1-9 決意の雨
礼を言うべきか否か迷った。勝てる見込みのない決闘を向こうから撤回してくれたのはありがたい。だが、いくらまだ成立していなかったとはいえ、あの横槍を認めるかどうかは賛否が分かれる。特に、正気に戻ったシュレンがなんて言うか。
「その……なんだ。リーフィ」
呼び出したはいいが、何を言えばいいのか、さっぱり判らない。
「どうしてお前まで、ここに」
本当は訊くまでもない。不穏な匂いを嗅ぎ取ってシュレンの後を尾けて来たんだろう。仮にも武闘派ギルドの一員。貧民街のチンピラ数人にどうにかされるほど温くはない。
「まあ」
とりあえず口火を切った。
「何にせよ、助かっ――」
「もう我慢できない」
俺のふらついた台詞は、強い言葉に一蹴された。
「創作家になってから一年。ずっと同じ。何度も何度も、同じことの繰り返し」
幼馴染は、釣り上げた目をどこか遠くへと向けている。
「クライセンやリヒトだけじゃない」
声が震えている。
「誰も彼もコジロウを馬鹿にする」
本気だ。長い付き合いだからこそ判る。こいつ、本気で怒っている。
「皆、コジロウの何を知ってるっていうの? どんなに努力家なのか、どれほど自分に厳しいのか、どんなに強い心を持ってるのか何も知らない癖に。欠点だけをあげつらって好き放題!」
顔がこちらに向く。目尻に涙が浮かんでいた。
「でも、仕方ないと思ってた。だって、コジロウに創作家としての才能がないのは事実だもの」
焦点が俺に合わせられる。
「才能に責任を押し付けて逃げないコジロウは素敵だよ? 簡単に諦めない姿は格好いいよ。でもね、だからこそ、だからこそ我慢出来ないの! 他のことだったら――間違いなく一流になれるのに!」
「リーフィ」
言葉を選び切れず、ただ名前だけを呼んだ。
「血を吐くほど努力すれば、人並みになることは出来るかもしれない。でも絶対に大成は出来ない! どうして? どうしてそこまで一生懸命なの? 一途なの? 見てて痛いよ!」
「リーフィ、俺は」
「コジロウは努力してる。でも、もしも、未練を断ち切れない理由がそこにあるのなら。努力し続ければいつかは報われると信じているのなら!」
腕が振り上げられる。その手から漏れる、鈍い金属の光。
「私が、断ち切ってあげる。引導を渡してあげる。努力だけでは絶対に超えられない壁があると教えてあげる!」
免許証を、地面に叩き付けた。
「さあ、魂を、形に示しなさい!」
木々も草花も揺れていない。しかしその瞬間、俺とリーフィの間には確かに風が吹いた。
「おい、お前」
「何も聞く気はないの。ただ応えて頂戴」
俺を正面から見据えている。
「私はコジロウと共に創作家を目指し、資格を取り、歩んできた。だからこそ」
その私に一矢報いることすら出来ないなら――創作家の道は諦めて。
「本気、だな」
小さく呟いた。ここまで腹を括ったらテコでも動かない。
判ってるさ。長い付き合いだからな。
懐に手を入れる。出しそびれたプレートを再び取り出した。そうして免許証を掴む手を振り下ろした。これが地面に触れた瞬間、勝負は成立する。
「……ああ、ならお前に示してやるよ。俺の意地を!」
砂埃が、舞った。
瞬時に行動。幻料を認識、抽出、精錬、成形、固定。その間一秒強。最速最短で作られ、浮かび上がる【星】。
「シャアッ!」
即座にリーフィを指さした。流れ出す。勝負成立から二秒を待たず【流れ星】はリーフィに敗北を撃ち込む――。
だが、弾かれる。
「……これでコジロウの大きな勝機が、ひとつ消えた」
星は砕け散った。あいつが作り上げた【盾】に阻まれて。
「コジロウは確かに速いよ。でもね、防ぐだけなら。幻料をただ固めるだけの【盾】を作るだけなら、私でも!」
相殺出来るだけの固さをもつ【盾】を間に合わせたか。流石は期待される新人。技量も申し分ない!
「速いだけじゃ勝てない。渡っていけない。そうでしょう!?」
ぐわん、と圧迫感。尋常じゃない強さだ。リーフィが本格的に幻料を練り始めている。
「行くよ!」
リーフィが左手の指を鳴らした。その音を合図に作り出されるのは、掌に乗るほどの小さな鳥。
そう、あいつが得意とするのは鳥の造形だ!
「は――あっ!」
主が発した気合に呼応して【小鳥】が飛んだ。
俺の模型が『星の矢』であるならば、リーフィのそれはさながら『鳥の矢』だ。
一直線に、その嘴を俺に突き立てる為に飛来する!
