洞窟の時
翔はぼんやりと空を眺めていた。空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうだ。
校門が見えると、不意に昨日した約束を思い出す。なんであんな約束をしたんだろうな、と小さく呟き教室へと向かう。
まだ、朝のホームルームの十五分前ということもあり、席はまだまばらにしか埋まっていなかった。翔は茜の席を何気なく視線を向けると、本人が座っていてこちらに気づいたのか、おはよう、と挨拶をしてきた。
「おはよ‥‥‥って何か用かな?」
茜が何かを言いたそうに翔を見つめている。
(昼食のことか……クラスの目線が痛いな)
「えっ、その……月雲くんの分の弁当をちゃんと作ってきましたので──」
茜の言葉がそこで途切れ、顔を真っ赤にしてうつむく。クラスメイトからの目線が二人により一層に集まる。翔は、このままじゃ話が進まないな、と考え、
「分かってるって……一緒に、弁当食べんだろ?」
翔は照れて伏目になるも、なんてことでもないように振る舞う。対して茜は耳までも赤くして恥ずかしがる。
「う、うん。じゃあ、後でね」
茜はそう言い残し、そそくさと逃げるように走り去った。
(朝からハードすぎだろ‥‥‥あぁ、クラスメイトからの目線を感じる)
頭を悩ませる翔に後ろから声をかける人が。
「よっ! 白菊さんとなに話してたんだ?」
天宮 裕司、彼は翔の幼馴染でいつも陽気な男だ。短く切りそろえられた髪が元々の髪質からか上に逆立っている。
「ユウか、別に対したことじゃねぇよ」
「昼食を一緒に食べるのが対したことじゃないと言うのですか?」
翔と裕司の会話に蓮が横やりを入れてくるのが二階堂 蓮。テニス部のエースで学年主席、俗に言う文武両道で大概のことはほぼ完璧にこなすことができ、翔と裕司とこのクラスで始めて知り合ってからは互いに仲良くしている。
「いや、それはだな〜」
「まじかよ、ショウ」
蓮は不敵に笑っている。
「まぁ、まぁ。いいじゃないですか。後で、たっぷりと話を聞かせてもらいますから」
「お、おう‥‥」
(蓮はやっぱり性格悪いな……)
「でも、翔は大丈夫なのですか?」
「何がだ?」
蓮の質問に意図がつかめない翔。裕司も理解しておらず、完全に傍観を決め込んでいる。
「白菊さんは私たちの学年でも一、二位を争う美貌の持ち主ですよ。嫉妬にかられた人がどれだけいるか‥‥‥」
「あぁ、そう言うことか。それなら問題ない」
翔は蓮に冷たく言い放つ。授業開始のチャイムの音がクラスに響く。
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翔が目を覚ますと、辺り一面が闇に覆われていた。闇の中に燃え盛る炎が一つ。その炎が僅かに辺りを照らしている。翔は上体を起こし、よく目を凝らし辺りを見渡す。ゴツゴツの岩でできた天井、冷たい土の感触、一定の間隔で聞こえる水滴が落ちる音。翔はここがどこかの洞窟である、と考えていた。
「やぁ、起きたかい?」
炎の近くにいた一人の男が声をかけてくる。翔はその顔を見て、先ほどの森でのことを思い出す。
「狼たちは……?」
「とりあえず落ち着いてよ。まずはこっちに来て、一つずつ説明してあげるから。それに……僕も聞きたいことがあるしね」
翔が立ち上がろうとすると、腹に強い痛みが走り、思わず声をあげそうになるが、歯を食いしばることで耐える。服をめくると、布が巻きつけられており、簡単な止血がされていた。
「一応、応急手当てはしておいたよ」
(こいつが誰だかはわからないが、ここは言う通りにして、色々聞くのがベストか)
翔は焚き火の前に座っていた男と向かい合うように座る。男にしては長すぎる髪と長身……顔立ちは整っており、爽やかな印象を受ける。一般に優男と言われるような感じだ。男の横には長めの刀が岩に立てかけられている。
「で、ここはどこなんだ?」
「まぁまぁ、そう焦らないでよ。まずは落ち着いて自己紹介でもしない? 僕は、氷室光希。青葉王国の七雄の一人で──」
「七雄‥‥?」
「知らないの?」
「あぁ」
「えーと、七雄って言うのは青葉王国にいるより強い加護を受けている七人のことなんだけど……わかったかな?」
神の加護? 精霊の加護? なんだそれ? 、と翔が口にしようとしたが口を閉じた。その様子を不思議そうに光希が眺めている。
(ここが異世界なのは確定だな。ここで下手に知らないとか言ったら、おそらく怪しまれるだろう。だとしたら‥‥ここで異世界人であること明かすべきか、明かさないべきか……)
