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瑠璃色のカーテン  作者: ハーモライン
3/11

〈 3 〉


「Hi!Nice day,isn't it?」

張りのある、野太い声が食堂に響いた。

「ハイ!今日はいいお天気ね。」

 滑舌のいい、高い声がその後に続いた。

 振り返って見上げる。英国人のベン・アンドリューだ。声と同様に堂々とした体躯の持ち主だ。その横でアンドリューの言葉を翻訳したのが、羽生真衣。夏実と同じ案内所に勤務している。片頬に小さな笑窪を作り、いつものように愛嬌のある笑顔を見せている。

 二人は夏実と孝之の隣の席に腰を下ろした。場のテンションが一気に上がった気がした。


 ベン・アンドリューはこの街の山の手にある英国異人館の中にあるレストランのシェフを勤めている。本国では、ミシュランの星つきのレストランのシェフとして腕を振るっていたという。一流の料理人である。

 S百貨店で昨日から始まった「大英国展」に招かれ、催事場のイートインコーナーでパイを焼いている。煮込んだ牛ひき肉の上にポテトとチーズをのせて焼く、イギリスの家庭料理だ。コテージパイという。

 アンドリューは来日してまだ日は浅いが、振る舞いは英国紳士らしく礼儀正しく、英語と日本語の混じり合ったトークにユーモアがある。講演会もたびたび開いていて、人気が高い。テレビ番組に出演したり、雑誌の特集で取り上げられることもあり、イギリス料理のウンチクを語っている姿を時々見かけたりする。

 50歳はとうに越えているはずだが、大柄な体格は若々しく引き締まっている。


「ナッちゃんは今日はイタリアン、小澄さんは中華ランチね。」

 栗鼠のような目をクルクルさせながら、真衣が言う。夏実とちがって、真衣の目線はコロコロ変わる。好奇心が旺盛なのかもしれない。

「そういうミッチョンはインド料理だね。」

 夏実が返す。真衣の前のテーブルにはカレーの皿がある。夏実と真衣は同い年で仲が良い。


 羽生真衣は結婚してまだ間もない。旧姓は「三ツ尾」という。親しい職場仲間は姓が変わっでた今でも「ハブさん」ではなく、「ミッチョン」という以前からの愛称で呼んでいる。職場ではよくあるケースだが、制服の胸の名札も旧姓のままだ。


「イタリアンもチャイニーズフーズもインディアンクッキングもグレイト、大変結構です。でも本当の英国料理もマケテマセン。」

 アンドリューはニッコリ笑って胸を張る。アンドリューの話す日本語には英国なまりが強く、聞き取りに苦労することが多い。

 英国料理はとかく美味しくないと言われる。頑固な貴族文化が進歩の邪魔をする、痩せた土地が原因だ、などと言われがちだ。そんな英国料理の名誉挽回をすることがアンドリューの悲願だ。

 大英国展では、連日アンドリューのミニトークショーがある。本当の英国料理の良さというものをできるだけ多くの人たちに知ってもらうことが、アンドリューの講演の眼目だ。


 夏実と真衣はトークショーの司会をする。英国展の始まる前日には、通訳も兼ねて打合せをしたり、店内を案内したり、アンドリューとコミュニケーションする機会が多かった。

 案内所のメンバーの中では、二人とも英語が得意な方だ。特に真衣は堪能で、外国人のVIP顧客の通訳に駆り出されることもある。

 真衣は以前からアンドリューの料理の大ファンで、異人館の彼のレストランにも度々訪れ、面識はあったが、今回のことで、夏実もアンドリューと親交を深めた。一流の料理人としての威厳を持ちながら、人あたりの良い、気さくな人柄がアンドリューの魅力である。

 商売人としての素質もあるのか、アンドリューは人の名前を覚えるのも早い。日本人の名前は漢字や音に意味がいろいろあったりして面白いと彼は言う。夏実の名前を最初に見た時、アンドリューは、

「Oh!You are watermeron!」

と、嬉しそうに言った。


「ベンさん、買い物したの。」

 夏実が聞く。アンドリューの目の前のテーブルに、平べったい百貨店の袋が置かれている。

「Oh!It’s my tie.トークショーの時のネクタイを忘れてしまってね。」

 アンドリューが袋の中からネクタイを引っ張りだしながら言う。トークショーの時には必ずきっちりとネクタイを締めるのが彼の流儀だ。そういうところはまさに英国人らしいと夏実は思う。

「あっ、ダックスね。」

 真衣が目ざとく声を上げた。ダックスを象徴するもうなチェックのタイだ。

 アンドリューはニッコリ笑って、英国王室御用達、ダックスチェックについての蘊蓄を語り始めた。普段は努めて日本語を話すようにしているアンドリューだが、興奮したりすると、ほとんど早口の英語になる。

 孝之は黙って聞くしかない。アンドリューの話しの意味がほとんどわからないのだ。真衣たちほど英語は得意ではない。


 しばらくアンドリューの話は続いたが、ふとアンドリューが孝之に日本語で声をかけた。話に入ってこない孝之に気を遣ったのかもしれない。

「孝之のネクタイもダンディですね。色合いのセンスがいい。」

 孝之を指さして、オーバーアクション気味に褒める。

「今日は小澄さん、制服ではないものね。なかなか新鮮な感じ。」

 夏実も話を合わせる。

 コンシェルジュは普段店内ではベージュの制服姿だが、その日は午前中に外回りの仕事があって、珍しく、チャコールグレイのスーツ姿である。ドット柄のネクタイを合わせている。

 アンドリューたちの言葉は半分お世話だと思ったが、褒められて悪い気はしない。ネクタイの結び目に手をやりながら、

「まあね、コーディネートはこーでねーと。」

 夏実と真衣は顔を見合わせて吹き出した。孝之のギャグもたまにはうける。アンドリューは首をかしげてポカンとしている。

 ささやかな満足感を覚えながら、孝之は立ち上がった。

「僕はそろそろいかないと。」

 午後からは、アポイントのある馴染み客の案内と、その後、大英国展でアンドリューのトークショーの警備応援の仕事が控えている。




 

 

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