我々は何をするべきだったのか?それとも何もするべきだはなかったのか?
不吉な死神の鎌を思わせる三日月を、厚い雲が覆っていた。
月明かりすら届かない闇の中。
崩れたステンドグラス。
朽ちた長椅子。
ひび割れた石柱。
かつて多くの信徒が祈りを捧げたであろう礼拝堂は、今では静かな廃墟となっていた。
その中央。
一人の少女が跪いている。
薄い桃色の髪をツインテールに結った少女だった。
高価なドレスを身に纏っている。
だが、その姿に貴族らしい気品はなかった。
肩は小さく震え。
顔色は青白く。
目の下には濃い隈が浮かんでいる。
まるで何日も眠っていないような顔だった。
そして。
その喉元には、一振りの剣が突きつけられていた。
少女は抵抗しない。
逃げようともしない。
ただ静かに目を閉じていた。
「ごめんなさい……」
小さな声だった。
風に消えそうなほど弱々しい。
「私が悪いの……」
少女はそう呟く。
まるで誰かへ謝罪するように。
あるいは自分自身へ言い聞かせるように。
「だから、もう終わらせて……」
その言葉を聞いた瞬間。
剣を握る女剣士の表情が歪んだ。
怒りだった。
「終わらせるだと?」
長い金髪を揺らしながら女剣士が吐き捨てる。
「貴様が何人殺したと思っている!」
少女は答えない。
「四十二人だ!」
礼拝堂に怒声が響いた。
「四十二人もの命を奪っておいて、今さら被害者面をするな!」
少女はゆっくりと目を開く。
その瞳には絶望しかなかった。
「……うん」
小さく頷く。
「私が殺した」
あまりにも素直な肯定だった。
言い訳もない。
否定もない。
だからこそ女剣士の怒りはさらに強くなる。
「なぜだ!」
剣先が震える。
「何故そんなことをした!」
「…………」
少女は答えない。
唇を噛む。
そして再び目を閉じた。
「ごめんなさい」
それしか言わなかった。
女剣士は歯を食いしばる。
目の前の少女は弱々しい。
今にも壊れてしまいそうだ。
だが、その手は四十二人の命で汚れている。
だから。
だからこそ。
裁かなければならない。
「その罪――命で償え!」
剣が振り上げられた。
鋭い刃が月光を反射する。
少女は抵抗しない。
逃げない。
ただ静かに死を受け入れていた。
そして。
剣が振り下ろされた。
その瞬間だった。
「待て」
低い男の声。
直後。
ガキィィィィィン!!
激しい金属音が礼拝堂を揺らした。
火花が散る。
振り下ろされた剣は、少女へ届いていなかった。
一本の刀が受け止めていた。
異世界から召喚された稀人たちが伝えたという片刃の剣。
その柄を握る人物を見た瞬間。
女剣士の目が見開かれる。
「ヴァーミリオン……!」
そこに立っていたのは一人の老人だった。
白髪。
長身。
モノクル。
仕立ての良い礼服。
老齢であるにも関わらず、その立ち姿には一切の衰えが感じられない。
むしろ猛獣のような危険さすら漂わせていた。
「アシュハートはどうした!」
勇者の問いに老人は淡々と答える。
「獣人のことか」
声に感情はない。
「あの男なら俺のメイドが相手をしている」
そして一歩前へ出た。
少女を庇うように。
「だがそんなことはどうでもいい」
老人は静かに言う。
「剣を引け、勇者」
「お前が殺そうとしているその少女は悪人ではない」
「この場で裁かれるべきは俺一人だ」
女剣士の瞳に憎悪が宿る。
「ふざけるな!」
怒声が響く。
「その娘が何をしたか知っているだろう!」
「ああ」
「なら何故庇う!」
老人は答えた。
迷いなく。
「俺の娘だからだ」
少女が目を見開く。
女剣士も言葉を失う。
だが次の瞬間。
勇者は再び剣を構えた。
「ならば、その娘を殺し!」
地面を蹴る。
「その後で貴様も殺す!」
爆発的な速度。
勇者は一瞬で距離を詰めた。
剣閃。
衝撃。
刀が弾き飛ばされる。
勝負は決した。
そう見えた。
だが。
老人は最初から隙を晒していたわけではない。
誘っていたのだ。
勇者の腕を掴む。
「なっ――」
次の瞬間。
女剣士の身体が宙を舞った。
轟音。
石床が砕ける。
勇者は礼拝堂の床へ叩きつけられていた。
「がはっ!」
肺の空気が吐き出される。
老人は感情のない目で勇者を見下ろした。
そして。
背後を振り返る。
そこには少女がいた。
血塗れの連続殺人犯。
誰よりも孤独だった義理の娘。
老人は静かに目を閉じる。
(どこで間違えた)
思考は自然と過去へ向かう。
(何が足りなかった)
(どこで狂った)
答えは分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
全ての始まりは――。
一人の少年を屋敷へ招き入れた日だった。
それは二か月前へ遡る。




