4-5 神の造型
「倒すしかない」
副団長が言った。
「クライセンや周りを取り囲んでいる警察を説得するにしろ、町に戻って告発するにしろ、団長を倒さないことには話が始まらない」
俺たちは手頃な瓦礫の山へと駆け込んだ。元はそれなりに大きな建物だったのだろう。しかし天井は抜け落ち、既に野生の植物にかなり呑み込まれている。張り出した根に足を取られながらも中へと進み、適当な場所に落ち着いた。
【狩猟犬】に尾けられている以上、身を隠しても意味はない。だがそれでも必要だと副団長は言った。
星空の下、瓦礫の中で座り込む。絵のモチーフとしては中々優秀な構図じゃないかと、馬鹿げたことを考えた。
「さて、アタシの考えだが――」
「あの」
手を挙げる。俺もひとつ思いついたからだ。
「この場はあえて捕まって、後日副団長に俺の無実を証明してもらうというのはどうでしょう」
「出来ないと考えておいた方がいいね」
長い髪と共に首が横に振られた。
「どうして」
「あの団長がアタシの行動を考慮に入れてない筈ないだろう。多分一度捕まっちまえば、もう引っくり返せない。それだけの手筈は整えられている。執政府の中だからこそ、法が通用しないこともある」
でも、と続けながら、にんまりと笑う。
「ここさえ凌いでどうにか町に戻れたなら、団長を諦めさせることは出来る」
「案があるって言ってましたけど」
リーフィは息を整えている。
「本当に、あるんですか? あんなのを倒す方法」
「ヒントならシュレンが言ってたじゃないか」
「え?」
「リーフィ、あんたが五人にいれば勝てるってさ」
「はあ」
「簡単な話だ。つまり【伝書鳩】を五体作り出せば勝てる」
「む――」
リーフィが息を呑んだ。
「無理です。絶対に! 一体作るだけで精一杯ですから!」
当たり前だ。出来るわけがない。団長はまだ技術が足らないと評価したが、それでもリーフィの|【伝書鳩】は、並みの創作家じゃ及びもつかない大作なのだ。
「なに白い目を向けてんだい」
俺たちの呆れ果てたといわんばかりの視線を受け止め、副団長は鼻で笑った。
「仮にも研究者であるアタシが、そんな基本の基本を見落としているとでも?」
「だって」
「訊くがリーフィ、どうして【伝書鳩】を五体、作れない?」
「それは、もちろん」
首を傾げた。
「一体作るだけで幻料を使い切るからです。戻るのを待って量産しようにも、模型の維持にだって幻料は使いますし」
「じゃあ仮にだ」
指を立てた。
「無限に使えるとしたらどうだい? 一度使い切ってもすぐにまた満たされる。こんこんと湧き出る泉のようにさ。それだったら、出来るんじゃないか?」
「それって」
リーフィと顔を見合わせる。
つまり――俺のアレか?
「材料が足らないなら補充してやればいい。リーフィが作る。コジロウが供給する。そうすれば【伝書鳩】を量産出来るだろう?」
得意気に言い放つ副団長の顔をまじまじと眺めた後。
「それが出来れば」
苦労はしないと、もう一度リーフィと顔を見合わせてため息をついた。
「やっぱり基本が抜け落ちてるじゃないですか。幻料の受け渡しは不可能。そうでしょう?」
「出来るんだよ。それが」
副団長の自信は崩れない。だが俺はそんな話を聞いたことがない。
「ところでお前達」
「はい」
「もう同衾はしてるのか?」
――――ハア?
思わず耳を撫でた。有り得ない質問をされた気がする。
「だから、もう一緒のベッドで寝るような仲なのかと訊いてるんだよ。遠回しじゃ判らないってかい? つまり」
「そ、そ、そそそんなわけないでしょうがっ!」
リーフィが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「何ですか唐突に! 私たちは、ま……や、別に、そんな関係じゃありませんらっ!」
リーフィが口を押さえてうずくまった。どうやら噛み付かんばかりの勢いで、自分の舌を噛んだらしい。
何やってんだ、傍らでここまで取り乱されると、こっちの頭が冷える。
「あの、副団長」
精一杯の軽蔑を込めて睨みつける。
「人をからかうのは、時と場所を選んで欲しいんですが」
「真面目な話なんだよ」
しかし副団長の顔に悪ふざけは浮かんでいない。
「違うのか。こいつは参ったね。その方が都合良かったんだけど」
「一体、何を企んでいるんです?」
「時間がない。短く説明するよ」
人指し指を立てた。
「あんたたちの言った通りだ。幻料の受け渡しなんて、普通は無理だ」
その通り。実際に試した例を本で何度か目にしたことがある。しかし、その悉くが失敗に終わってる。
他人の幻料を譲り受ける。そいつを任意で引き起こせるとなれば、俺の回復力なんざ目じゃないレベルで定説が引っくり返るだろう。
「だけど、ごく稀にだが、幻料が異なる人間の体を行き来する事象が観測される」
「…………え?」
おい待て、ちょっと待て。今この人とんでもないこと言ったぞ。
「観測って」
練っていない幻料は目に見えない。適正ある人間のみが何となく知覚することしか出来ない代物なのに。
「どうやって」
「質問を受け付けるつもりはないよ」
俺の顔の前で掌を広げた。
「幻料の受け渡しができる状況。アタシは勝手に『共有』と呼んでるけどね。それが起こりやすい条件があるんだよ」
例を挙げるよ、と早口で言葉を繋ぐ。
「教院の礼典で手を繋いで輪になって歌う奴があるだろ? アレなんかそうだ。他には、戦場で負傷した仲間と共に撤退する兵士の間でも起きた。そして最も多かったのが」
俺とリーフィを交互に見た。
「男女の営みが行われてる場合だ」
――つまり、どういうことだ?
