幕裏 原罪
「月を砕いて、太陽を堕とすだと……? 」
相席客の青臭い台詞が鼻につき、試すように剣を取る。
「またですか、アルト」
「剣で語るのが、俺の流儀だ」
「全く、あなたが入り浸るようになってから、商売上がったりです」
「金なら腐るほどある。上客を逃す手はないぞ」
ロウは仁侠に固いが、同じくらい金にもがめつい。適当に金貨を握らせておき、手出し無用と釘を刺しておく。
「痛いのは嫌いです……」
レイと名乗る一文無しは、その容姿に違わず、性根まで負け犬だった。男のくせに、金朱の背に隠れて、事なきを得ようとしている。
それでいて、情けをかけるような目を向けてくるのも、腹が立つ。
「俺に指一本でも触れられたら、飯代は持ってやる」
「……わかりました」
「お互い手加減は無しにしよう。真剣勝負だ」
俺は、一対の剣を構える。
すると、レイは犬の真似事を始める。
(楽しませてくれそうだ)
そんな期待に反して、俺は本気を出すどころか、技さえ無用だった。
「うまい酒が台無しだ」
あまりの弱さに、罵倒する気も起きない。
「その程度の強さで、魔人と駆け落ちだ? やめておけ。叶うわけがない」
「アルトさんには、関係ありません」
理想を語る無能の姿に、虫唾が走った。
「……聞こえなかったか? お前には、仲間を守る力はないと言ったんだ」
「だから、必死に頑張ってるところです」
「なら、才能がないな」
「それでも、諦めません」
「……そこまで言うなら、スキルを使え。俺を負かしてみせろ」
喉を潰すように、欠剣の断端を突きつける。
しかし、男は吠えるばかりで、一向に力を使おうとしない。
「……話にならんな」
甘えた生き方に、心底反吐が出た。
「祝福を使え。仲間を頼れ。理想は捨てろ。そんなことで意地を張っていても、守りたいものは手のひらからこぼれ落ちてくだけだ」
「祝福は使いません」
「全てを失うぞ」
「……光の下を歩いてる人に言われたくありません」
「そう言うお前は、ただの死にたがりだ」
土足で腹を潰しても、逃げる素振りもない。
腐り切った性根が、冥府の底まで伸びているようだった。
しかし、どれだけ肉体と精神を追い詰めようと、決して負けを認めようとしない。
「強くなりたい……! 」
男は涙を流す代わりに、肉を抉って血を流していた。
その姿に、過去の自分が映る。
(……馬鹿な野郎だ)
この世界は、祝福が全てを決定している。
天使の寵愛を受ければ、望むものは何だって手に入る。悪魔の寵愛を被れば、どんな欲望でも押し通せる。
人生は、生まれ持ったスキルで決まる。
俺は、しがない冒険者だった。
“剣士”として生まれ、剣の道を生き、剣に果てる。それが、俺の天命だった。
確かに、はじめは、それだけだった。
「……幸せを分けてあげたいと願うのは、いけないことですか。不幸を肩代わりしたいと思うのは、間違ってますか」
レイの言葉が、封じた想いに亀裂を入れる。
「……やめておけ」
俺は、諦めた。
「世界は、光で埋め尽くされている。たとえ自分の道が気に食わずとも、逸れる道はないんだ」
だから、がむしゃらに走った。
「自分の道を守り続ければいい。前だけ見ていろ。隣の光に憧れるな。後ろを振り向くな。迷えば、光は幻だ。闇は、悪夢だ」
だから、自分だけを頼りに、二刀流を極めた。
しかし、終ぞ不安が消えることはなかった。
「……僕は救われました」
俺も、二人に救われた。
「ニルを縛りたくない」
俺は、二人を使い捨てることなど耐えられなかった。
「不幸にしたくない」
だから、世界を変えようと思った。
それなのに、どうして届かない。
「こんな力なら、ない方がいい……! 」
「……全くだ」
叶わない願い。
救えない命。
変わらない未来。
それは、どれも認め難くも、確かに生きた証だ。
人は誰しも、後悔と希望を抱いて、死んでいく。
しかし、天使と悪魔は、祝福と宣い、歪めた。
「剣士は、剣を振り、敵を殺せばいい。敵もまた、俺に剣を翳し、殺せばいい。……だが、剣として生きる奴の幸せは、どこにある」
