後編 蚊帳の外というのも悪くないものです。
「良かったね、ブリギッテ」
いつの間にか近くへ来ていらっしゃったヨナタン殿下が、笑顔でブリギッテ様の肩を叩きます。
こちらの第二王子殿下は兄君とは違って、目もとだけでなく顎の形も我が国の国王陛下にそっくりです。
隣国ツヴァイリングの大公家へ婿入りするので、もうこのシュティーア王国とは関係のなくなる方ですが。
「君はグローリア嬢のことが大好きだもんね。いや、手作りのお菓子で餌付けされちゃったのかな?」
「うるさいですわよ、ヨナタン様」
「本当のことじゃん。……グローリア嬢。僕の卒業を機に、母もツヴァイリングへ戻ることとなった。残念ながら離縁という形ではないけどね」
我が国の国王陛下と隣国の王女殿下の結婚は国と国の結びつきで、簡単に解消出来るようなものではありませんからね。
それがわかっていて側妃様とともに正妃様を迎えた国王陛下が一番の悪党なので、側妃様と宰相閣下を睨みつける資格はないと思います。
私はヨナタン殿下に言いました。
「素敵ですわ。正妃様には妃教育でとてもお世話になりました。早くに母を亡くした私には、もうひとりの母のような方ですもの。もしよろしければ、これからご恩返しをさせていただきたいと思います」
ヴィッダー侯爵領は、水が綺麗なこと以外には取り柄のない辺境の過疎地でした。
綺麗な水が布の染色に向いていて、土地も布や染料の原料となる草木の生息に最適だと見抜いて服飾事業を発展させたのは、嫁いで来た私の母です。
侯爵家が豊かになった途端、領地での事業運営に忙しかった母の目を盗んで、王都の侯爵邸にいたヴィッダー侯爵へと擦り寄って来たのが後妻でした。
アウグスト王太子殿下は婚約破棄の際に私を『贅沢を好む浪費家』とおっしゃいました。
きっと異母兄(血がつながっていなかったら義兄でしょうか)に聞いていたのでしょう、私が侯爵領を訪れる商人達に毎月多大なお金を与えていたことを。
だけど仕方がないではありませんか。商品を運ぶ商人も、商品を加工する職人も、商品の原料を生産する農民も、お金がなければ生きていけないのです。ヴィッダー侯爵の後妻の値切りという名の脅しで十分な報酬を与えられずにいたら死んでしまいます。
ブリギッテ様とヨナタン殿下が微笑みました。
「シャーフ商会もツヴァイリング王国へ移転するようですね」
「ええ、そうですの」
私は頷きました。
シャーフ商会は我がシュティーア王国唯一の服飾系商会です。
かつてはほかにも多くの服飾系商会があったのですが、ヴィッダー侯爵の後妻だけでなく側妃様を始めとした貴族夫人方の値切りという名の脅しで多くの中小商会が潰れてしまったのです。
私の母の立ち上げたシャーフ商会で生き残りを必死に掬い上げ、何度も国へ嘆願書を出して移転も認めさせました。
お金がもらえなければ死んでしまうのですから、働いてもお金をもらえない場所から逃げるのは当たり前のことです。
正直アウグスト王太子殿下との婚約云々よりも自分自身の進退よりも、シャーフ商会の人間と服飾事業に関わってくれていた領民を救い出すことのほうが、私には大切なことでした。
私や正妃様がヴィッダー侯爵や国王陛下に後妻や側妃様の所業について訴えたときの彼らのように、平民が貴族に尽くすのは当たり前、商品の代金を求めるほうが無礼なんて言っていたのでは、だれも品物を売りに来てくれなくなります。
私がお菓子作りを始めたのは、少々豊かになったくらいでは辺境の過疎地まで商人が来てくれないので、手に入るもので少しでも美味しいものを作ろうと考えたのがきっかけでした。
よほどの利益が見込めなければ、商人は重い荷物を持ってまで訪ねてきてはくれないのです。
ご夫人方の節約という言葉を真に受けて、正当な金額を支払って援助もしていた私や正妃様を『贅沢を好む浪費家』と見下していたこの国の男性は、服飾を取り扱う商人がひとりもいなくなったとき、どうなさるおつもりでしょう。
使用人に縫わせるといっても、布と糸がなければどうにもなりませんよ。
種から育てる気かもしれませんが、商品の代金をまともに払わなかった人間に種を用意してくれる商人がいるのでしょうか?
