使徒なるモノ
「え? 義父さまと一緒にいて、いちばん思い出に残っていること?」
ルーシュは問いを聞き返すと、しばらく考え込んだ。
華やかな出来事はいくらでもあったはずだった。
けれど、彼女が思い出したのは事件でも旅行でもない。
「そうね……ザレイドにいた頃、みんなでリビングに集まって遊んだことかな。稀人がこの世界に持ち込んだゲームで、『人生ゲーム』っていうの。知ってる? 駒を進めながら就職したり、お金を稼いだり、結婚したりするやつ」
話しているうちに、ルーシュの口元が少しずつ緩んでいった。
「それでね、何回やってもギルエルだけまともな仕事に就けなかったの。ずーっとアルバイト。やり直してもアルバイト。そのたびにシュモーが『食べることしか能のない人間なのですから、身の丈に合った結果でしょう』って真顔で煽るし、義父さままで『ホームレスよりはマシだろう。住居があるだけ人生としては上出来だ』なんて言い出して……ギルエル、本気で拗ねちゃったのよ」
くすくすと笑っていたルーシュの声が、そこで少し弱くなった。
「ゲームなのにね。みんな本気になって、ギルエルは怒るし、シュモーは楽しそうに追い打ちをかけるし、義父さまは止めるどころか一緒になって面白がってた。私も笑ってた。あの時は……何も考えなくてよかったから」
遠くを見る。
そこにあるはずのない、ザレイドの屋敷のリビングを見ているようだった。
「別に、大した思い出じゃないの。誰かを倒したとか、どこかへ旅行したとか、そういう話でもない。ただ、みんなが同じ部屋にいて、馬鹿なことで笑ってただけ。でも今になって思うと……私、ああいう時間がいちばん好きだったのかもしれない」
笑みが消えた。
代わりに、濃い隈の残る目元へ寂しさが滲んだ。
「また、ああいう生活に戻れるのかしらね。義父さまがいて、ギルエルが怒って、シュモーが意地悪を言って……明日のことなんて何も心配しないで、くだらないことで笑える生活に」
そこまで言って、ルーシュは自分が余計なことを喋ったと気づいたらしい。
薄く笑って誤魔化した。
「……まあ、人生ゲームなら、またどこかで買えばいいだけなんだけど」
ナニレスクは何も言わなかった。
ただ、その最後の一言まで記録へ書き留めた。
――ルーシュ・オクタヴィアヌス取材記録より抜粋。
◇
異変は、音より先に来た。
アウグストゥスとアエーシュモーが今後の対策について話していた、その最中。
アウグストゥスが顔を上げた。
扉の向こう。
廊下。
そこから、剥き出しの殺意が真っ直ぐこちらへ向けられている。
「――来るぞ」
次の瞬間。
ズドンッ!
