・バリンにも、改めてお礼を申し上げないと――」

「いいから、ほら、早く行きましょう。あなたが行ったらみんな驚きますわよ!」


 舞踏会は学園の大きな講堂で催される。シャルルは入ったことがないが、入学式や学位授与式といったセレモニーで用いられる建物で、玄関棟から出て広場を挟んだ向かいに位置していた。講堂の脇には細長い鐘塔が立っているが、現在は使われていないらしい。


 寮室のある本棟から階段を降りて一階に着いたところで、シャルルの手を引いて歩いていたアリヤがぴたりと足を止める。

 不意に振り向いて顔を寄せてくると、ひそひそとささやいた。


「あなた……殿下からサプライズがあるって、もうお聞きになったのでしょ?」


 シャルルは驚いてアリヤを見返す。

 そういえば、教会の前で会ったときに王子はそんなことを口走っていた。


 うなずくシャルルに、アリヤは苦笑を浮かべる。


「なら、ごまかす必要ありませんわね。――はい、これを付けてちょうだい」


 紺色のスカーフを取り出したアリヤは、疑問を挟む余地なくシャルルの目を覆うようにスカーフを巻き付けてきた。目隠しされたのだ。


「あの、ミス・マキヴェリエ……?」

「そのまま付いていらっしゃい。足元にお気をつけなさいね」


 再びアリヤに手を引かれるまま、シャルルはゆっくりと足を進める。


 サプライズというからには、一目見て驚くものが用意されているのだろうか。それは王子が用意したものだ。つまりアリヤは王子と計画を立てたということ。

 王子には黒蜘蛛の君がいつもそばにいる。だからきっと黒蜘蛛の君も、王子の計画を知っているはず。


 黒蜘蛛の君が――少しはシャルルを受け入れてくれたということだろうか。

 そんな想像をすると、シャルルの口元には自然と笑みが浮かぶのだった。

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