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女王の庭師  作者: シレンシノ
三女オーレリアの初恋
9/18

Early love (4)




 宮殿の図書室で調べものをしていると、ジェーンがやってきた。朝早く誰もいないのをいいことにぶつくさと大声で文句を言う。

「よりにもよってどうしてギデンツなんかに」

「ジェーン、そこの本を取って」

「いくら政治のためと言っても女王陛下もあんまりですわ。海の向こうの、赤大陸に姫を嫁に出すなんて」

「ジェーン、本を」

「あの国では人が人を食うとか。そんな野蛮な国に可愛いオーレリア様を」

「ジェーン!」

 オーレリアはついに声を張り上げた。念のため辺りを見回すが、やはりオーレリア達以外に閲覧者は見当たらない。

「はいなんでしょう、オーレリア様」

「そこに置いてある大きな図鑑を取ってと言ったの。聞こえていたでしょう?」

 すぐ耳が遠いふりをするんだから、というオーレリアの小言はしれっと無視して、ジェーンは図鑑を突き出した。この侍女も年齢と共に体力も衰えていると切なくなっていたが、厚かましさだけはむしろどんどん増えている気がする。

 オーレリアは分厚い歴史書から顔をあげて大きく伸びをした。いくら若いといっても(ジェーンの数倍は!)昨日の晩餐会のせいで宮殿に帰ったのは真夜中を超えていた。昨夜の疲れが残っているのを身体から感じる。

 女王からは赤大陸の文化、歴史、政治、宮廷内の人間関係に至るまで様々な情報をまとめたレポートの提出を求められていた。正式に打診された訳ではないが、自分の嫁入りは女王の中ではもう決定したも同然のようだった。

「あら」

 気分転換にと立ち上がったオーレリアは、窓から見える花壇の端に見知った背中がしゃがんでいるのが見えた。

「昨日はどうも。小さな国家庭師さん」

「……昨日とはずいぶん態度が違うんだな」

 顔をあげた少年は、冷めた目つきでオーレリアに会釈をした。

「あなたにいい顔しても何の価値もないでしょう? それとも純粋無垢で可憐な姫の方がお好みだった?」

 そうは見えないけど、という呟きにそうだな、とニルは頷く。オーレリアは大理石でできた花壇のふちに座り、足をぶらつかせた。ニルはオーレリアなんて気にもせず、土を掘っては試験管に入れる、という自分の作業を黙々と続けている。

「ねえ、何をしているの?」

「花の病気を調べてる。最近宮殿の花壇で流行ってるみたいで、その原因の調査」

「原因はわかったの?」

「まだ調査中。でもたぶん、土が悪いんだと思う」

「そういうのも国家庭師の仕事なの?」

「植物庁の職員の仕事。俺は今植物庁勤務だから」

口調はぶっきらぼうで顔すら上げないが、追い払うようなことはせず、オーレリアが矢継ぎ早にする質問にもすべて丁寧に答えてくれた。その態度が新鮮で、なんだか少し居心地がよかった。

オーレリアはふと思い立ち、宮廷で耳にした噂話についてたずねた。

「ねえ、宮殿の敷地内に赤大陸の庭があるって本当?」

 それは宮殿内にあると噂されている女王の私庭だという。女王が集めさせた赤大陸の動植物たちが何百と育てられているが、いまだ女王と一部の使用人以外でその場所へ行った者はおろか、正確な場所さえもわからないという。たしかに広大な宮殿ではあるが、そんなものが隠し通せるわけがないとオーレリアは全く信じていなかった。

「あるよ」

 だがニルはオーレリアの問いに、あっさりと頷いた。

「どうして知ってるの!?」

「どうしてって……だってあの庭を設計したのは俺だし、あそこにある植物や生物もほとんど俺がほとんど俺が持ってきたものだから」

 この子、本当に国家庭師だったのね……

 怪訝な顔をするニルに、オーレリアは内心そんなことを思った。信じていなかった訳ではないが、華奢な体つきや細い腕、まだ幼さが残る顔つきで赤大陸に三度の渡航経験がある探検家だという事実は、なかなか受け入れられるものではなかったからだ。

