03.強制的に異世界転生
猫女は何が楽しいのか、未だにニヤニヤ笑っている。
「で、オレ様は、初めからお前が愛する女を殺せないなんてことはわかっていたニャ。つまりオレ様が転生させたかったのは、お前じゃないんニャ。お前が殺した五人の方ニャ」
まぁ、そうなるのか。
だけど別にそんなことはどうだっていい。
俺は失敗したんだ。一度ならず、二度までも。もう何も間違えないようにしようと思っていたのにもかかわらず。
だからもう自暴自棄になるしかなかった。俺なんてクズはどうなってしまえと。
しかし気になることが一つある。
「それで、何で俺はここにいるんですか?」
死後の世界があるなら、俺はきっと地獄に行く。自らの手で五人も殺した。俺のせいで死んだ人だって、一人じゃないんだ。こんな人間はせいぜい苦しむべきだ。
俺はそんな思いで訊いたのだが、返ってきた答えはただ俺を苛つかせるものだった。
「そうニャ。何でお前ここにいるんニャ?」
猫女はニヤニヤ笑いをやめ、きょとんとした顔で俺を見ていた。
「はぁ?」
何を言っているのだろうか。そんなの俺が知るわけがない。どこまでこいつは人を小馬鹿にするのだろう。
俺が猫女の態度に怒りを覚えていると、不意に後ろから音が聞こえてきた。
それは手を打ち鳴らす音で、誰かが注目を自身に集めようとしているようだ。猫女はすでにそちらを見ており、俺も慌てて後ろを振り返った。
「まったく困ったものですね。せっかく僕が手を貸してあげたというのに、その恩人を出し抜こうとするんですから」
女の子、いや、男の子なのかもしれない。
いつの間にか俺の後ろに小学校高学年くらいの子どもがいた。その子は顔にヒーローもののお面をつけていて、顔はわからない。何とか伯爵とか、そんなような貴族っぽい服装をしている。初めは女の子かもしれないと思ったけど、体型からしておそらくは男の子だろう。髪は肩にかかるくらいで少し長いように見えるが。
「ニャ!? 魔神の! 何でここにいるニャ!?」
猫女の瞳孔がすっと細められて、尻尾が逆立っている。
ただの子どもにしか見えないこの子が、そんなに恐ろしいのだろうか。
すでに死んでいる俺には関係ない話ではあるが。
猫女に魔神と呼ばれた子が、左手に胸に右手を当て優雅にお辞儀してきた。
洗練された隙の一切ない所作だ。
「初めまして、福間辰巳君。僕は、そうですね、『夢の魔神』とでも名乗っておきましょうか」
「えっと、はい、どうも」
最大限警戒している猫女に対して、夢の魔神は随分余裕があるように見える。
「あ、それで猫耳邪神さん。何で僕がここにいるかでしたっけ?」
「オレ様は獣神フェイルザム様ニャ! 変にゃ名前で呼ぶニャ!」
獣神フェイルザム、やっぱり猫耳邪神でいいか。
猫耳邪神はさっきのニヤニヤ笑いをする余裕はもう吹っ飛んで行ってしまったみたいだ。
「まぁ、貴女の名前なんて何でもいいですけど、僕がここに来た理由をお話ししましょう。まず、今回福間君をここにお連れするにあたり、用意した道具は全て僕の用意したものです。魔法陣も短剣も、この空間だって僕が用意したものなんですよ」
そうだったのか。あれ? じゃあ猫耳邪神ってほとんど何にもしてないのか?
