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プロローグ 血と砂の契約 — 傭兵都市ガルダにて —

 世界が五つに割れてから、三百年が経つ。


 かつて一つの帝国だった大陸は、勇者の国、傭兵の国、エルフの国、ドワーフの国、そして魔王の国——それぞれの覇権と怨恨を抱えたまま、今も地図の上で睨み合っている。誰も統一を望まない。誰も、表向きには。


 リン・クロウは、その「誰も」の外側にいる人間だった。



第一話

流れ者の剣

— グラウン連邦・傭兵都市ガルダ、春の終わり —

酒場の木床は、乾いた血と砂で覆われていた。


リンが扉を開けた瞬間、十数人分の視線が一斉に向いた。女が一人、大剣を背負って入ってきた——それだけで場が静まる。傭兵都市ガルダでは、沈黙は最初の値踏みだ。


リンは気にしない。カウンターの端に腰を下ろし、黒ずんだコインを一枚置く。


「水。それから、仕事があるなら聞く」


酒場の主人——太った男で、片耳がない——は、コインをじっと見てから水杯を滑らせた。


「あんた、リン・クロウか。〈闇斬り〉の」


「呼ばれたことはある」


「三日前からあんたを探してる奴がいる。アルダ王国の紋章を持ってた」


リンの手が止まった。水杯を口に運びかけたまま、一秒だけ間を置く。アルダ王国——勇者の国。光属性の魔法使いと清廉な騎士団で知られ、三百年前の帝国分裂後も「正義」を看板に掲げてきた国だ。その国の使者が、無頼の流れ者を探している。


ろくな話ではない、と経験が告げる。


だが、ろくでもない話しか持ち込まれないのが流れ者の宿命だった。


◆ ◆ ◆


裏の個室で待っていたのは、若い男だった。白と金の外套——確かにアルダの王家紋章だ——を纏い、しかし顔には旅の疲労と、何か別の焦りが滲んでいる。


「リン・クロウ殿。お時間をいただけて光栄です。私はアルダ王国第一騎士団所属、テオ・ライアンと申します」


「用件だけ言え」


テオは一瞬たじろいだが、深呼吸して懐から羊皮紙を取り出した。広げると、そこには五大陸の地図と、赤いインクで引かれた一本の線があった。北から南へ、全大陸を縦断する線。


「ヴァルネスの魔王が動き始めました。封じられていた〈闇の法典〉の第六封印が解かれた。残り二つが解かれれば、五大陸は魔王の闇魔法で覆い尽くされる。我が国の勇者パーティーが封印の修復に向かっていますが——」


「向かっているが、何かが足りない、と」


「……闇属性の魔法使いが必要です。光だけでは封印は結び直せない。闇と光、相反する二属性が同時に作用して初めて、法典の封印は完成する」


リンは羊皮紙を見た。次に、自分の左手を見た。手袋の下、手のひらに刻まれた古い傷跡——三年前、ヴァルネスの国境で得た、魔王直属の魔将との戦いの痕だ。


あの夜から、リンの魔法属性は変わった。火と風だけだったはずが、闇の力が宿った。何故かは、まだ知らない。


「報酬は」


「金貨三千枚。任務完了後に」


「前払いで千。それと——」リンはテオの目を見た。「アルダ王国の騎士団は、任務が終わったら私の過去を洗うな。それが条件だ」


テオは一拍おいて、静かに頷いた。


リン・クロウは水杯の残りを飲み干し、席を立った。大剣の柄に手をかけ、ふと窓の外を見る。夕暮れの傭兵都市に、遠く北の空が見えた——ヴァルネスの方角。分厚い雲が、光を喰っていた。


どうせ一人で死ぬつもりだったなら、派手に死ぬのも悪くない。


それが、流れ者の美学だった。

特にありません。

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