第百十章 天下統一
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洛陽において、劉秀は呉漢から送られた公孫述の首級を確認した。その白髪首を見て、劉秀の胸には達成感よりも寂寥感が去来した。
呉漢の成都での所行について、劉秀は放火については過剰な暴虐として書状で激しく譴責したが、公孫述一族の殺害については不問とし、具体的な処罰もくださなかった。呉漢は陸路と水路を併用して戻っている途中だ。凱旋までにまだ数ヶ月はかかるだろう。
先に、北方での防衛を担っていた朱祜が戻ってくるという。直接重要な話を知らせたいからと言うので、鄧禹も参内し、その帰りを待っている。
到着した朱祜の髭には、白いものがちらほら混じっていた。
「これですか。いっそ全部白くなってしまえば格好もつくのに、困ったものです」
「真っ白になるほど老いられても困る。まだ北方には敵がいるのだから」
朱祜はにこにことしながら、言った。
「いません」
「なんだって?」
「劉文伯が匈奴の地に亡命しました。ですから、陛下の敵は、これで全ていなくなりました」
鄧禹も身を乗り出した。公孫述の死によって、劉文伯こと盧芳には連携の目がなくなった。北方の豪族達は魔法が解けたように盧芳へ反旗を翻し、彼はその領土を保てずに匈奴の地へ逃れたのだ。
「では、遂に!」
「そうです!」
鄧禹と朱祜は互いの顔を見合わせると、劉秀に向き直ると床に額をつけて言った。
「天下統一、御目出度うございます!陛下!」
劉秀は予想だにしない展開に、口を開けて暫く呆然としていた。
「えっと……みんな、今までありがとう」
「友達ですか」
鄧禹が顔を上げると、口を尖らせて言った。朱祜も苦笑いを浮かべている。
劉秀は玉座から立ち上がり、こほんと咳払いをして言った。
「これまでの働き、まことに大儀であった。天下統一を遂げられたのは、そなたらの力があってこそである。しかし、成し遂げたのは武による統一のみ。多年の戦乱により国土は荒廃し、民草はなおも塗炭の苦しみに遭っている。社稷を安んじ、名も無き民の安寧を取り戻してこそ、はじめて漢王朝を再興したと言える」
鄧禹はその調子、とでも言いたげに拳を握った。
「ある意味で、これまで以上に厳しい戦いとなる。故にそなた達には、一層の忠勤を望む。出来るか」
「ははぁっ!この身が砕け散るまで、勤めさせて頂きます」
劉秀は額にうっすらと汗をかいていた。劉秀は玉座にどっかりと腰を降ろすと、言った。
「ともあれ、今日は宴だな」
「お酒、弱いんだから気をつけてくださいよ」
劉秀は口を尖らせて言った。
「友達か」
三人は誰ともなく笑い出した。
建武十三年二月、劉秀による天下統一。兄とともに挙兵してから、実に十五年もの時が経っていた。
2
宴の席に集まった功臣たちは思い出話や苦労話に花を咲かせた。酒が進んでくると、彼らは“平和な時代だったら、どんな人生を送っていたか”という話題で盛り上がった。
劉秀は彼らに一人づつ、自分がどんな人生を送るだろうという予想を語らせた。やがて、鄧禹の順番がきた。
「私は文学博士にでもなって、子供らに文字でも教えているでしょうな」
文学博士とは、当世風に言えば小学校の先生である。劉秀はにやにやしながら、鄧禹の肩を小突いた。
「謙遜しちゃって、もう!ほんとは“功曹ぐらいには”とか思っているんだろう」
功曹は郡ではかなり高位の行政官である。鄧禹は滅相もない、とおどけてみせた。
次は馬武の番だった。配膳係が気を使って巨大な盃を置いていたが、それでも一瞬で開けてしまう。周囲には夥しい数の酒瓶がころがっていた。馬武は盃の酒を呑み干すと、大きなげっぷをして言った。
「俺は太守や都尉になって、悪者をびしばしと取り締まっているでしょう」
太守や都尉は、功曹よりも更に上の高官である。この虎ひげの大酒飲みの元お尋ね者が意外な答えを返したことに、皆が笑いを堪えていた。
「ぜったい取り締まられる側だよ!ちゃんと自首しろよ」
劉秀がそう言うと、皆こらえきれずに吹き出してしまった。
劉秀は笑いながらも、この場にいて欲しい人がもっといた、と思ってふと物悲しい気分になった。
天下統一を見ることなく、多くの功臣が世を去った。
王常、寇恂の二人など、つい先日と言っていい。もう少しだけ、待っていて欲しかった。彼らにもこの宴に加わって欲しかった。
劉秀は悲しみを見せたくなかった。厠に立つふりをして、その場から抜け出した。
宮殿の広い庭に池があり、朱塗りの橋がかかっている。劉秀は橋の欄干に手をかけて、池をぼんやりと眺めた。
池には陰麗華との思い出の蓮の花が浮かんでいる。
水面には喪った人々や、その情景が浮かんでは消えていく。長兄、次兄、姉、可哀想な姪っ子達、そして志半ばで散った仲間達。それだけではない。敵対者。自分が殺めた人達が、映っては消えていった。彼らにも大切な人があり、成したいことがあったはずだ。
敵味方合わせて多くの人々が死んでいった。兵士や民衆の事を改めて考える。心臓の引き絞られるような思いがした。名も無き民のために天下を獲る。そう言いながら、その過程で多くの名も無き民を死に追いやってきた。殺してきたのだ。
「陛下」
橋には、満月に照らされて陰麗華が立っていた。
「私は変わってしまった。余りに多くを喪い、それ以上に多くを奪ってきた」
麗華はゆっくり歩み寄ると、劉秀の手を取った。
「あなたはなにも変わっていない。天下を統一したっていうのに、そんなにぼろぼろ泣いている。出会った頃のままの、優しいあなたよ」
劉秀はがっくりと膝をついて、麗華の豊かとは言えない胸に顔を埋めて泣いた。
天下統一は成った。しかし、劉秀の治世、そしてその旅の終わりまで、筆者は今しばらく筆を執りたいと思う。