スイートルームの扉が、壁ごと吹き飛んだ。
爆煙と炎が一気にリビングへ雪崩れ込み、高級家具を呑み込んでいく。窓硝子が震え、天井から細かな破片が降った。
アウグストゥスはソファから腰を上げた。
その顔には驚きより先に、うんざりとした色が浮かんでいた。
「新しい使徒とやらを用意するまで、もう少し間があると思っていたのだがな。どうやら管理者は、俺が考えている以上に仕事熱心らしい」
使徒。
この世界の流れへ上位存在――管理者が介入する際に用意する駒。
時代によっては、その者たちは英雄と呼ばれる。
あるいは勇者と呼ばれる。
本人が望んでいたかどうかとは、関係なく。
アウグストゥスは炎の向こうへ視線を据えたまま命じた。
「アエーシュモー。ルーシュとギルエルを頼む。前回と同じなら、狙いは俺だ。寝室まで巻き込ませる必要はない」
「承知いたしました。では旦那様、お戯れになるのも程々になさってくださいませ。ホテルを変えるたびに破壊なされていては、宿泊先がなくなりますので」
「壊しているのは俺ではない」
「結果だけ見れば、毎回旦那様がお泊まりになった部屋が壊れております」
「……後で議論しよう」
「楽しみにしております」
アエーシュモーはスカートの端を軽く摘まみ、いつもと変わらぬ優雅さで一礼した。
その背後では火が壁紙を舐め、煙が天井を覆い始めている。
それでも彼女は走らない。
まるで食事の時間になったのでルーシュを呼びに行く程度のことしか起きていないかのように、背筋を伸ばしたまま寝室へ向かった。
その異様な落ち着きを見送りながら、アウグストゥスは鼻から息を吐いた。
「さて」
爆煙の中で、人影が揺れた。
一歩。
また一歩。
光の剣を携えた男が姿を現す。
エー・アスイズミ。
だが、昼間までの彼を知る人間が見れば、同じ男だとは思わなかっただろう。
白目を剥き、口元から泡を垂らしている。
首が不自然に傾き、呼吸のたびに喉の奥から潰れた音が漏れた。
「うぐ……ぅ……あ、ぐっ……」
握っているのは光の剣。
ニンザ・フルハタが襲撃してきた時と、同じもの。
アウグストゥスの目つきが変わった。
恐怖ではない。
確認だった。
剣。
眼球。
呼吸。
意識状態。
歩き方。
一つずつ眺めていく。
「なるほど。別の人間へ同一の武器、似たような意識障害……偶然ではないな。個人の能力を増幅しているのではなく、ある程度同じ形式へ加工して使徒を作っているのか?」
「う……うぅ……」
アスイズミの顔が一瞬だけ歪んだ。
口が動く。
声にはならない。
アウグストゥスは、それを見逃さなかった。
「ほう」
アスイズミが踏み込んだ。
一瞬で距離が消える。
光の剣がアウグストゥスの首を狙って横薙ぎに走った。
アウグストゥスは上体を僅かに沈めてかわす。
背後のテーブルが斬撃を受け、音もなく二つに割れた。
「完全に壊れているわけではなさそうだな。今、俺の声へ反応した。ニンザの時もそうだったが、管理者は人格そのものを消しているのではなく、どこかに残したまま身体を奪っているらしい」
アスイズミの喉が震えた。
「に……げ……」
アウグストゥスが眉を上げる。
「何?」
「に、げ……ろ……」
次の瞬間、アスイズミ自身の口を塞ぐように身体が大きく痙攣した。
頭を抱え、悲鳴を噛み殺す。
キイイイイイン――。
アウグストゥスには聞こえない音が、彼の頭蓋の内側を焼いた。
「がぁあああああッ!」
アスイズミが再び剣を構える。
先ほどよりも速い。
先ほどよりも殺意が強い。
それでも頬には涙が流れていた。
アウグストゥスは、その涙を見た。
一瞬だけ沈黙する。
「……哀れなものだな」
同情した声ではなかった。
死体を解剖して病変を見つけた医者が、その症状を評するような声音だった。
「神だか管理者だか知らんが、他人の身体を借りなければ俺一人殺せんらしい。しかも、借りた人間の意識を残したまま自分の罪を実行させる。随分と趣味の悪い正義だ」
アスイズミが低く唸る。
「お前に個人的な恨みはない。むしろ生きたまま捕まえて、管理者について色々聞いてみたいところではある。だが――俺も殺されてやるほど善人ではないのでね」
アウグストゥスが右手を何もない空間へ差し入れた。
空間が水面のように揺らぐ。
そこから刀を引き抜く。
アスイズミが跳んだ。
「うぁああああああッ!」
「来い」
刀と光の剣が正面から激突する。
ガキィン――!
耳を刺す金属音が、炎と黒煙に包まれたスイートルームへ弾けた。
火の粉が舞う。
そしてアスイズミの奥歯から、血が滲んだ。
彼はまだ。
自分の身体の中にいた。
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