「多分……なにか事情があるのかな?よかったら力になるけど」
(おそらく、あの狼を倒し、俺を助けたのは光希だろう。でも……)
「氷室さん‥‥」
「光希でいいよ」
「……光希。俺の名前は月雲翔って言います。多分、ですけど‥‥俺、自分の記憶がありません」
翔は悩んだ末に自らの出身を隠すことにする。光希が信用できないわけではないがこういったことは慎重に決めるべきだと翔は判断した。
光希は目を見開き、前のめりになりながら、数秒……黙り込んだ。表情は至って真剣でなにか考え事をしていた。
「そうか。じゃあ、加護のことも知らないんだね?」
「あ、はい」
途端に光希の表情は緩やかになり、また楽な態勢に戻す。
「そうだねー、加護って言うのは神、精霊、天使、悪魔、死神から人間に与えられる力のことなんだ。君の場合は電気……多分、雷の精霊の加護だね」
(雷の精霊の加護……か。元の世界に戻ったらどうなるんだろうな)
「光希はどんな加護を持ってるんだ?」
「僕は風の精霊の加護、”疾風”を持っているよ。能力としては動きが速くなることで、足の速さだけじゃなくて剣速も上がるんだ。他に何か聞きたいことはあるかな?」
(そうだな……まずは、この世界の知識を増やさないと)
「この場所の事とか、えーと‥青葉王国の事とか教えてくるか?」
「うーん、まず東西南北に国が一つずつあるんだ。東の灰砂公国、南の黄英共和国、西の黒神帝国。境界線は曖昧だけど一応は定められているよ」
「じゃあ、ここはどの国の領土なんだ?青葉王国か?」
「ここは始まりの森……神がこの世に舞い降りた唯一の場所と言われているんだ」
「神……?」
「そう、全ての命は神によって作られた、そう考えられている。だからこの森が中心となって、国を分けているんだ」
「へぇー。‥‥‥ならなんで光希はこんなところにいるんだ?」
光希の眉間がピクッと反応する。
「そうだね。でも、その前に翔に幾つか質問するよ」
翔はなんとなくだが、光希が臨戦態勢に入ったのが分かった。
(なにか……聞いたらまずいことだったのか?どっちにしろ、光希には勝てない。なら‥‥従うしかないよな)
「なんだ?」
「あの刀をどこで手に入れた?」
光希はそう言って、離れたところに置かれていた刀を指差す。
(あの刀は俺が拾った‥‥‥)
「あれは……草原を歩いていたら、血まみれの布が散らばっていて‥その中にあったのを拾ってきた」
「血まみれの‥‥布?」
途端に光希の様子が変わり、右手を広げ顔を覆い、ブツブツと呟いていた。
(……どういうことだ? 光希はあの刀の持ち主を探していたのか……でも、魔物がいるような所をほっつき歩いている奴が死ぬことであんなに動揺するか?)
プツリと光希の独り言が途絶えた。
「ごめん、少し取り乱してた」
「あぁ、大丈夫。ところであの刀の持ち主はどんな人なんだ?」
「……僕の、仲間さ。彼も七雄の一人で最強と呼ばれる神の加護、”障壁”の持ち主なんだ。何が、あったんだろうね?」
光希の声が次第に弱々しくなる。
「”障壁”ってどんな力なんだ?」
翔の中に一つの疑問が生まれていたが、確証は無く、光希に言い出せなかった。
「彼の拒んだものは彼の領域に入ることができない。拒まれた人が入ろうとすれば見えない壁に阻害されるんだ」
やはり、と翔は小声で言った。
(光希と同等の力を持つ人があんな所で死ぬわけがない。なら‥‥‥人の手で殺されたのか)
「なるほどな。光希はそいつを探しに来たのか」
「そうだよ。次の質問にいくよ。青い便箋を見なかった?」
「青い‥‥便箋? ……知らないな」
光希は確信づいたように何度か頷き、強く拳を握りしめていた。
「そう‥か、うん、分かった。ありがとうね。‥‥翔はこれからどうするんだい?」
翔には、はなから光希について行く他に道はない。
「特に決めてはいないけど……」
翔はチラッと光希に視線を送る。
「じゃあ、僕と一緒に青葉王国においでよ。この森を一人で抜けるのは厳しいでしょ?」
「あぁ、助かる。青葉王国へは、ここから歩いてどんくらいなんだ?」
「そうだね……、翔は体力に自信ある?」
そりゃもちろんバスケ部でしたから、と翔は言おうとするが口を開けた状態で静止した。翔はこの世界の平均的な体力がわからないからである。
「うーん、普通くらいかな〜」
「そっか、うん、分かった。じゃあ、三日くらいあれば着くと思うよ」