「グローリア、大丈夫? 本当に第一王子殿下には困ったものだわ。各国からの賓客が集まった場で、自分が簡単に騙される間抜けな阿呆だと宣伝するなんて。……もうこの国を出るから関係ないけれど」
「正妃様」
「母上、あの方達はよろしいのですか?」
「あの方々が私の話を聞いたことがあって?」
国王陛下方から離れて正妃様もいらっしゃいましたので、これまでずっとこのシュティーア王国から蚊帳の外にされていた私達は、これからのツヴァイリング王国での生活について楽しく語り合ったのでした。
私達を悪役に仕立てて蚊帳の外へ追いやり、己だけは清廉潔白なおつもりで蚊帳の中に閉じ籠っていたシュティーア王国の方々のこれからは、たぶん楽しいものではないと思います。
嫌なこと汚いことを押し付ける悪役がいなくなった後に残る現実は、あの方々にとって心地良いものではないでしょうから。
「……ああ、でも本当にあの女性が我が国の王女でなくて良かったですわ」
ブリギッテ様がしみじみとおっしゃいます。
そうですよね。
私を不敬罪に処すとして、彼らは裁きの場でなんと言う気だったのでしょうか。他人の婚約者に擦り寄った浅ましい王女に苦言を呈するとは不敬の極みである、だなんて、普通なら恥ずかしくて言えませんよね。あの方々は平気でも、周囲が羞恥でのたうち回っていたでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──その後。
「よおグローリア、私と結婚してツヴァイリング王国の王妃になってくれないか?」
「お戯れをおっしゃらないでください、ヤーコブ新王陛下。……お菓子目当ての方は嫌です」
「ブリギッテだってお菓子目当てじゃないか」
「ブリギッテ様は親しくなってからお菓子を食べてくださいました。陛下とはお菓子を召し上がっていただいた後でお会いしたのではないですか」
「あのお菓子にはグローリアのすべてが詰まってたと思うんだけどな。手持ちのものの魅力を最大限に引き出す知恵と工夫に、領民や商会の人間を思う優しい心が全部。私はそれに惚れてしまったのだよ」
「……」
ツヴァイリング王国へ戻されたシャンデ様は、髪と瞳の色だけでなく顔立ちにも将軍閣下(今は将軍ではありませんが)の面影があり、どう見ても彼と愛妾様(こちらももう愛妾ではありません)の子どもでした。
そのせいか、ツヴァイリング王国の国王陛下はシャンデ様(王族詐称の罪で処刑済みです)を見て、すぐに退位なさいました。
本当は、ずっと前からおふたりの裏切りに気づいていらしたのかもしれません。ですが、正妃様方を悪役にすることで、現実から目を逸らしてらっしゃったのでしょう。
私のお菓子を気に入ってくださっていたヤーコブ新王陛下は、危険分子が排除されて身の回りが安全になったからと言って、毎日のように私に求婚してきます。
蚊帳の外でいたほうが楽なのはわかっているのですけれど、私のお菓子を毒見もなしで嬉しそうに召し上がる陛下を見ていると、この方となら一緒にツヴァイリング王国の蚊帳の中へ入るのも悪くはないかもしれない、なんて思っている私もいるのでした。
もちろん近ごろ大変らしいシュティーア王国に関しては、これからも蚊帳の外のままでいたいと思っておりますわ。