「っ!」
殺傷力はないとは言え、まともに食らえば足が止まる。横っ跳びでどうにか躱す!
「まだ、まだ!」
続けて指が鳴る。今度は一度に二匹。俺と違って材料豊富なリーフィは鳥の二匹三匹十匹など屁でもない!
「まだっっ!!」
再び飛襲する。二匹同時。
速い、躱せない! 片方は喰らう!
集中。
【盾】を作る!
眼前に迫った【小鳥】は、俺が即座に作り出した幻料の壁に弾かれ、四散する。
「くそ、まずい!」
攻撃は防いだ。しかし事態はリーフィの思惑通りに進んでいる。
「あいつ、確実に仕留めに来てやがる」
「ええ、その通り!」
悪態が聞こえたか、応えがあった。
「もう【流れ星】は撃たせない! 作らせない!」
相手に向かって直線的に飛びかかる【小鳥】は、当たった相手を一瞬棒立ちにさせる。それだけだ。害は殆どない――だが一度食らったが最後、その隙に新たな鳥に次々と襲われ、結果何も出来なくなる。
食らうわけにはいかない。だから、避けられないとなれば、【盾】を作って防がざるを得ない。貴重な幻料を消費してだ!
時と共に少しずつ回復する幻料を再び吐き出す羽目に陥るのだ。それがリーフィの狙い!
しかも、こいつらはただの時間稼ぎ。
あいつの本命は、こんなちっぽけな模型じゃあない!
「ツァアッ!」
意を決して走り出す。この距離じゃ何も出来ない。どうにか間合いを詰めて、アレの完成を阻止しないと!
「させない!」
後退りながら、しかしリーフィは手を休めない。際限なく作り出す【小鳥】で俺の行く手を阻む。
どうにか躱す。全てを躱す。だが距離も縮まらない。
マズい。あいつが右手で作っているアレの完成まで、もう時間が!
「……残念だったね、コジロウ」
リーフィが僅かに目を伏せた。頭上が大きく歪んでいる。
「これでもう、私の勝ちは揺るがない」
リーフィの右手から溢れ出した『薄く光る何か』が浮かび、集い、形を成していく。
俺の【星】とは比べ物にならない存在感と共に、輪郭を作っていく。
もう【小鳥】は飛んでこない。時間を稼ぐ必要はなくなった。
「完成したから。私の【伝書鳩】が!」
――大きな翼の影が、地上に落ちた。
鳩と呼ぶにはあまりに勇ましすぎる白い巨鳥。一度放たれたならば、相手に届くまで延々と追い縋る必着の模型。俺の作る貧弱な【盾】では到底防げる道理のない規模。
圧倒的な物量差がそこにはあった。リーフィがアレを俺にけしかけた瞬間、この決闘は終わるだろう。
「……出やがったか」
「今さら説明は、要らないよね? 私の【伝書鳩】に触れた人がどうなるか――」
「ああ、よく知ってる」
さっきも拝ませてもらったばかりだ。シュレンが突然翻意した理由も全てそこにある。
リーフィが己が魂を込めて作る模型。名を【伝書鳩】。その巨鳥が宿す魂とは。
「私が幻料の大半を費やして作る傑作。血を流すことなく相手から戦いの意思を削ぎ落とす……優しい模型」
「優しい? ふざけんな」
前から言ってやろうと思っていたことを口にする。
「その真逆だよ、お前は」
リーフィは敵を打ち倒さない。怪我すらさせない。
何故ならあの鳥が喰らうのは敵の肉ではなく意思だから。
敵意、殺意、戦意。触れたが最後、それらを余さず食い尽くされるのだ。
――ああ、そうだ。
リーフィ、お前は優しくなんかない。
強制的に戦う意志を奪い取り、対決を放棄させるんだぜ?
こんな残酷な話があるかよ。
散々抗って、努力して、あらゆる手を尽くした上での敗北なら認められる。挫折だって受け入れられる。
だけど、お前の能力は相手に足掻くことすら許さないんだ。
酷い話だよな。自分の意志とは無関係に敗北を認めさせられる、なんて――。
なんて絶望だ。
だから、お前の模型に相応しい呼び名だと思うぜ。まさしく敵対した相手へ【絶望を告げる伝書鳩】だ。
「もう足掻かないの?」
誰もが賞賛する傑作を作り上げ、勝ちを確信したリーフィは余裕たっぷりに告げた。
「話している間に少しは戻ったでしょう? 出してみなさい【流れ星】を。撃ち落とせるものなら、撃ち落としてみせなさい。その方が……納得もできるでしょう?」
「るっせ。出来るわけねえだろ。どんなに練り込んだところで、量が違う」
愚痴とも悪態ともつかない言葉を吐きながらも作り出す。
空に浮かぶ【巨鳥】と比べるもおこがましい、ただの石ころにも似た【星】を。
「――流れ星、か」
俺の頭上に浮かんだ赤く小さな塊を見やり、噛み締めるようにリーフィが呟いた。
「らしい模型だよね。周囲との摩擦に身を焦がしながらも、進むことを決して止めない流星。まるで創作家を諦めきれないコジロウの未練みたい」
「未練、ねえ」
引導を渡すつもりだけあって言葉にも容赦がない。
「確かにそうかもな。けど」
右手で左手の甲を握り締めた。
腹は括ったぞ。相手がお前とはいえ、いやお前だからこそ創作家としての誇りを賭けたこの勝負、負けられない!
