第七十一章 逆巻く風
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建武二年九月、弘農郡では驃騎大将軍の景丹が盗賊討伐の任に当たっていた。
「賊軍の様子はどうだ」
車の中で臥せったまま、景丹は御者に尋ねる。
「は、閣下の到着からいくつかの部隊が逃亡を始めたようであります。しかし、大部分は未だ…」
「我の姿が見えないから、半信半疑なのだろう。どれ、お迎えが来る前に片をつけようか」
景丹は部下の手を借りて鎧兜を身につけた。病に冒されて痩せ衰えた景丹の身体を見て、部下は涙を流した。
景丹は陣幕の中で二人がかりで馬に乗せられると、戟を手に賊軍と対峙した。
「やあやあ、我こそは大漢帝国の驃騎大将軍景丹なるぞ!天下の精兵、上谷突騎の行く手を遮る愚か者どもはお前らか。この戟で頭を割られるか、馬蹄にかかって轢き潰されるか、好きな方を選ぶがいい!」
景丹が吼え終わると、賊軍は蜘蛛の子を散らしたように逃げ始めた。
賊軍が遠ざかるのを見届けた景丹は天を仰いだ。
太陽はこんなに近い位置にあっただろうか。空は緩やかに歪み、太陽と混ざり始めた。
全てが混ざり合って、真っ白になった。
「若、上谷を頼みまする」
馬上でぐらりと身体を傾けた景丹は、そのまま落馬した。
部下が駆け寄ったとき、既に脈はなかった。
驃騎大将軍景丹、雲台二十八将の第十位。南䜌の戦いで勇名を馳せた老将はここに没した。劉秀は軍事上の序列第二位の臣下を失ったことになる。
2
最大勢力に躍り出たはずの劉秀に、逆風が吹き荒れていた。
相次ぐ謀反や訃報など、報告されるのは凶報ばかりである。
比較的順調に進んでいるのは、劉永に対する討伐軍だけと言っていい。虎牙大将軍の蓋延が、この討伐軍の大将だった。
「えー……その劉永討伐軍の蘇茂殿が謀反。淮陽太守を殺害して、劉永に寝返ったという事です」
侍中の傅俊は冷静さを保とうとして棒読みになってしまった。劉永は部下にしたはずの張歩や董憲が様子見を決め込んだ事によりかなりの苦境に立たされていたのだが、土壇場で巻き返しに成功したと言える。
劉永は蓋延の勢いに押されていたが、盛んな諜報活動により討伐軍内部の不和を嗅ぎつけた。それは総大将の蓋延と蘇茂の間にある作戦方針の対立である。ちまちまと周辺の都市を攻略して戦果を大きく見せようとする蓋延と、劉永の本拠地を一気に叩くべきだとする蘇茂は度々衝突し、自分の意見に聞く耳をもたない蓋延に対して蘇茂は憎悪を募らせた。
対立が深刻化したのを見計らって、劉永は大司馬と淮陽王という破格の待遇で蘇茂に謀反を唆したのだった。
今度は龐萌が報告する。
「彭寵討伐軍の鄧隆殿、惨敗いたしました。生死不明であります」
「布陣した場所が朱浮と離隔しすぎていた。陣地変換を命じたが、遅かったか」
鄧隆は朱浮と川を隔てて百里も離れた場所に布陣した。この失着を見逃す彭寵ではなかった。二者が合流出来ないように川沿いに歩兵と弓兵を布陣して牽制するとともに、鄧隆の背後から匈奴の軽騎兵三千をけしかけて指揮所を粉砕、討伐軍を撃破することに成功した。
彭寵は既に北方の匈奴に美女や金銀を送り、強力な騎兵隊を雇い入れていたのである。
劉秀はしばし遠くを見つめていたが、咳払いを一つすると眼に闘志を蘇らせた。
「劉永と彭寵の件はまた仕切り直しだ。鄧奉にも手を打たねばならぬ。征南大将軍と建義大将軍を呼んでくれ」
召し出されたのは、征南大将軍の岑彭と建義大将軍の朱祜であった。
「二人には鄧奉の謀反を鎮圧してもらう。君たちは南陽の出だ。敵地の特性もよく把握しているし、敵の動揺も誘える。特に、朱祜にとっては辛い任務だろうが、やってくれ」
「友であるからこそ、私が奴を止めたい。ご指名くださったこと、嬉しく思います」
朱祜は拳で力強く胸を叩いた。
二人が拝命して退出すると、劉秀は傅俊に尋ねる。
「大司徒による長安復興は進んでいるか?」
「今しがた鄧禹様から報告が入りまして……悪い知らせです」
劉秀は玉座に座ると、晴れやかに笑った。
「よし、聞こう!」
傅俊はと言えば、苦笑いを浮かべるしかなかった。