(三日‥‥って、多分一日中歩いて、だよな? きついな‥‥)
「じゃあ、さっさと行こう」
翔は光希を急かすように言い放つ。
「……なんで、翔はそんなに焦っているの?」
光希の鋭い質問に、翔は思わず目を逸らす。翔は歯を食いしばり、下をうつむきながら話す。
「えっ?」
光希の確信づいた質問に戸惑う翔。
「だってさ、まだ怪我してるんだよ。ゆっくりしてもいいんじゃないかな」
確かに翔は焦っていた。森の中で狼に襲われた時に感じた死への恐怖が翔を焦らせている。
「ここにいたら、何か怖くてさ」
翔は思いっきり歯を食いしばり、
「‥‥死にたくないんだ」
光希は翔の目をまっすぐと見ながら、
「‥‥‥死ぬことは確かに怖いよね」
「なんでこんな目にあってんだよ‥‥」
翔は光希を睨みつけると、光希は笑みを浮かべて、
「そっか……うん、じゃあ強くならなきゃね」
光希は洞窟の奥の闇の中を見つめながら言った。
「え?」
「強ければ死ぬことはない。弱肉強食‥‥それが世界のルールだ」
光希はゆっくりと立ち上がり、俺の持っていた刀の前まで歩く。ゆっくりと刀を拾い上げると、翔に向かって優しく投げる。
「その刀の名は麒麟、僕の相棒の慶次の刀だよ」
光希は自然に、かつ流れるように滑らかに抜刀し、説明を続ける。
「この刀は飛天。どちらの刀も名刀と呼ばれている。翔、刀を抜いて。道中で死なないように最低限の戦い方を教えるよ」
言われとおり左手で柄、右手で鞘を持ち、ゆっくりと離す。白銀の刃が焚き火の光を反射して、紅く染まっている。翔が寝ている間に、刀が手入れされているのが一目でわかった。
「これから僕が攻撃するから、翔は耐えていればいいよ」
「耐える……?」
「そう、加護使ってもいいから、とりあえず凌いでみて」
「ちょっ、まっ──」
翔が続きを言い終わる前に、金属同士の衝突音が洞窟に響く。一瞬、鍔迫り合いになるが光希の方が腕力が強く、翔は押し飛ばされようとしていた。
「な、めんな!!」
翔は刀に電気を流すが、すでに後ろに飛んで距離を取られていた。
「加護の初動が遅すぎだよ」
「クソぉ!!」
翔は刀に全ての力を集中させる。抑えきれなかった電気が空気中へと放電する。
「それじゃあ、駄目なんだよ……」
翔は森の中より数倍強くなっている電気に目を見開いた。
(なんで……こんなに強いんだ?)
疑問を持つ翔だが、いつまでも気にしているわけにもいかず、光希との距離を詰める。光希は怠そうに片手で刀を構えていた。イラっときた翔は一気に光希の前に躍り出て、電気を纏った左足を突き出す。が、すでに光希は翔の視界から消え、蹴りは虚しく空を切る。
(どこだ‥‥?)
翔は咄嗟に視界を走らせる。
「ここだよ」
翔の耳元で囁くような声。
「なっ!?」
翔が振り返る前に、光希は翔の首を掴み地面に叩きつけ拘束する。
「うーん、まずは少し‥‥加護の使い方を覚えてみようか」
翔を地面に押しつけたまま、光希が呟く。
「……右手、離してくれ‥‥」
翔が苦しそうに漏らす。
「あぁ、ごめんごめん」
光希が慌てて翔の上から立ち退く。翔は身体中に付いた土を落としながら上体を起こす。
「光希速すぎだろ‥‥」
「まぁ、そういう加護だからね。ねぇ翔、ちょっと電気出してみて」
光希が翔の手を支え、観察しながら言う。
「あぁ‥‥これでいいか?」
翔の指先から電気が漏れる。その様子を真剣な眼差しで光希が眺める。
「うん‥‥次は指を二本立てて。その二本の指からの電気を繋げてみて」
言われた通りに人差し指と中指を立てて力を込める。電気は不規則に散らばりまとまりがなかった。
(あれ?意外と難しいな‥‥電気回路をイメージして‥‥‥)
一瞬、中指と人差し指の間に一本の光る線ができた。
「そうそう、その調子だよ」
「これっていつまでやるんだ?」
「ある程度使えるようになるくらいかな。王国へ移動中に何度も戦闘するだろうし、その度に僕が翔をかばえるとも限らない。だから最低限の護身術は覚えてもらうよ」
「ん? 普通に放電するのじゃ駄目なのか?」
「あ〜、それはね。加護っていうのは基本的に自分の生命力を使って発動しているんだけど、放出してたらすぐ疲れる。だから循環して使うのが一番いい形なんだよ」
「光希のはどうやって使っているんだ?」
「僕のかい? 疾風は肉体を強化するような加護だから、放出とかはしたくてもできないんだ」
「へぇー、じゃあさ──」
数時間もの間、翔は力の練習をしながらこの世界の知識を学んだ。