「そこの獣が力を貸してほしいというから貸してあげたんです。もちろん無償というわけにはいきませんから、代わりに僕は福間君を転生させることを条件とさせていただきました。なのに貴女ときたら……」
猫耳邪神がびくっと震えた。
今気づいたのだが、猫耳邪神は夢の魔神を警戒しているだけではない。彼に怯えているのだ。
「そ、そりゃそうニャ! お前みたいな得体の知れない奴の言う通りにしたら、どうなるかわかったもんじゃないニャ!」
「助けを求めてきてその態度ですか。救いようがありませんね。……いっぺん消滅してみますか?」
「ニャ!?」
空気が変わった。
夢の魔神の放った気配の変化は、猫耳邪神にとって効果が絶大だったようだ。
猫耳邪神の耳と尻尾は垂れ下がり、彼女は四つん這いで夢の魔神の足元にまとわりつき始めた。
「も、申し訳ないニャ。悪気があったわけじゃないんニャ。もうしないニャ。許してほしいニャ」
猫耳邪神は見た目通りの猫撫で声で、精一杯夢の魔神の機嫌を取っている。最初の黒幕っぽい不気味さはどこか彼方へと飛んで行った。
「ま、別にいいでしょう。初めから貴女には嘘をついていましたし。福間君に渡した短剣は、刺した者を転生させるための短剣です。別に誰を刺そうがどんな順番で刺そうが関係なかったんですよ」
「ニャ!? 騙したのニャ!?」
夢の魔神が無言で足元にまとわりつく猫耳邪神にお面を向けた。
「にゃ、にゃんでもないですニャ……」
夢の魔神が顔を上げてお面を俺の方に向けてきた。
「さて、本題です。福間辰巳君、異世界に生きてみる気はありませんか?」
「俺は……」
正直もうどうでも良かった。
こんな間抜けな猫耳邪神にさえ騙されて、愛する人を誰も守れず、無様に死んでしまった。俺なんかが転生してもきっと碌なことにならない。このまま消滅してしまった方が良いのだ。
「君に行ってもらいたい世界は、剣と魔法のファンタジー世界です。剣より魔法優位の世界ではありますが。スキルとかステータスは存在しませんが、ちょっとしたボーナス特典くらいなら差し上げられますよ。
……と言っても、君は新たなる生を望まないでしょうね」
どうやら夢の魔神には俺の考えを見透かされているらしい。
しかし彼は決して落胆しているというわけではなかった。声には楽観的な響きがある。
「ですが、君はお忘れのようです。僕は言いましたよ。あの短剣は刺した者を誰でも転生させる効果があると」
俺はそこではっとした。
そうだ、確かに俺がナイフ、いや短剣か、あの青い刃で刺したのは、姉さんを襲おうとしていた五人だけである。
だけど、瑠美奈も刺されているのだ。姉さんの手によって、あの短剣で。
ということは、瑠美奈もその異世界とやらで転生するのだろうか。
俺が今でも瑠美奈を愛しているのか、正直わからない。
罰ゲームで騙されて、どういう経緯かわからないが、姉さんだって酷い目に遭わされていたんだ。
だけど瑠美奈はあの時、俺の名前を呼んでいた。俺が殺した友人たちではなく、俺の名前を。
もう一度瑠美奈に会いたい。
会ってどうするのかなんてわからないし、二度も失敗した俺が、三度過ちを犯さないとは限らないけど。
「ちょっとやる気になってくれたようですね。あ、一つ言い忘れていたんですけど、君にその気がなかったとしても、君がその世界に行くことは決定事項ですので」
俺のそれまでの思考は完全に停止した。
「はい?」
「やぁ、やる気になってくれて良かったですよ。強制なもんで心苦しかったですからね」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺はまだやる気になったわけじゃ……」
「それでは良い旅を」
その瞬間、俺の宇宙遊泳は唐突に終わりを告げた。
「あぁぁぁぁぁ!!」
落下していく。
どこまでも深くどこかに向かって真っすぐ落ちて行っている。
やがてその衝撃に耐え切れなくなり、俺は意識を手放した。
~~~
真っ白な海のような世界に漂っていた俺は、唐突に浮上を始める。
そして目を開けると、まず目に付いたのは、木の柵のようなものに止まった赤い何かだった。
よく見ればそれは鳥だとわかる。赤いガラスか何かで作った鳥の置物のようだ。
唐突にそれが首を捻った。
う、動いた!?
どうやらそれは置物ではないらしい。じゃあ何だと考えても、さっぱりわからないが。
「――、――」
遠くで女性の声が聞こえ、こちらに近付いて来るような足音が聞こえた。
しかし何と言ったかわからない。日本語ではなかったようだ。
女性が来るまでの間に状況を整理しよう。
俺は転生した。それは間違いない。体が動かせないが、それはきっと自分が赤ん坊だからだろうし、この木の柵はベビーベッドだろう。
ここまではオーケーだ。何の問題もない。
いや、問題はある。
それは俺の隣から感じる気配だった。首が据わってないから隣を見ることは出来ないが、間違いなく俺以外にもう一人いる。
何がって?
赤ん坊だ。俺はどうやら双子だったらしいのだ。
俺と同時に生まれてきた双子の兄弟。偶然なのだろうか。
俺はどうにも嫌な予感しかしなかった。