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第七十章 鄧奉の乱 其の二

「遠方にいるというのに、まるでこちらが見えているかのようで些か不気味だ」


「鄧禹殿のことカ。南陽の豪族に必ず協力を拒む者が出ル、不心得者からは奪い取って構わない、トカ。我らにとっては気を遣わないでいいのは楽だガ」


呉漢ごかん高午コウゴと共に堵郷へ向け前進していた。その軍には略奪した作物や馬が加えられていた。

呉漢が略奪を許可すると、女性をかどわかしてきた者もいたが、帯同させると兵が弱るという判断から呉漢は一喝し、解放させていた。

鄧禹の書状には非協力的な豪族からの収奪を許容、もっと言えば推奨するような内容が書かれていた。はっきり明記されてはいないものの、劉秀の理解も得られているような書きぶりだった。

大司馬と大司徒、格の上では呉漢にとって同格の鄧禹だが、呉漢は自分を推挙してくれたこの若き宰相の意向を常に尊重していた。


「敵襲!敵襲!背後に所属不明の部隊が出現!」


慌ただしい伝令の声によって、二人は部隊の後方に急行する。

背後の平原には、一万人余りの歩兵を中心とした軍勢が現れていた。

呉漢はその軍勢から、見る者を圧倒するただならぬ気迫を感じた。

肌のひりつくような気は、中央に位置する騎馬の男から発し、全軍の意識と混ざり合って噴出している。

鋼の胸当てをつけ、背中には豹の革の外套。乗馬は持ち主に相応しく、血のように紅い肌をした猛々しい馬だった。とりわけ目立つのは、右手に握られた巨大な剣だ。大剣の剣格には厳しい獣の装飾が施されている。


「破虜将軍、鄧奉とうほう……」


呉漢は呟いた。


 呉漢は馬を進めて鄧奉に呼びかける。


「兵糧の供出を拒ませたのも貴方だったのか?」


「拒んだら殺せって言ったのはてめぇか?この白目野郎。それとも、劉秀の差し金か?」


「私の判断だ。しかし、これは陛下の命を受けた軍旅である。貴方のやっている事は反逆行為だぞ。陛下の親友だという貴方が、なぜこんな大それた事を」


「てめえのやった事は棚に上げて、俺の事は大それただのなんだのと……理由を教えてやるよ」


鄧奉は剣を構えた。


「あいつが、俺を、南陽を、裏切ったからさ」


呉漢が目配せすると、高午が指三本を掲げて合図を送る。素早く三騎が現れて壁をつくり、呉漢はその後ろに逃れて本隊と合流した。


「シャアッ!」


鄧奉は気勢を上げると大剣をおもむろに投槨した。

標的となった中央の突騎は避ける暇もなく、胴体から両断されてしまった。血に染まった辟邪へきじゃの剣は、大地に深々と突き刺さった。

残る二騎は一瞬動揺したが、そこは精鋭の烏桓突騎である。相手が武器を放したことを好機と捉えて、臆せずに挑みかかった。

鄧奉は左右から繰り出される戟をかわしながら、その柄を掴んだ。

むん、という鼻息とともに戟は二本ともへし折られた。鄧奉は片方の柄で左側の突騎の顔を突く。柄は眼球から後頭部に突き抜けた。もう一人は戟を放して脇に携えた小刀を引き抜こうとしたが、その頭を一瞬早く鄧奉の大きな手が捉えた。兜がミシミシと音を立てて突騎の頭にめり込んでいく。


「は、放して……グべッ」


兜が頭蓋を突き破り、血飛沫と脳漿を散らして突騎の頭は潰れた。

鄧奉は突騎の身体を投げ捨てると、悠然と地面に刺さった辟邪の剣を抜き、右腕で高く頭上に掲げた。


「鄧奉!鄧奉!鄧奉!鄧奉!鄧奉!」


南陽の兵は歓声を上げる。鄧奉が大剣の切っ先を呉漢達に向けると、南陽兵は動き出した。


「主ヨ!アレは鬼神の類いカ?」


「馬鹿を言え!ただの謀反人だ」


北方騎馬民族の烏桓は勇猛だったが、漢人と比べて迷信深いところがあった。鄧奉のあまりの武威に、相手が人ならざる怪物なのではないか、という恐怖が広がりつつあった。

対照的に、南陽兵は呉漢の略奪に対する怒りに燃え、士気が高い。加えて彼らは、反乱の初期には新王朝の軍と激しく戦い、近くは赤眉を退けた精鋭である。哀兵必勝という言葉の通り、南陽兵士の怒り、そして突騎を蝕む畏怖は、両者にあった実力差を埋めてしまった。

傷を受けても突き進む南陽兵は、この“義挙”に殉ずるという一種の陶酔感に包まれている。始めは優勢だった烏桓突騎は、ひたすら平押しをしてくるに過ぎないこの歩兵主体の軍団に、圧倒されつつあった。


「まさか……大司徒はこうなるとわかっていて?いや、しかし何故そんなことを」


呉漢と烏桓突騎は、遂に撤退を余儀なくされた。


 鄧奉の反乱によって、宛にいる堅鐔けんたん萬脩ばんしゅうは窮地に立たされた。

育陽に陣を張った鄧奉が堵郷の董訢とうきんと結んだために、この二つの都市に挟まれた宛は孤立無援になってしまったのである。


「何たる事だ。しかし、この宛の蓄えは十分にある。陛下が援軍を差し向けてくれるまで固く守り……」


堅鐔が話しかけていたのは萬脩だが、彼は完全に上の空だった。顔が赤く、身体は小刻みに震えて、立っているのもやっとの様子だ。


「いかん……医者を!」


その瞬間、萬脩は後ろ向きに倒れた。

寝室に運びこまれた萬脩のもとに医師が到着した。

堅鐔は医師が部屋から出てくるのをじっと待ったが、出てきた医師は憔悴した顔で首を振るのだった。

堅鐔は静かに部屋に入ると、萬脩の手を握った。


「重いんでしょう?そう、顔に描いてある」


「拙者、嘘は苦手でな。すまん」


萬脩は力無く笑った。


「“細く長く”が…家訓なんですがね。あっちで…親父に…怒られちゃうなぁ……」


萬脩は口元に笑みを残したまま目をつむり、そのまま意識を失って、再び目覚めることなく世を去った。

萬脩、雲台二十八将の第二十六位。彼の子孫は明朝に仕えて李氏朝鮮に渡り、現在に至るまでその血筋をつないでいる。


相次ぐ謀反、臣下の死。しかし、まだまだ劉秀の苦難は続くのである。

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