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女王の庭師  作者: シレンシノ
三女オーレリアの初恋
10/18

Early love (5)




 部屋に戻ると、先ほどとはうって変わってばたばたと慌ただしくしているジェーンがいた。

「今度は何の騒ぎ?」

「ご来客です。殿下にお会いしたいという方が」

「どちらさま?」

「マシュー・ハイアットという貴族ですわ」

 その名前を聞いた瞬間、ビクンと胸の鼓動がはねた。他の侍女に急いで化粧水とクリームとお粉を持ってこさせ、顔に塗りたくる。

「ドレスはこのままでいいかしら」

「殿下、それよりもお髪が」

 そんな二人を、昼食の時間と呼びに来たマルヴィナが呆れ顔で言った。

「もういい加減にしたら? 今から何やったって無駄なものは無駄よ」

「お子様は黙ってなさい!」

 応接間へ入ると、ソファに腰かけていたハイアットはオーレリアを見るなりすっくと立ち上がった。手には小さな花束を持っている。

「ごきげんよう、ベングリッド子爵」

「殿下、今日はあなたに花を持ってきました」

 オーレリアが花束だと思っていたのは、それぞれラッピングされた三つの切り花だった。二十センチほどの大輪の花で、小さな柘榴の実のようなめしべを重なるようについた十数枚の花びらが囲っている。三つの花は、全て色が違っていた。どれも白い花びらの先に水に絵具を落としたように色がついている。一つは赤紫、一つはオレンジ、一つは青。

 ハイアットは一番上にあった青い花びらの花を差出し、跪いた。

「一つは、殿下を傷つけたことに、青い花を。

 二つ目は仲直りの印として、オレンジの花を。

 最後の一つは愛の形として、赤い花を」

 ――まさか覚えていたなんて。

 目の前で揺れる三輪の花に、オーレリアは動揺を隠す余裕もなく、ただ何も言えずただ口に手をあてた。

 それは昔、もう遠い昔だ。大人たちの間で流行っていた騎士小説の真似事だった。

「昨日は忘れていて、でもバルコニーから怒って去っていく殿下の後ろ姿を見て思い出したのです」

「いやだ! それってまるでいつも私が怒っていたみたい!」

「私が殿下を怒らせるたびに、私は毎回こうやって殿下に花を贈っていた訳ですね」

 たしか、その小説は騎士とその領主の妻との結ばれない悲恋の物語だった。その中に出てくる喧嘩の仲直りのシーンに、その三本の花の礼はあった。言葉の意味も、愛が何なのかも知らなかった時代。今だって決して知っている訳じゃないけれど。

「私たちって、いっつも喧嘩ばかりしていたのね」

「私がよく殿下の機嫌を損ねさせてしまっていたのですよ。やってることは十年経っても変わらないな」

 ハイアットが笑うのにつられて、オーレリアもくすくすと笑った。




 それからオーレリア達はたびたび一緒に出かけるようになった。音楽会にオペラ鑑賞、森まで馬を走らせたり、ハイアットの希望で王立植物園にも何度も足を運んだ。

 宮廷では噂話はあっという間に広まる。特に王族の色恋沙汰は。だがオーレリアのギデンツへの輿入れがまだ正式には発表されていなかったこともあり、表立って眉をひそめる者はいなかった。マルヴィナだけは「わたしも『デート』に連れてって!」と騒いで毎回ギルバートになだめられていたが。

 そんなある日のことだった。オーレリアが昼の儀式に参加する支度をしていると、ジェーンが血相をかえて部屋に飛び込んできたのだ。

「何? 騒々しい」

「実は今薔薇の間で、ベングリッド子爵と見知らぬ女が口論しているのを見たんです……!」

 ジェーンに着いて廊下を進むと、階段を下りた先にある薔薇の間と呼ばれる場所に二人はいた。手すりからそっと様子をうかがう。

 そこにいたのはハイアットともう一人、見たことのない女性だった。宮廷の貴婦人であればだいたいの顔はもう覚えた。その女性はハイアットと同じ栗色の巻き毛に、雪のように白い肌をしていた。きりりとした目つきこそ対照的だが二人が兄妹だという事がオーレリアにはすぐにぴんときた。

「ジェーン、心配するようなことじゃない……」

「労働なんて貴族のすることではない。それなのに父上はワインの宣伝に熱をあげていて、この前だって教会に嫌味を言われていたじゃないか」

 立ち去ろうとしたオーレリアのもとに聞こえてきたのは、階下でのハイアットの今まで聞いたことのないような厳しい声だった。

「兄さんの言いたいこともわかるわ」

 ハイアットの妹は両腕をさすりながら、軽く頷いた。まるで駄々っ子を相手にする母親のような様子だ。

「兄さんは母さんそっくり。誉れ高きベングリッド伯爵家の血筋を継ぐ者ね。でも現実が見えてないのよ。ただの植物バカのお坊ちゃま。そんな人に家督を継がれる妹の身になってほしいわ」

「なんだって……?」

「今と昔は違うってことよ。もうすぐ貴族らしく振る舞っていればいい時代は終わるわ。ただ先祖代々の領地、領民、遺産を継げば今まで通り豪華な生活が送れるなんて時代はね。父さんのように、商売をして領地経営の資金源をねん出したり」

