とある酒場の喧騒
とりあえず、なんとなくの雰囲気をつかむべく、当たり障りのない世界の現状をうっすら酒場で語らせてみた。
「よお、ご無沙汰じゃねえかオッサン」
既に日が沈んで久しい、夜半と言っても差し支えない時間になっても尚喧騒の絶えないこの酒場『駿馬の木の実亭』。
そのカウンターで一人、小さな樽の形をした木製ジョッキでエールを喉に流し込んでいたドワーフ男性は、そんな言葉をかけられて鬱陶しそうに振り向いた。
ドワーフが視線を向けた先に立っていたのは、一人のヒューマン男性。
元々身長の低い種族であるドワーフと並んでもそこまで身長差が見当たらないあたり、ヒューマンとして彼は背の低い部類に入るのであろう。
しかしその体躯はガチムチとまでは言えないまでもしっかりとした筋肉に覆われていて、まだ若さの残る顔にはいくつかの傷跡が見て取れた。
「お主らから見りゃ、他のどんな種族でもオッサンになるじゃろうよ」
憮然とした表情でそう応えるドワーフもまた、その顔のみならず衣服から露出している体の至るところに傷跡が残っている。
切傷、擦傷、火傷痕に打撲痕等々、城壁に囲まれた街の中で普通に生きているだけではまず付くことのないであろう類の傷跡に至るまで、すべての傷跡が、この二人が尋常ならざる人物であることを物語っていた。
ヒューマン男性はドワーフ男性の言葉に、苦笑いながらもどこか満足そうな表情を浮かべながらその隣の席に腰を下ろす。
無論、カウンターの中に立っている店主に睨まれぬよう、この地方名産の果実酒をグラスで頼みながら、だ。
「それはそうと、オッサンもこっちに来てたんだな」
ヒューマン男性が言う『こっち』とは、この酒場がある城塞都市『ミンブリライオ』を中心とする北方地方のことである。
ミンブリライオ地方とも呼ばれるこの北の大地には今、彼らのような冒険者や流れ者が多く集まりつつある。
冒険者の需要自体は世界全体で高まりつつあるが、この地方では特にその力が求められているのだ。
「ふん。こんな稼ぎ時を見逃すバカがおるか」
そう、冒険者にとってこの地方は今やゴールドラッシュに等しい。
ミンブリライオを境として更に北方に広がる山地と森林においてモンスターの凶暴化が著しく進行しており、都市はおろか国家を挙げてそのモンスターの討伐に懸賞金をかけているのが現状だ。
もちろん国軍も出動してはいるのだが、元々国軍は他国との戦争を視野に入れての存在だ。
その全てをモンスター討伐に駆り出してしまえば、その機に乗じて良からぬことを画策する国がないとも言えないのである。
「違えねぇ。オーク共はどうでもいいが、ジャイアント辺りの首を獲りゃあしばらく娼館通いができらぁ」
ヒューマン男性はそう言いながら下卑た笑みを浮かべる。
実際、オークやゴブリンを率いる指揮官格であるジャイアントの懸賞金は、普通の暮らしで二月以上はゆうに生活ができるほどだ。
それなりの娼館に通いながら、一月は遊んで暮らせることだろう。
「お主はまたそれか……」
対してドワーフ男性はそういったものが苦手なのか、うんざりした表情でヒューマン男性を睨みつけた。
「オッサンはそうやって嫌がるけど、ドワーフの信仰にその手の行為を禁じるもんはなかったよな?」
「ありゃせんよ、同胞でも女を買う奴はおるしな。単に、儂が嫌いなだけじゃ」
「そりゃ悪ぃ。オッサン個人の問題なら、無理強いはできねぇわな」
納得いった、とばかりに気持ちのいい笑みでグラスに残った果実酒を飲み干すヒューマン男性。
それに呼応するかのようにドワーフ男性もまた、ジョッキの中のエールを飲み干す。
「……ところで、例のきな臭え話は聞いたかよ?」
ふと、ヒューマン男性が一転してどこか暗い、しかし力のこもった口調でそう訪ねた。
先程までの軽薄な雰囲気はどこへやら、気づけば目つきまでもがまるで戦闘の時のそれのようだ。
「マーロウドの教団の話かのぅ? あいつらは最近大人しいようじゃが」
ドワーフ男性もその空気を感じ取ったのか、酔いも吹き飛んだかのようにドスの利いた声色でそう応える。
マーロウドの教団といえば、多神教のこの世界においてさえ異端とされる神を崇めていると噂される教団である。
無論、マーロウドの種族として古来より崇めてきた神である、表向きその神を異端であると、その進行を邪教であると糾弾するものは稀だ。
「そっちはそっちで気になるが、別の奴らだ。新興宗教らしいんだが、よくわからねぇモンを信じてるらしい」
「よくわからんもん?」
「ああ。そいつらが言うには、神様より更に偉い奴ってのがいて、モンスターの凶暴化はそいつのせいだから伏して許しを請おう、ってことらしい」
「馬鹿馬鹿しい輩共じゃ。分かりやすく安っぽい答えが、そんなに欲しいか」
冒険者として生きるか死ぬかの瀬戸際に身を置く二人にとって、そういう分かりやすい答えというものは往々にして罠であった。
迷宮で最初に見えるスイッチも、呪いの武具を浄化すると声をかけてきた自称聖職者も、それに飛びついたが最後、いい結果になることなどありえない。
真実とは、えてして誰もが考えつかない領域にあり、そして物語よりも奇異なものなのである。
「じゃが、そんな輩共なら危険はないじゃろう?」
「それがそうでもねぇ。一部の過激派が騒いでやがってな、その神より偉い奴に生贄を捧げようとしてやがる」
「……いつの世も、正気を疑う阿呆は絶えんな」
怒りと呆れの入り混じったため息をドワーフ男性が吐くと、それに同意するようにヒューマン男性も小さく息を吐いた。
「まあ何はともあれ、気をつけろよオッサン。そんなクソ野郎共に怪我でもさせられちゃ、なんの自慢にもならねぇ」
「そっくりそのまま、お主に返すわ。娼館街で傷を増やさんようにの」
ヒューマン男性がその言葉に手を振りながら、酒場を去っていった。
座っていたカウンターには、果実酒代である銀貨が何枚か横たわるのみ。
それを横目で見やりながら、ドワーフ男性も自分のエール分の銀貨をカウンターにおいてその場を後にする。
未だ冷めやらぬ酒場の喧騒をかき分け、夜の街へと消えていくのだ。
『あれ? 今のドワーフ……もしかして』
『気づいてなかったのか? さっきのカウンターの二人、Aランク冒険者だぞ』
『もしかしてあのドワーフ、"鋼斬り"のゲオルグか!?』
『今更かよ……あのヒューマン、"八つ裂き"のユーヴァーだぞ』
『Aランク冒険者が来てるって噂は本当だったのか……』
そんな誰のものとも知らぬ喧騒は、ゲオルグにもユーヴァーにも、届くことなく消えていくのであった。




