皇帝の選択
人口約200万人を超える大陸最大の都市、帝都ベラ。
過去の魔導大戦により魔法学の著しい発展により以前よりも出生率は上がり、膨大な人口を抱え、魔法学、科学、文学、社会制度のどれを取っても最先端を行くザルディアス帝国の都古。
帝国成立から500年以上の歴史を持つ中で、戦火に塗れていない唯一の都市だ。
街並みも美しく、洗練された建築物が多く立ち並び、されどどこか古き良き趣も感じさせる不思議な都市でもある。
しかし500余の歴史を持つ古都で、帝国の歴史上初の大戦が迫っていた。
鴇の月(11月8日)
陽はとっくに沈み、新月の夜空に星々が燦然と輝く時間帯。
帝都ベラへ繋がる大街道に帝都を守る全ての兵が陣幕を張り、大街道沿いに一定間隔で篝火を焚いてその時を待っていた。
グライドリヒ・バイツ・ザルディアス帝国の若き皇帝、ユーリッヒ・バイツ・ザルディアスも兵達と共に大街道に居た。
街道の中央で思考を巡らせながら、その視線の向こうからやって来る脅威を待ち構えている。
ユーリッヒの周囲には黒鎧の帝国近衛兵と四人の将軍が守りを固め、隣には宰相クレールが控えていた。
「陛下、最低限を残し帝都全ての兵を緊急招集致しました」
宰相クレールが部下からの報告をユーリッヒに伝える。
だがユーリッヒの反応は無く、その視線は篝火で照らされた大街道の先を見据えている。
「……陛下、帝国は今窮地に立たされております。現在分かっているだけでも10以上の重要都市を落とされ、60万以上の兵を失っています。帝国内の何処を探しても帝都以外で無傷の都市と軍は見つかりませぬ。帝都を空にしてまで帝都防衛軍と近衛をを出して如何なさるおつもりですか……」
クレールは心底疲れ切った表情でユーリッヒに問う。
現在進行形で帝国の歴史上類を見ない非常事態であり、アンデッドやゴーレムの襲撃を受け殆どの都市部が占領されている。
占領された都市の内部は未だ確認できておらず、クレールが持つアンデッドの常識で考えれば虐殺が起こっていても不思議ではない。
もしアンデッドが大挙してこの場に表れでもしたらと思うと、守るべき帝国の首都である帝都から全ての軍を出すべきでは無い。
だが他の都市が落とされても帝都さえ無事ならば帝国の再起は可能だ。帝都にはそれだけの人口と生産力、技術が集められている。
だが大天才と呼ばれた若き皇帝ユーリッヒは、宰相クレールに全軍を帝都に繋がる大街道に布陣することを命じた。
もちろんクレールは初めは反対したのだが、ユーリッヒは即位して初めて勅命と言う言葉をクレールに使った。
これに反対する事はできず、クレールは各部署に有無を言わせず強引に招集を掛けた。
「………クレールよ、お前の言いたい事は分かっている」
ここへ来てようやくユーリッヒは口を開いた。
思考の海を漂い何かを見つけた表情をしているが、その顔色は悪く声は震えている。
ユーリッヒは相変わらず質素な服装を好み、薄着でこの冷え込む秋の夜に何時間も外で立っている。
こうなってしまったのも、ユーリッヒについて来た使用人達は焚き火や衣服を差し出そうとしたのだが、全てユーリッヒ本人が拒否していたことにある。
クレールは自分のマントをユーリッヒの肩に掛け、部下に暖かいスープと暖を取れるように命じた。
「クレールよ、そもこれからこの地へやって来る者には軍隊など意味はない。帝都内で閉じ籠っていても同じこと。ならば帝都を守るため利用する他無い。それに余の考えが正しければ、奴らは兵は殺しても民間人には手を出していないそうだ」
震える声で話すユーリッヒ。
それが寒さから来ている震えなのか恐れから来ている震えなのか、クレールはユーリッヒの話を聞いてから分からなくなっていた。
ユーリッヒ皇帝はなぜ民間人に手を出さないと分かったのだろうか……。
クレールが自ら放った斥候からは確かな情報が未だ入ってきていない状況だ。
クレールはユーリッヒ皇帝が自ら極秘で組織した諜報専門の特殊部隊"黒犬"の事をまだ知り得ていない。
そのため、一般市民に被害はないと言うユーリッヒの言葉に、宰相クレールはユーリッヒ皇帝がどこでその情報を手に入れたのかが分からず困惑するばかりだ。
黒犬と名付けられた諜報員たちは既に占領された都市内部にも元々活動しており、一般人に隠れ潜んでいる。
ユーリッヒ皇帝自らが編み出した特殊な魔法を使い、潜入している黒犬から外部の黒犬へと連絡を取っていて都市内部の状況を逐一ユーリッヒ皇帝に報告していた。
そして軍隊すら意味のない相手。
過去には魔王と呼ばれた個人の戦闘能力だけで一国の軍を凌駕する存在は歴史書やお伽話にも書かれ、現実に存在していた事を証明している。
そして今までに入ってきた情報により、南方諸国のほぼ全ての国々で一斉に襲撃があったと確認されている。
