第三十六章 避役の舌
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堂陽を降した後、劉秀一行の下に耿純と傅俊が合流した。一族郎党全てを率いて帰参したいという耿純を劉秀は歓迎したが、耿純の年老いた親戚が板に乗せて運ばれてくるのを見ると複雑な気分になった。
「挙兵の最中に亡くなった母のことを思い出す。ああやって固い板に乗せられて、あちこち運ばれて容体が悪化した。そして、混乱の中で寂しく世を去ったのだ」
傅俊は耿純と親しくなっていたので、劉秀の表情が曇るのを見ると耿純を擁護した。
「耿純殿は、閣下が国を動かす大人物になると信じているのです。老幼までも引き連れて降ったのは、一族の命運を賭けるに足る人物だと閣下を信じているからです。一族の者から反対者が出ないように、実家を焼き払ってしまったほどですよ」
劉秀は耿純がそれほどの決意をもって帰参したことに驚き、彼が攻略を要求する地元の宗子県を優先して攻めることにした。宗子は耿純の意に反して劉子輿に与しており、自身に叛意のないことを証明するためにも早く陥してほしいと耿純は主張していたのである。宋子県は銚期の活躍もあり、程なく平定することが出来た。
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劉秀は地図を睨んで、うんうん唸っている。
「真定国が劉子輿側というのは、実に面倒だな」
劉子輿のいる邯鄲、つまり趙国に最速で攻め入るには堂陽から南下していけばいいのだが、劉秀や耿純の今いるところは堂陽よりも北の中山国である。
南下をするよりも前に北を自分たちの勢力で固める、というのが劉秀の戦略であり、常山郡に鄧禹、河間国に馮異を派遣しているのもその一環である。これら常山郡、中山国、河間国はほぼ横並びの位置関係にある。その中央に喉に刺さった小骨の如く鎮座しているのが、真定国である。
「小さいといえど劉氏を戴く王国、真定王の劉楊は我が一族と縁続きの関係です。彼はその気になれば十万の軍を動員できると宴席で自慢しておりました」
「中山国から鉅鹿郡に南下して、背後から十万の軍に襲われるのは避けたいな。親戚の誼でなんとかならないか?」
耿純は指をパチンと鳴らす。扉を開けて入ってきたのは異様な風体の男だった。瞼のあたりが突出して盛り上がっており、目は細く、口は裂いたかのように大きい。手の指の先端が妙に大きいのも異様さに拍車を欠けている。劉秀はこの男が何かの動物に似ていると思ったが、それが何かは思い出せなかった。耿純は言う。
「劉楊殿は私を可愛げがないと言って、あまり信用しておりません。そこで、説得にあたって適任の男を連れてまいりました。彼もまた真定国の劉氏とは縁続き、私の親友です。彼の弁舌は異能の域に達しております」
耿純の親友は、口を開いた。
「舌から生まれた劉植です。必ずや真定王を丸め込んでみせましょう」
劉植が舌を出すと、それは常人の二倍の長さはあるかと思われた。劉秀は都の見世物小屋で見た南蛮の蜥蜴を思い出していた。避役という名のその蜥蜴は、壁や草木の色に自在に体色を合わせ、虫を油断させてその長い舌で丸めとってしまうのだ。
劉植はその異能をいかんなく発揮して、出発して二週目には成果を上げて帰ってきた。
しかしながら、真定王劉楊が劉子輿陣営からの鞍替えの条件に挙げてきた事は、劉秀にとって思いもよらない内容だったのである。




