導き
(確か、メテルヤード公爵は、不思議な薬を夜な夜な作っている、らしいのよね……)
程よく揺れている馬車の中で、ルミナスな結構物騒なことを考えていた。
メテルヤード公爵の家までは馬車で四、五時間といったところなのだが、緊張のせいか眠ることもできないので、ルミナスはメテルヤード公爵についての情報を思い出していた。
アトラス・メテルヤード、19歳。三年ほど前に両親が他界し、若くしてメテルヤード公爵家の当主となった青年。公爵家の敷地内に人間はほとんどおらず、幽霊たちが使用人として勤めているらしい。『浄霊屋』としての実力は確かだが、その不適で不遜な態度は依頼人の逆鱗を撫でていくこともしばしばあるという。そして、屋敷の外観はどこからどう見ても幽霊屋敷だと思うような雰囲気を醸し出しているらしいのだが、こればっかりは直接見てみないと分からない。
しかし、彼が夜な夜な怪しい薬を作り出しては実験体を探して効果を試しているらしいとか、屋敷に一歩でも足を踏み入れた者は正常な精神状態では帰ってこれないとか、それ以前に面白半分で屋敷に入ろうとした者達はみな原因不明の変死体として帰ってくるとかいう噂は貴族の間ではもう常識として広まっている。最後のうわさは眉唾物だが。
(みんな死んでしまったのなら、面白半分で入っていったのかどうかは分からないじゃない)
なぜそんな初歩的なことに気付けないのか、甚だ疑問だ。
窓の外の景色を見つめながら、そんなことを思う。
エントリア王国の西側--------とくにメテルヤード公爵が住んでいる場所ーーーーーーーーはほかの土地よりも自然が多く、森や野生動物たちがありのままの姿で残っているところも多い。近代化が進んでいるせいで、どこの土地にも人間の手が加えられるようになってしまったこの国では珍しい場所だ。
(メテルヤード公爵のおかげ……でもあるのよね)
幸か不幸か、メテルヤード公爵の力は万人に恐れられているらしく、工事関係者が必死でこの土地にだけは来たくない、と言い張っているらしい。一時は強制的にこの土地に連れてこられた工事関係者が来て三日後に集団ボイコットを図るという事件が起こり、以来、この土地には手を加えようとする者たちは来ていない。
(本当に、どんな方なのかしら……?)
うわさを聞く限りはいい人には到底思えないが、貴族たちの間では得てして噂や憶測が飛び交う。本当のところどうなのかは、会ってみないと分からないのだ。
がくん、と一際大きく馬車が揺れた。どうやら着いたらしい。
ほどなくして揺れも完全に収まり、やはり着いたのだと分かる。
ガチャリとドアが開けられ、さあああ、という爽やかな風が吹いた。
立ち上がって馬車を降りる。日の光に目を細めると、目の前にそびえたつ大きな屋敷に目を奪われた。
荘厳な雰囲気が漂う大きな屋敷の白い壁には、緑色の蔓がいくつも絡みついていた。振り返ってみれば、いましがた通ってきたらしい門にもそれらしきものが絡んでいる。
こくりとつばを飲み込み、ルミナスは御者に告げた。
「もう、屋敷に帰っていいわよ」
御者は無言でそれに頷き、馬に鞭を打った。ガラガラという音が遠ざかる。
完全に音が聞こえなくなると、ルミナスは少しずつ足を踏み出した。敷地内は雑草だらけで、足首まで草に埋もれる。さわり、と足首を草が撫でで行く感覚に、思わず背筋が震える。
「確かにこれは、幽霊屋敷だわ……」
誰にともなくそう呟いてあたりを見渡せば、ある花壇が目に入った。
「何……?」
そこに植えられていた植物は、珍妙な姿をしていた。
毒々しい赤色の花なのだが、その五枚の花びらを縁取るように棘のような物がついていた。一体何に使う物なのだろうと思っていたら、そこにひらりと蝶がやってきた。どうやらその花の蜜を吸うつもりらしく、花びらの中心にとまる。
が、唐突に。
バクンッ、と、その五枚の花弁が閉じた。
「……え」
何が起きたのかよく分からず、ルミナスはその場で固まる。
しかし次の瞬間、その花びらがうぞうぞと動き始めた。
「ひっ……!」
--------食べている。
その事実に気付いた瞬間、気持ち悪さが胸のあたりまでこみあげてきた。
棘だと思ったのは触手だった。蝶の体を切り裂き、砕き、咀嚼する。パラパラと鱗粉が地面に落ちた。
見たことのない食虫植物の生態に辟易しながら、ルミナスは早足で建物へと向かった。
しかし。
これまた唐突に、彼女は足を止めた。
(誰か……いる?)
扉の十数メートル手前に、人らしき影が見えた。
ゆっくりと近づいて、全体像が見える位置に行く。
どうやら女性のようで、長い髪の毛がゆらゆらと揺れている。
ふわりと裾の広がったワンピースが目に入った途端、ルミナスの精神が危険信号を発した。
ぐらりと視界が揺れる。
女性がゆっくりと近づいてくる。
「あなたは……何?」
誰、ではなく何、と言ったのは、それがもう生者ではないことを悟ったからだった。
女性は答えず、近づいてくる。優しげな微笑みが、恐怖感を掻き立てた。
逃げたいのに、まるで足に根が生えたようにそこから動けなかった。
(やめて、やめて、やめて……)
声には、出ない。
唐突に、脳裏にある風景が浮かんだ。
下半身が倒れた木の下敷きになった女性の姿と、その前に立ち尽くす少女。倒れている女性の美しい瞳は生気を失っており、もう生きていないことを嫌でも思い知らされた。じわじわと広がる赤いモノが、ルミナスの視界にちらついた。
『お母、様?』
呆然としている少女の背後、ガサリと聞こえてきた物音。
反射的に振り向いた先、木の横に。
髪をふり乱した女が、いた。白いワンピースを着ながら黒々とした雰囲気を漂わせている。
その口が動いた。
『呪ってやる……呪ってやる!』
ハッとした時には、女の顔がすぐ目の前にあった。
ぞっとするほど美しい、笑み。
「い、やああああああああああ!」
気が付けば、ルミナスの喉からほとばしるような悲鳴が上がっていた。
恐怖に目を見開いて、ぐらりと後方に倒れこむ。
と、その時。
「やめろ、サミュラ」
トン、と体が何かに支えられた。そのままぐいと引っ張られ、暖かいものに包まれる。
「そのくらいにしておけ」
よく通る重低音が、耳に心地よかった。
(誰……?)