「……――中には、地上に辿り着く奴だっているんだ」
「コジロウ?」
俺が浮かべた笑顔に、リーフィが戸惑う。
「燃え尽きるばかりじゃないんだ」
大きく息を吸った。
「大気を突破した星の欠片は、地上に大きな穴を穿つ。足跡を残す。周囲との摩擦に身を削りながらも、諦めることなく進み続け、目的を達成した、その決意の証としてな!」
幻料を認識した、抽出した、精錬した、成形した、固定した。
二つ目の【星】が、頭上に浮かび上がる!
「っ!」
リーフィが僅かに体を強張らせた。
「ふたつめ?」
「未練じゃない!」
叫びながら、しかし集中は乱さない。
「燃え尽きることが出来ないんじゃない。燃え尽きないんだよ、リーフィ!」
繰り返す。認識、抽出、精錬、成形、固定。模型を作り上げる手順を繰り返す。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す繰り返す――。
「うそ!」
金切り声が響いた。
「なにそれ!」
「だから俺はこう呼んでいる」
宙に浮かび上がった【星の群れ】を見上げ、宣言する。
「【決意ある流星群】――ってな!」
「そんなっ!」
疑問が弾けた。
「コジロウの幻料容量じゃ【星】ひとつ作るので精一杯の筈!どうしてそんなにたくさん! ……まさか!」
「違う」
その思い付きを、首を振って否定する。
「間違いなく俺は『小さな器』だ」
「それじゃあ、説明出来ない!」
深赤色の瞳が左右に揺れた。
「……ひょっとして」
「そうだ」
単純な話だ。
「器がまた一杯になったから次を作っているだけだ」
「ありえないっ」
リーフィは振り払うように首を振った。
「使い切った次の瞬間に、もう戻ってるって言うの? いくら何でも、そんなすぐには!」
「だよな」
頷き返す。
「俺が呼びかけても、お前は中々姿を見せなかった。待ってたんだよな。シュレンに使った分の幻料が体に戻ってくるまで」
他人の意思を削ぎ落とす、そんなイカれた個性を実現するには相応の幻料が必要になる。
不意打ち故に、シュレンに放った奴は能力のみを重視して、形は小さく作ったんだろうが――それでも、かなりの幻材料を消費した筈。最初から俺に決闘を挑むつもりだったリーフィは、数分かけて回復を待っていたんだ。
そう、使い切った幻料はすぐには戻らない。
俺はその常識を覆す。
「そんな、ことが」
信じられないとばかりに、視線を宙に彷徨わせた。
「聞いたこと、ない」
さあ――お喋りの時間は、ここまでだ!
「決闘中だぜ、リィィフィ!」
叱り飛ばす勢いで叫んだ。焦点が定まる。
今の立場を思い出したのだろう。各々の模型を頭上に控えさせ、後は発動を待つばかりという現状を!
