他の御家人からの見方と、まとめ。
6.他の御家人の空気
義経は平家を倒した後、九州周りの政務について、自分で差配しています。
ここで、「鎌倉殿でもないのに勝手なことをしおって!」という周りの御家人にしてみたら、義経は空気が読めてないことになるでしょう。
しかし、当時はやはりネットもLINEもないのです。
いちいち鎌倉にお伺いを立てている間にも、訴えは持ち込まれ、もめごとは起きていきます。
これを現場の判断で裁くことが、そんなに悪いことでしょうか?
「上に確認するまでお待ちください」ということしかできない人が現場のリーダーという組織を、新たな上役として信頼することができるでしょうか?
ここで自主的な判断を行った義経を、「空気が読めない」と言うことは、確かに不可能ではないと思います。
「みんなで、何もしないでおこうよ」っていう空気ですね。
しかし、社会人を経験した人であれば、「空気を読んでる暇があったら仕事しろ」というのが普通なのではないでしょうか。
<まとめ>
上記から、「他人の気持ちが分からない」「その場の雰囲気に沿った考え方・感じ方ができない」という「空気が読めないということ」に義経が当てはまるかどうか、最初に上げた三点の結論を見ていきます。
・義経は、空気が読めない人だったとは言えない
伝えられてもいない気持ちが分かるわけがないし、それぞれの現場で、妥当な範疇の状況判断をしています。
・ていうか、そういう状況とか立場じゃない
自主的な判断もせずにノンビリゆっくりやってたら、源氏が危ない。
・空気を読んでる暇があったら仕事しろ
ていうか、誰かを「空気が読めない」と笑うことほど情けないものはない。
これが今回の結論ですが、いかがでしょうか。
何度も言いますが、この文章は義経ファンが書いていますので、それを加味して偏りを正してください。
空気が読めていないかどうかは、その人の前後の状況や置かれた立場を考えなくては、決められません。
少なくとも義経を「空気が読めていない」という人は、「記録を読めていない」んじゃないでしょうか。
ともあれ、適当なイメージで気軽に他人を揶揄するようなことが、歴史上の人物でも、今生きている人が相手でも、減るといいなあと思います。
では、今回はこの辺で。
終