ふらつく頭をもたげて上を見上げれば、美しい真紅の瞳と目が合った。
「大丈夫か?我が花嫁」
少し彫りの深い顔立ちに、ぱらりと目にかかるほどに長く、美しい金髪。肌は普通の男性よりも白いが、そこに弱々しさは感じられなかった。
そして一番目を引いたのは、美しい瞳だった。悪魔のごとく煌めく赤い瞳は、まっすぐルミナスを見つめている。
今までルミナスも見たことがないくらいの、美青年だった。レントールやケビンも十分な美青年だが、目の前の青年には負けるだろう。そう思わせるほどに、その青年は神秘的な美しさを放っている。
突然の青年の登場に驚き、一瞬目の前にいる幽霊の存在を忘れて、ルミナスは呟いていた。
「メテルヤード公爵、にございますか?」
「その通りだ。俺はメテルヤード公爵家第十八代当主、アトラス・メテルヤード。驚かせてしまって悪かったな、我が花嫁、ハーリントン侯爵家第十二代当主が娘、ルミナス・ハーリントン」
低い声が響くとともに、青年ーーーーーーーーアトラスはルミナスを抱えた腕に力を込めた。
そしてゆっくりと、幽霊のほうを向く。
「花嫁を失神させてどうする、サミュラ」
呆れたようなその声に、首を傾げながらルミナスも幽霊を見る。……と。
「すみませんね。だって人間って久しぶりなんですもん」
飄々とした声とともに、目の前の女性は髪をぐしゃりと掴んだ。
(……え……?)
目を見開いて絶句していると、幽霊は女の命を頭からはぎとり、地に投げ捨てた。
「はー、暑かったわ。蒸れるのよね~この髪の毛。もっと通気性良くなりませんか?」
「だったらつけるな。もしくは自分で作れ」
「え~」
女性はひとしきりぶつぶつつぶやくと、短い髪の毛をガシガシとかき回す。
(何……この人)
あまりにもレディらしからぬその行動に言葉を失っていると、女性はふとこちらを見て無邪気に笑った。
「驚かせてすみません、花嫁様。私の名前はサミュラ。十七で死んでしまった可憐な悲劇の乙女ですわ。どうぞ労わってくださいませ」
「初対面で自分を失神させかけた奴をどうやって労われというんだお前。お前は悲劇の乙女じゃなくて過激な戦闘民族だろうが」
残念ながらそれは図星だったらしく、サミュラはむう、と唇を尖らせた。
「あ、あの……」
なんだか置いて行かれているような気がして、ルミナスはおずおずと声をかけた。アトラスが、ん、と言ってルミナスに視線を移す。
「あの、今のは、えっと……」
この驚愕をどう言葉にしたらいいのか分からず、どもってしまう。
しかし、それを察してくれたのか、アトラスの返答は早かった。
「ああ、サミュラは生前、この近くの劇場で劇団員として活躍していたんだ。そのせいで死んでからも劇をやりたがって仕方がないから、面白半分で屋敷にやってきた不届き者達を追い払う役を与えたんだ。いろんな幽霊を演じていたのは知っていたが……花嫁追い出してどうするんだ、馬鹿幽霊」
「その言い方やめてくださいよ!……それに、花嫁様は霊感がおありだと聞いたので、てっきり大丈夫かと……」
しどろもどろなその言い方に、ルミナスはハッとする。
「ご、ごめんなさい……あの、私、髪が長くてワンピース姿の幽霊がどうしてもだめで……他は大体大丈夫なんですが……」
思わず縮こまってしまった肩を、アトラスはゆっくりと撫でた。
「落ち着け。まず屋敷に入るんだ。花嫁をいつまでも屋敷の外で待たせておくわけにはいかない」
「は、はい……」
その声で、ルミナスは歩き出そうとした。しかし。
「あ、あれ……?」
足に、力が入らない。
「恐怖で力が抜けたか……仕方ない」
そう呟くと、アトラスはルミナスの首の後ろと膝の裏に手を添えた。
「え」
その行動を理解する前に、ルミナスはひょいっと持ち上げられてしまう。
「え、ちょ、あの……!」
「おい暴れるな、落ちるだろうが」
「ですけど、あのっ……!」
「異論は認めない」
取り付く島もなく、アトラスはすたすたと屋敷に向かって歩いてしまっている。布越しに伝わってくる引き締まった体の感覚に、思わず顔が赤くなった。
(ど、どうしよう、どうしよう……)
彼は花嫁の困惑にはそ知らぬふりをして、屋敷の中へと入る。
その後ろを、笑いをこらえながらサミュラがついてくるのだった。
やっと公爵の名前が出せました……!
この小説を書いた当初から名前は決まっていたものの、その名前を出していないことに最近気づいたのです、すみません。
こんな間抜けな作者ですが、皆さんどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。