俺は、冷たくなった相棒を握りしめる。
二本の剣と出逢った日。俺の幸福は、絶望へと変わった。
それでも、心は満ち足りていた。
俺たちは、ただ面白おかしく生きていられれば、それで幸せだった。
しかし、教会とギルドは、朽ちかけの剣を置くことを認めなかった。
「……剣として殺す。それが、剣の幸せだ」
俺は、”剣士”を辞めなかった。
その”選択”をしたした瞬間から、歩く屍となった。
いや、初めから、血など通っていなかったのかもしれない。
「諦めろ。上を向いて歩け。下だけは見るな。道は踏みつけるためにある」
どんな道を与えられようと、交わらない運命など存在しない。必ずどこかで、誰かと巡り会う。
そして、他人を踏みつけて得た幸せを糧に生きるのが、人間という屍だ。
「もう一度だけ言う。魔人のことは、諦めろ」
祝福がある限り、夢は叶わない。
ならば、せめて光の下で微睡むべきだ。
しかし、男は慟哭するように咆えた。
「それでも、ニルと生きたいんです! 」
レイの強い願いに、にわかに剣が震えた。
「黙れ……!! 」
未練を断ち切るように、全力で切り掛かる。
しかし、レイは祝福を使わなかった。
「……僕は弱い僕のまま、ニルを幸せにして見せます! 」
レイは、祝福に首を絞められたまま、”死に生きていた”。
「……筋金入りの馬鹿だな」
俺は、堪らず苦笑する。
「馬鹿なのは、アルトの方ですよ」
死合い終了と、ロウが鉄扇を閉じた。
「邪魔をするなと言ったはずだ。……おい、何で金を返す」
「私の目も曇りましたね。危うく大損だ」
ロウは、金朱の涙を一瞥する。
「次に娘を泣かせたら、出禁ですよ」
「別に、これくらいの傷は見慣れてるだろ……」
「金朱は彼を連れてきた時、この世の終わりのような顔をしていました。昔、私のところに駆け込んできた、あなたのようにです」
「……酒を飲み過ぎたみたいだな」
「縁は金では買えない。それは、あなたと彼の間にも言える」
「……やめろ、鳥肌が立つ」
俺は、レイに相棒を投げ渡した。
「詫びだ。お前に預ける」
「……こんないいもの、いいんですか? 」
「ただの折れた剣だ。珍しくもないだろ」
「そんなことないですよ! ひと目見れば、大切にしていたことくらいわかります」
「見てくれはあれだが、元は名のある業物だ。お前の馬鹿げだ夢の足しにしろ」
「ありがとうございます、アルトさん! 」
レイは無邪気な笑顔を浮かべると、二本の剣を抱きしめた。
その瞬間、剣が熱で溶け出し、身体に張り付くように取り込まれる。
まるで、そこにあるのが当然かと言うような現象に、全員言葉を失った。
「……お前の祝福か」
「違います! 誤解しないでください! 」
「火にまつわる祝福は存在しないはずだ」
「これは、誰もが使える力ですよ! 」
その力を、レイは”一番近くて、一番遠い夢”と説明した。
「……いや、わからん」
「うまく言葉にできなくて、すみません……」
「お前にやったんだ。今更返せとは言わないさ」
俺は倒れたままのレイに手を貸した。
しかし、男の体はびくともしない。
「重っ……!? 」
ロウと金朱と、ついでにソラの四人で引いても、レイの体は起こせなかった。
「剣の分だけ重たくなったとか、そんな次元じゃないぞ」
「山を持ち上げているような気分ですね」
俺たちが息を上げている間に、レイの熱は徐々に引いていく。
すると、すっかり体重は元に戻った。
「訳のわからんやつだ」
「よく言われます……」
金朱の手当が終わり、日付が変わる頃になると、男は席を立った。
「おい、ニート」
俺は、何気なく呼び止める。
「……なんですか? 」
レイは、不細工な笑顔で振り返る。
しかし、その表情には、彼女たちの面影あった。
「勇者には、気をつけろ」
「……どう言う意味ですか? 」
「いずれ分かる」
俺は、男の背中を見送ったあと、店一番の安酒を呷る。
「うまいな」
いつかの幸せの味を思い出して、思わず涙がこぼれた。