「シビル、お前のように裕福なセオドア人と結婚するかしないといけない、か?」

 シビルと呼ばれた妹は、きっとハイアットを睨んだ。

「私はただ忠告しにきてあげただけ。いつまでも父さんにたてついてると、大好きな赤大陸の温室まで売られちゃうかもよって!」

 怒ったようにドンドンと足音を鳴らしながら進み、出口のところでふり返った。

「せっかく兄さんのこと、少しは見直してたのに。オーレリア皇女のお気に入りなんでしょう? たいしてスマートでもないし、ただの植物バカだし、オーレリア皇女ってよっぽど男性に免疫がないのかしらね。でも兄さんって昔からアイザック皇子とも親しいみたいだし、王族に気に入られる才能はあるんじゃない? 武功もたてられないし、商売の才能もないけど!」

 いざとなったら彼らと共倒れだけどね、と言い捨てて、シビルは去って行った。

 ハイアットの父であるベングリッド伯爵は婿養子だと聞いている。自分の領地で作ったワインを大量に赤大陸に輸出し、それまで家柄こそ名門であったが夫人の浪費で傾きかけていた伯爵家の財政を一気に立て直したことで知られる。元来労働は美徳に反するという貴族のしきたりなど気にも留めず、商売に精を出す風雲児で、クイーンアレックスも一目置く大貴族だが、宮廷に顔を出すことはほとんどない。

そんな伯爵と、植物を愛するのんびりとしたハイアットのウマが合うはずはないだろうことは簡単に予想できた。

 いけない、と思った時には手からハンカチが滑り落ちていて、それに気づいたハイアットと目が合った。

「で、殿下、妹が無礼なことを申したこと、お詫びさせてください。僕は後ろ盾が欲しくて貴女に会っていたわけでは断じて」

「……私だって本気だった訳じゃないわ」

 ハイアットの言葉を途中で遮り、オーレリアは酷く冷めた口調で言った。しゃべりながら、肩に力を入れる。震える声をどうにか律するように。

「初恋の人だって本当は嘘。女王陛下に命じられて、嫌々貴方と遊んでいただけだもの」

「そんなこと今更信じられません!」

 戸惑い切ったような声でハイアットは言った。

「僕は、小さな頃から立派な指導者になるよう厳しくしつけられてきました。伯爵としての心構え、ふるまい、マナー、社交の仕方、婦人への対応、本当に色々なことを。でも、どれ一つしっくりこなかった。今でもそうだ。このフロックコートだって、まるでサーカスのピエロでもやってる気分なんです。植物のことだけを考えていられたらなんて、そんなことばかり考えてしまう。貴族に向いてないとは思わないけど。あなたも同じだと思った。だから……」

「そうね、私もピエロよ」

 最後の一言を言わせる前に、オーレリアは早口で言葉を挟んだ。

「全部お芝居。シャープシュケード王家の女としての完璧なお芝居よ。だって貴族ってそういうものでしょう? 嘘で飾られた仮面を被って、好きでもない宝石と扇子を持って、どこかの誰かが考えた台詞を喋るの。舞台の上では全部言われた通り。みんなわかっていて、演じ続けてる」

 それは一体誰のため?

 芝居なら観客がいるけど、私の演技を喜んでくれるのは誰?

 貴族ならば家のため。自分なら、――この国のためだ。

 私が自分の立場を捨てられないように、貴方だって立場を捨てられない。いや、捨てさせたりしない。最初からすべてわかっていたはずのことだ。

「……貴方のことなんて、これっぽっちも心に思ったことはないわ」

 彼の顔は見れなかった。俯けば、階段の下にいるハイアットと目が合うことになる。オーレリアは仕方なく横を向いた。顔を合わせたくない一番の理由は、自分の顔を見られたくなかったからだった。

「なんにせよ、貴方と会うのは今日でおしまい。今日はお別れを言いに来たから」

 オーレリアが畳み掛けるように言うと、ハイアットのはっと息を呑む音が聞こえた。何のことか察したのだろう、ハイアットは静かに膝をつき、頭を垂れていた。祝辞の礼だ。

「……ご結婚、おめでとうございます、殿下」

「ありがとう」

 鼻をすすり、オーレリアはやっと作った完璧な笑みで答えた。

「楽しかったわ、マシュー」

 その言葉は本心から出た言葉だ。彼と過ごしたこの一か月間は、今までの自分の人生の中でもとびきり素敵な時間だった。

 だからどうか、そんな顔をしないで。

 ハイアットの顔がこの時は酷く歪んでいた。微笑んでいるはずなのに、押し寄せる感情に蓋をするように、何かに耐えるように強く顔を歪ませている。そんな顔は見たくなかった。いつもの春の晴れた日のような、カラッポのすがすがしい笑顔で笑ってほしかった。

「花嫁がそんな顔をしたらだめですよ」

 ハイアットはそっと手を伸ばし、――階段の一番上にいるオーレリアに届くはずもないのに――、手を伸ばし、そう言った。オーレリアは自分も彼と同じ顔をしていたことに、この時ようやく気がついた。

ぱたぱたとまばたきをするたびに、大粒の滴が落ちていく。止まらない。ぬぐってもぬぐっても、滴は頬をつたい、赤い絨毯に染みを作った。

「さようなら。私の、初恋の人」

 踵を返しても、涙は止まらなかった。胸の痛みもどんどん痛くなる。

「もしこれが本当の恋ならば、なんと辛いことでしょう」

 肩を抱いてくれたジェーンはポツリと一言そう言った。






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