「これが俺の、全てを込めた魂の形だ!」
重ねた手を掲げ、叫んだ。
「お前の【絶望を告げる伝書鳩】は、俺の意地を潜り抜けられるか!?」
「ッッ!」
互いの手が、互いを指し示した。
白き巨鳥は俺の戦意をついばまんと羽を広げ、空に浮かんだ星々はその翼を叩き落さんと、降り注ぐ。
絶望が――。
俺に届けられることはない。
【鳥】を撃ち落とす役目を逃した【星】のいくつかが、勢いを維持したまま、リーフィへと襲い掛かった。
「あ……」
最高傑作を地に堕とされ、皮肉にも先に戦意を失い、迫る星々を呆然と見上げ――、
全てが消失した。
星々は四散していく。燃え尽きたように。
「……決闘っつったって、殺し合いじゃないからな」
ぺたん。リーフィはその場にへたり込んだ。
「だけど、俺の勝ちだ。そうだよな?」
空を見上げたまま、リーフィは呆然としている。少し待ってみたが、起き上がる気配はない。
「腰でも抜けたか?」
案外逆境に弱いところあるよな、こいつ。
「掴まれよ」
リーフィは差し出された手を暫くきょとんと見つめていた。
だが次第に呆けていた顔に感情が戻り始める。やがて大きく息を吸ったかと思うと――、
「凄い!」
両手で俺の手を掴むと、満面に笑みを浮かべて跳ね起きた。
「凄いじゃない!」
あまりの勢いに、支えるはずの俺の体がぐらりと揺れる。
「一瞬でそんなに戻るだなんて――何それ! 【星】を無限に作り続けることが出来るの!?」
「維持出来ねえよ」
鼻の頭を撫でる。
「逆に言えば、維持出来る限界までは作り続けられるってことでしょう? なんてこと……。使い方次第じゃ、どんな創作家だって凌げる可能性がある!」
興奮は止まらない。
「どうして隠してたの? こんな凄い才能」
「――――」
ざり、と。心に爪を立てられたような感覚。
表情が変わらないよう顔の肉を突っ張らせる。
「自慢気に、披露する程のことでもないだろ」
「自慢出来るよ! 凄い才能だよ!?」
「そんなことねえよ」
「尋常じゃない回復力、私の知る限り、他には絶対にいない!」
「……リーフィ」
「神様っているんだね。こんな素敵な才能を、ちゃんと与えてくれてた!」
「リーフィ」
「これなら大丈夫。きっと――」
「リーフィ!」
思わず手が伸びた。はしゃぎ続ける幼馴染の両肩を掴む。
「……え?」
戸惑う声が聞こえた。俺は顔を伏せ、地面を睨みつけている。
「ど、どうしたのコジロウ?」
「俺は創作家であり続けていいのか?」
前髪で顔を隠したまま訊いた。
「この道を進み続けていいのか?」
「それは、もちろん」
「どうしてだ?」
「だって、そんな凄い、さいの……う」
――堪え切れず、顔を上げた。
すぐ目の前にある見慣れた顔を睨みつけると、本人が口を閉ざした。
長い付き合いだからこそ判ったんだろう。
俺が、本気で、怒っていることに。
「どう、したの」
「――確かに」
感情を乱すまいと、出来る限り声を押し殺す。
「確かに才能だよ。異常だよ俺は。自惚れかもしれないけどな、一瞬で幻材料がここまで戻る奴なんていない。色々調べたけどな、前例すらなかったよ」
「コジロウ」
「でも、俺は言われ続けてきたんだ。向いてない。止めておけ。無理だ。諦めろ。滑稽だ――ずっと、ずっと」
自然と、声が荒くなる。
「俺の夢を認めてくれる奴なんか誰もいやしなかった。お前だけは味方でいてくれた……けど、内心じゃ辞めさせたがってることは知ってたんだよ」
手に力が篭る。リーフィが眉を寄せた。でも抑えられない。
「そんな中で、絶望的な現実と向き合って、意志を押し通して、嗤われようと諦めず、そしてやっと見つけ出したんだ」
俺は、ずっとそいつと戦い続けてきた。
だからこそ、我慢できない。
その単語ひとつで片付けられることだけは、どうしても。
「ああ、そうだよ。才能だよ! こいつは紛れもない才能だ! だけどな! 奥深くに埋もれていた才能を探し当てたのは、掘り出したのは、見い出したのは――!」
「俺の、努力だ!」
きっと泣き出しそうな顔をしているに違いない。
そんな無様な俺をリーフィは驚愕とも悲壮ともつかない表情で見つめていたが、やがて静かに目を伏せると、ゆっくりと頷いた。
「うん。そうだったね。ごめん」
肩を掴む俺の手に、自分のそれをそっと重ねた。
「でも、凄いって言葉は、撤回しない」
申し訳なさそうに、でも少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「凄いよ。コジロウは――凄いよ」
しおらしい姿に、どれだけ自分の頭に血が上っていたのかを実感させられる。肩から手を放した。何故だかリーフィの顔をまともに見られない。さて何をを言おうか、少しばかり悩んだ後で――。
「ああ」
鼻の頭を撫でながら、頷いた。
「あんがとよ」
リーフィの賞賛を、俺自身を褒めてくれた言葉を、ありのまま受け取った。
「へへ」
リーフィが笑った。最近では滅多に見せなくなった、いたずら小僧のような笑い方。
「なら、もう迷わず進もうじゃない!」
リーフィが俺の手を引く。いつものように。前のめりになった俺に構わずリーフィは歩き出す。
「おい待て、ちょっと待て」
どうにか体勢を立て直す。
「進むって、一体どこを!」
「決まってるじゃない!」
振り返った顔には、これ以上ないと言わんばかりの笑顔。
「コジロウが勝ち取った、道を!」




