第1話-1 魔王の長い遺言
「魔王軍筆頭秘書ザインよ……私はもうすぐ、この世界から消える。お前に、伝えたいことが……」
陛下の話は、いつもの通り長かった。
崩れた玉座の間。勇者たちが引き上げたあと、地下の書庫から駆け戻った私の前で、聖剣に胸を貫かれた主君は、死にぞこないの体で延々と語り続けた。
王脈を敷いた三百年前の苦労話。最初の揚水塔が三日で壊れた話。温熱炉の設計者が気に食わなかった話。食べ損ねた夕食の、鹿肉の煮込みへの未練。
途中、二度ほど意識が遠のきかけ、そのたびに「……どこまで話した」と聞かれた。
「温熱炉の設計者の、眉毛の形のところまでです」
「そうだったな……あの眉毛は……」
懐中時計を見ると、十分が経っていた。死ぬ間際の主君が、十分。
要約すると、こうだ。
魔界の水道も、灯りも、通信網も、冬の暖房も、すべて陛下の魔力で動いている。陛下が死ねば、それらは順に止まる。
加えて、魔王軍は解体され、職を失う魔族と魔物は、少なく見積もって四十万。
──それらの面倒を、見てほしい。
以上だった。十分ぶんの話が、手帳の四行に収まった。
正直、最後の最後で、ここまで面倒な案件を押しつけられるとは思わなかった。
「陛下。それは筆頭秘書の職務の範囲を、だいぶ超えております。あと、話が長いです」
「知っている。……だから、お前に頼むのだ。お前以外に、四十万の顔と経歴を覚えている者がいるか」
いない。人事記録は、全部私が書いた。
「……承知しました」
陛下の体から漏れる黒い霧が、細くなっていく。
「それと……ザイン。お前の淹れる茶は……いつも、少し濃すぎた」
それが、最後の言葉だと思った。
「……だが、嫌いでは、なかった」
訂正する。最後の言葉は、それだった。
胃のあたりが、きりきりと痛んだ。三百年の秘書生活で、初めての痛みだった。
◇
三日後、魔王城の灯りが、端から順に消え始めた。
私は自室で胃を押さえながら、魔導端末を開いた。魔界最大の通販網、MAZOZON。注文すれば、魔導転送網で、その日のうちに品物が届く。
一番効きそうな胃薬を選んで、注文した。
『ご注文ありがとうございます』
『魔導転送網の停止により、お届け予定日:未定』
『未定』の二文字が点滅し──端末そのものが、ふっと暗くなった。
陛下が十分かけて言っていたのは、これか。
胃薬すら、届かない。
◇
十日後。人間との和平条約に基づき、魔族領の中央都市に『公共職業安定所』が開設された。
開庁の朝、旧兵舎の前に延々と続く求職者の列の、三百番目あたりに、私は並んでいた。
「前職、魔王軍筆頭秘書。在職、三百年」
窓口の人間の役人は、灰色の制服に眼鏡をかけ、何の表情も浮かべずに、私の求職票を読み上げた。
「希望職種……『四十万人の再就職を支援できる仕事』」
「はい」
「該当する求人は、ありません」
「でしょうね」
「ただし」
役人──オルト・ミュラーは、窓口の脇から、一枚の紙を取り出した。職員募集の紙だった。
「開所から三日で、登録は八千件。人間の職員には、オーガとオークの違いもわかりません。魔族の能力と経歴を見極められる人材が、必要です。……審査には通常十四日かかりますが、あなたの後ろに、あと二千人並んでいます」
オルトは、眼鏡の位置を指で直した。
「本日中に処理します」
こうして私は、職安の窓口の、向こう側に座ることになった。
MAZOZONの胃薬は、まだ届いていない。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。
魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