副団長は真剣だ。ならば俺も真面目に考える。思考を全力で回転させる。今挙げられた例の共通点といえば――。
「……体が触れ合っていて、精神的同調が異様に高い時?」
「良い生徒がいるね。一人は真っ赤に茹で上がってるけど」
「べ、別にっ!」
指摘された本人が髪を振り乱す。
「大体何をどうして、そんな特殊な状況を観測したんですか!」
ええい、取り乱すんじゃない。艶っぽい話ではあるが大事な所らしいんだから。
「言い変えれば」
リーフィには構わず、副団長が息を吸った。
「身も心もひとつになった時、互いの幻料もひとつになる」
役者以外が口にすれば思わず鼻を摘みたくなる台詞。だが、確かに、そう言い表すのが一番しっくりくる。
「不思議なことじゃないさ。想い入れに代表されるように、幻料は人の心の影響を強く受けるんだからね。そういうわけだから――」
副団長が手を伸ばす。俺とリーフィの手を、それぞれ掴む。
「これからあんたたちは手を繋ぐ、そして心をひとつにする」
「はあ」
「すると幻料が『共有』出来る。アタシはそいつを後押し。コジロウが供給し、リーフィが作る。【伝書鳩】を最低五体。物量で押し潰して団長に勝つ!」
何段論法だかわからないが、無茶振りをされていることだけは理解した。とりあえず、
「……後押しって、何をやるんですか?」
疑問は明らかにしておこう。
「俺とリーフィが心をひとつにしやすいよう、指揮棒でも振ってくれようってんですか?」
「もっと良い方法だよ」
ニヤリ。そんな擬音が聞こえた。
「アタシの模型を使えば、『共有』が起こる確率は跳ね上がる筈さ」
「副団長の模型って」
リーフィと顔を見合わせた。俺たちは知らない。聞いたことも、見たこともない。
「何言ってるんだい。アタシの模型ならずっと見てきただろう」
含み笑い。いや、そう言われても。
「じゃ見せてやるよ。アタシが模型を解いたところをね」
「えっ」
言うが早いか。
副団長の体が萎んだ。
「――はっ?」
再び俺とリーフィの驚愕が重なった。
薄らとした発光。幻料が消える際に起こる現象。それが副団長の体から発せられている。
何だこれ。まるで副団長の体が蒸発していくようだ。しかし消えてなくなろうってわけじゃない。光の中には見覚えのない輪郭が立っている。
背の高さこそ一緒。だけど、何というか、太さがまるで違う。
「――わかったかい?」
弾み声。まんまとびっくり箱を開けさせる事に成功した人間の声というのは、こんな感じなのだろう。
「今消えたのがアタシの傑作。【神の造型】だ」
すげえ美人が現れた。
長い睫。切れ長の瞳。見るからに手触りのよさそうな髪。あ、いや、この辺はほぼ前のままか。
決定的に違うのは、その体だ。出るとこは出て、引っ込むところ引っ込んで。仕立て商会お抱えのモデルでも中々いない。町ですれ違ったら、絶対に振り向くこと間違いなしの美女。
――グキ。
首が嫌な音を立てた。リーフィが俺の顔にしがみついたのだ。
「ヴィ、ヴィオさん!」
何をしようとしているのは解っている。幼馴染の首をへし折ろうってんじゃない。手で俺の目を覆い隠そうとしたのだ。何故なら。
「服、服が! ずり落ちてますっ。見えちゃってますよ!」
「だろう? 体型がまるで変わっちまうんだよね。迂闊にこれを解くと、縮んだ分だけ服が緩くなっちまうんだ」
「冷静に解説してないで隠してください!」
「フフン」
自信有り気に鼻を鳴らすと、髪を掻き上げて、さながら舞台女優のごとくポーズを決めて見せた。はっきり言っておこう。リーフィの手は俺の視界を覆い切れていない。
「見たけりゃ好きなだけ見ればいいさ。見せて困るような体はしてないからね」
「そういう問題じゃっ!」
繰り返し言おう。リーフィの手は俺の視界を遮れていない。眼前には超絶美人と化けた副団長の半裸姿。
だが不思議といやらしい気持ちは沸いてこない。純粋に綺麗。そう思ってしまった。例えるなら美術館に飾られている絵画や彫刻のよう。整い過ぎている。
「さて、あまりふざけてるとシュレンに合わす顔がなくなるね」
そう言って気を引き締め直すと、ずり落ちた服を摘み直しながら、手櫛で髪を全て後ろへと流した。全てが絵になり過ぎていて言葉が出ない。