「あそこって女王の私庭って噂だけど、本当にただの庭園なの? 私としてはクイーンアレックスのことだから、赤大陸の動植物の研究機関か何かだと予想してるんだけど」

「さあね。行ったらわかるんじゃない?」

「連れってってくれるの!?」

 思わずニルの両手を掴むと露骨に嫌そうな顔をしたので、オーレリアは慌ててその手を離した。そんなニルは不思議なことを言った。

「あそこに入れるのは、庭に呼ばれた者だけだ。あんたはどうだろうね」

「なに、それ」

「赤大陸には不思議がいっぱいってことさ」

 そしてニルはふたたび土を試験管に入れる作業に戻ってしまった。だが、ふと手を止めて、ニルがまじまじとオーレリアを見つめた。

「な、何よ」

「いや、新聞の記事は本当だったのかと思って」

 ケッコン、と言いなれない単語を発音するようにボソリとニルがつぶやく。

「ああ……、ギデンツの王子さまの話ね。女王からまだ話はないけど、まあ仮決定みたいなものみたい。毎日毎日赤大陸についての本ばかり読まされるし、ギデンツ語なんて一日五時間も勉強してるわ。今日も夜はギデンツ大使と一緒に音楽会」

 修道院から呼び戻されたと思ったらこれである。生活はギデンツ一色だ。

「彼の言うとおりよ。私はハイアット伯爵とお近づきになるよう女王に言われたからその通りにしただけ。アイザックに彼を招待するよう頼んだりしてね。ドレスも髪の毛も、お化粧だって、あれでもいつもより何倍も気合いを入れていったのよ、まあそんなの全部無駄だったみたいだけど」

 あれだけ綺麗にしていって、言われた言葉は恋の一つも知らないおべっか使いだ。情けないを通り越して、もはやおかしみさえ感じる。いや、笑っていないとやってられない、の方が正しいかもしれない。恋ぐらい知っていると、最後に言った捨て台詞もただの強がりだ。自分で言ってて悲しくなる。

「ねえ、貴方は本当の恋を知ってる?」

 オーレリアの問いに国家庭師は勢いよく吹き出した。あんまりなリアクションだ。

「本当の恋って、騎士が領主の妻に命がけの愛を誓うような恋のことでしょう。ほら、よく小説の中にあるような」

「安っぽいメロドラマの読みすぎだ」

「そうかしら」

 オーレリアは納得がいかず、唇をとがらせた。

「でも少なくとも、誰かに決められた、政治の手段の結婚に本当の恋なんてないと思う」

「それは人次第だろ」

「それじゃあ貴方は本当の恋を知ってるの?」

「……さあね」

 答えをはぐらかされた。オーレリアが追求しようとニルを見た瞬間、

「知ってても、君には教えない」

 とぴしゃりと言われてしまった。

「私はあなたと同じなの」

 オーレリアは、花壇の花の花びらを指で触りながら呟いた。

「すべては女王のために。私は女王の駒。私は女王のレプリカ。女王の治世を盛り立て、大エルトラント帝国を作るための兵隊の一人でしかない。兄弟の中で修道院に入れられたのは私だけ。エリザベス姉さんもマルヴィナも宮殿でお花と遊びながら育ったわ。家庭教師だって私だけ違った。アイザックや下の兄弟が遊んでる時も私だけお勉強。どうして私ばっかりって恨んだ時もあったわ。でもそれだけ期待されてるってことでもあると思うようになったの」

 姉さんの代わりに、姉さんの分身となって動くのが私に与えられた務め。生まれた時から背負わされた宿命。

「彼や貴方の言うとおりかもしれない。恋なんて知らないもの。そんなもの、教わったことなんてないわ」

 ねえ、とオーレリアは自分とそう変わらない歳の、自分と同じ役目を背負う国家庭師に尋ねた。彼もまた、すべては女王のために。女王にのみ忠誠を誓う、女王の忠実な僕。

「女王と恋人、どちらが大事?」

 一瞬だけ間があった。どうしてそんなことを聞くのかという怪訝な表情をニルが浮かべる。

「今は恋人なんていない。一度離してしまったから」

 だが今度はニルは、オーレリアの目をまっすぐ見て答えた。はぐらかしではない、真剣なまなざしで。

「一度に二人の女性の手は取れないからな」

 そのまなざしから、オーレリアは感情を読み取ることができなかった。一つの感情ではない、何個もの思いと矛盾が複雑に絡み合った思い。あまり詮索してはいけないのだとオーレリアは直感的に思った。

「貴方が愛した女性ってどんな方?」

「君と真逆のタイプかな」

 その時のニルは古代の哲学者のごとく複雑な顔をしていて、オーレリアはしばらく考えた後、神妙な顔でこう言った。

「それって、すっごく個性的な顔ってこと?」








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