中には、襲撃を受けた他の国々にも魔王並みの戦闘能力を持った者が存在している可能性があると、各国に派遣されている大使館からマジックアイテムを使った報告も来ている。
「……しかし、そんな相手に陛下は如何なさるおつもりで?」
クレールは息を小さく吐くようにフッと笑い、篝火が焚かれている街道の先を見つめた。
「交渉だ」
からん、ころん。
その足音は大街道の先から響いてくる。
その音が聞こえると、皇帝の体は筋肉がこわばったようにピシリと緊張で全身が固まり、皇帝を護る近衛兵や将軍達も緊張に包まれる。
からん、ころん。
その独特な音は一定のリズムを刻み、徐々に近付いて来ているのが分かる。
次第に音は大きくなると、篝火の無い暗闇の奥から少しずつ人影が見えてくる。
からん、ころん。
ゴクリと誰かが喉を鳴らす音が聞こえる。
その場の誰もが背筋に感じる悪寒が治らず、緊張の汗が頬を伝う。
ユーリッヒはその場の雰囲気に、戦の前の緊張に似て非なるものを感じ取った。
からん、ころん、からん、ころん。
篝火に照らされ、次第にこちらへ歩いてくる者の姿が見えてくる。
その人影は黒髪の短髪の女だった。
遠目から見ても美人だと分かる顔の造形に、行方不明となったマリウスと似ている奇妙な服装。その豊満な胸を見せつけるかのように衣服を大きくはだけさせ、手には見たこともない細長い筒を持っている。
女がこちらへ近付くにつれ、風が止みささやかに鳴いていた虫達の音も聞こえなくなり、周囲に沈黙が走る。
からん、ころん。
チリンーー
独特な足音が止まり、聴いたことの無い澄んだ音が響いた。
女はユーリッヒ達の目の前で立ち止まり、観察する様にその場にいる全員を一瞥していた。
誰も動く事ができない。
明らかに女から発せられる圧力に、指一本動かす事ができない。
女は品定めする様に皇帝を護る者達を一人一人観察し、溜め息を吐くとユーリッヒに向かって一直線に独特の足音を鳴らしやって来る。
「うぬが帝国の偉い人やえ?何しにここへ来たんやえ?」
女がユーリッヒに話し掛ける。
手に持った筒を薄っすらと紅が引かれた口に当て、煙を吐く動作をする女。
はだけさせた大きな衣服と自然な仕草に男を誘うような色気を醸し出す。
そして美しい声音。ユーリッヒは、こんなにも時間が許す限り聴いていたい特徴のある声を聞いたのは初めてだと心の底から思ってしまう。
肌の色からも大陸人ではないようだが、各国の美人などはそれこそ見飽きている程見て来ているのに、今まで見てきたどんな女性よりも美しいと感じ、その耳に残る美しい声と色気も合わさり思わず敵であるはずの女にユーリッヒは見惚れてしまう。
そして気付けば先程までピクリとも動かせ無かった体が一瞬脱力するように解され、動く様になっていた。
「余は、余はグライドリヒ・バイツ・ザルディアス帝国の皇帝、ユーリッヒ・バイツ・ザルディアスだ……。帝国を治める者として、其方に停戦を申し出るためここへ参った次第……」
体は動き話せる様になったが依然女から発せられる圧力は変わらず、ユーリッヒは震えそうになる言葉を我慢してここへ来た目的を女に伝える。
最初よりマシになったとはいえ、今にも地面に膝を突きその場に屈しそうになる程の正体不明のプレッシャーを全身にひしひしと感じとれる。
思考を見抜かれているような女の視線に心が怯え、恐怖に飲み込まれそうになるのを抑えながらも、ユーリッヒ本人が嫌う精神論で今この場に立てている状態だ。
「……それは降伏かえ?我らの目的の為にはそれ以外は受け付けてられんえ?」
「………その目的が分からねば降伏などできぬ。貴殿らが何を欲し連合を攻め、都市や基地を破壊し、我が愛する将兵達を惨殺したのか……」
女はユーリッヒの言葉にクスっと笑う。
そのはにかんだ一瞬の笑顔はとても美しく、己の心を蝕む黒く禍々しい恐怖が一瞬だけ無くなったが分かった。
だがそれは錯覚に終わる。
女の表情はすぐにニタァ……っと美しい顔を歪め、その凶々しさにユーリッヒの背筋が凍った。
「そんなの言うわけが無いえ?それでもここウチと交渉しに来たことは面白いえ。そこらの案山子とうぬは違うみたいえ?……少し気が変わったえ。我が主の意向に背くことにはなるが、うぬらには我らに屈し無条件の降伏を受け入れるか、無謀にも戦いを挑み儚く兵と民と共に大地に還るか……今ここで選ぶがええ」
「なッ…!!ぐっ……!!」
女はそう言うと、肉眼で見える程の黒い魔力を放出し、大街道に布陣している兵達を覆い尽くしていく。
そしてその黒い魔力に中てられた者達全員が重く圧し掛かる重圧に膝を屈し、次第に首を絞められたように息ができなくなっていく。
目の前で不気味に嗤い、全てを見下しているよなその女の表情に、ユーリッヒは生まれて初めて逃れられない死の恐怖を味わう。
女は口を歪ませながらユーリッヒに問う。
「さぁ、無条件の降伏か否か。帝国の命運をうぬがここで決めるえ」