サイズ違いの服が体を覆う役目を再開したのを見届け、ようやくリーフィは俺の頭から手を放す。
「見ての通りだ。アタシの模型は体に着るもの。その魂は」
「身体機能の増幅さ」
裾を縛って絞り、今の体型に無理矢理合わせながら、筋肉女改め、偽筋肉女が言った。
「本当のアタシは見ての通りの細腕だけど、模型を着ている間は見かけ通りの力を発揮しただろう? あんたをぶら下げて走れるほどに」
「力を底上げする能力、ですか?」
「上限も引き上げるから底上げってのは相応しくないね。それと増幅するのは人の体が本来持っている機能全てだ。筋力体力。おそらくは病気に対する抵抗力からお肌の張りまで色々。
そして――幻料に関わる色々も例外じゃない」
「……どういうことです?」
「以前、【神の造型】を他の創作家に着せたことがあるけど、随分と模型が作りやすくなるらしいよ? ま、増幅出来るのはあくまで身体能力のみで、技術の熟練度は別物だから、言うほど使い勝手は良くないけど」
「ってことは、それで俺とリーフィを覆えば」
「そういうこったね」
副団長が頷いた。
「あんたとリーフィが手を繋ぐ。その部分をアタシの【神の造型】で覆い包む。すると幻料の『共有』が発生する確率は跳ね上がる筈なんだ。心を通わせる。それは、人が本来持っている力なんだから」
希望的観測だった。おそらく、でしかない。けれど不思議な説得力もあった。
……正直、混乱している。一度に色々と頭に詰め込み過ぎた。
でも、ひとつだけはっきりしている。
副団長の目論見が実現したならば。リーフィが遠慮なく際限なく幻料が使える状況を成り立たせてしまえば。
【伝書鳩】の量産が出来る!
「というわけだ」
随分と華奢になってしまった副団長は、再び俺とリーフィの手を取り、重ね合わせる。
「さっさと心をひとつにしな」
「む――無茶苦茶です!」
黙って話を聞いていたリーフィがここで爆発した。
「そんな、いきなり心をひとつになんて、出来る筈ないじゃないですか!」
「無茶だろうとやってもらうしかないね。ほれコジロウ、さっさともう一本の手も出すんだ。右手で左手の甲を握る。そうしないとあんたの回復力は発揮されないんだろう?」
「……わかりましたよ」
リーフィが目を見開いた。クソ、隠しておいた回復力の発動条件までバラしやがって。四の五の言ってる場合じゃないのは解ってるけどよ。
俺が両手を重ねる。その上にリーフィの手が乗せられた。この体勢、どうしたって向かい合わざるを得ない。
改めて互いの顔を見る。気恥ずかしさのあまり、つい顔を背けてしまう。
……これは難関だ。相当な試練だ。
「ええいガキは面倒臭いね。時間がないんだ。テキパキ頼むよ」
「だからって、心ひとつにとか!」
リーフィが喚いた。
「新聞の隅に載ってる安小説じゃないんですから! そんなの、簡単に出来ませんから!」
「仲間が身を挺して稼いでいるであろう時間を無駄にするってのかい? 浮かばれないね」
「ヴィオさんも十分無駄に使ったでしょう!」
「……本当に、あんたら付き合っちゃいないのか? あんなにベッタリな癖に。アタシはてっきりシュレンが横恋慕に興じてるもんだと」
「ただの幼馴染ですっ」
「こりゃ致命的な計算違いだったね。愛を確かめ合ってもらえれば、確実にいけると思っての立案だったんだけど」
「勝手な想像で作戦立てないで下さい! そんな関係じゃないんですってば!」
「今後は?」
「え」
「今後くっつく予定はないのかい? 少しでもそのつもりがあるのなら、いっそここで互いの気持ちを確かめ合っちゃどうだい。接吻でも十分『共有』は起こせると思うけどね」
「そっ……んな適当な理由で、出来るわけないじゃないですか! だってそんなの、そういう大事なことは、もっと!」
「喚いてないで真剣に考えなよ。割と真剣に、そこそこ深刻にコジロウの身に危険が迫ってるんだ。下手したら、もう会えなくなるかもしれないんだよ?」
「うっ……」
「ほら」
「ううううう」
「勇気を出して」
「…………コ、コジロ」
「リーフィ。空、見てみろよ」




