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喧噪は、近づいてきていた。怒号、剣戟、死臭。広大な、大陸一の大きさを誇る宮城。その宮城が落ちようとしている。刻一刻。終焉の時は近づこうとしていた。
青藍は動じない。あぜんとする周囲もどこ吹く風。ただ、泰然と茶を楽しんでいる。ここは燦々と、光さす寵姫の庭。
日は徐々に傾き、夕暮れが近づいてきた。周囲も、もはやどこか麻痺してきた様子。いつものように茶を出し、姫とその客人である、かどうかはよくわからないが、青年将校の相手をしている。
「双六を。」
青藍の、この空気を感じさせない要求は続いていた。
しかし、すぐ近くで甲冑のこすれる音。耳聡く聞きつけた侍女たちが、瞬時に青ざめる。これで、仕舞だ。青年将校は茶をすする手をとめ、ついにその剣に手をかけた。
———死からは、もはや逃れようもないだろう。死を望まないのなら、せめて最期まで抗いたい。
最期の刻。誰もがその言葉を心に描いた。覚悟を決め、音がした方を見やる。
「よけいな事をするでないぞ。その無粋なものから手を放せ」
はじめて、青藍が人間らしい声を発した。
しかし、ついに離宮の門を壊しはじめる音がした。ざわつき、青ざめる侍女たち。
「されど、姫様!!」
「このままでは、」
死にたいのか、死にたくないのか。主の真意を図りかねる。はっきり言って、正気とは思えない。青藍の不可解な態度が、恐怖を呼び起こした。
「もう一度言う。余計なことは、まかりならぬ。」
更に、大きくなる破壊音。門が壊れ、兵たちがなだれ込んでくるのは時間の問題。しかしもう一度、青藍は繰り返すとさっと立ち上がる。
「逃げましょう、」
「お子様が、」
慌てふためく周囲を尻目に、青藍はかつてないほどしっかりと繰り返す。
「だれもここを動いてはならぬ。」
そして、ふふ、と笑みをこぼした。
「おかしなこと。そなたら、腹をくくったのではなかったのか」
その言葉の直後。大きな破壊音とともに、とうとう門は壊れた。侍女たちの表情は恐怖。青年将校は、最期のほんのすこしの敵意と、諦観。
「どうか、命だけは!」
恐怖は最高潮に達し、侍女たちは敵兵の方向へ次々と跪いていった。
しかし、侍女たちの恐怖に反して、門を破った侵入者たちは少数。明らかに、身分の高いその中の数名だけがこちらの方に静かに、礼儀正しく、近づいてきた。しかしその黒い甲冑。まぎれもなく、対戦中であった隣国のもの。
その中で、一番身分の高そうな人物が口を開いた。
「よく聞け。梁王は私が打ち取った。」
ひっ、と侍女から悲鳴が上がった。
「反抗せぬものに無体なまねをするつもりはない。この場所も、このまま壊したり、追い出したりするつもりもない。」
あからさまに広がる、安堵。
「しかし、条件がある。」
背筋が、冷えていく。
「お前たちの主は頂いていく。」
甲冑の人物の瞳が青藍を捕える。侍女たちは、先程から立ち尽くしたままの己が主を見やった。
青藍と、甲冑。二組の双眸が対峙する。
「おいで、青藍。」
その言葉に、青藍ははじかれたように駆け出した。万感の思いを込めて、その大きな体躯にかじり付く。
「まちくたびれた」
その真っ黒な双眸から流れたのは、歓喜。
「またせて悪かった。」
甲冑の人物は愛しくてたまらない、といった風情で青藍を抱きとめた。
青藍が隣国の姫として、梁国の後宮に召されたのはもはや10年も昔のことである。当時、彼女は17歳。妖精のような、どこか危うげなまでに可憐な少女であった。必ず、迎えにいく。という恋人の言葉を信じて、待っていた。十年もの年月を。月日は青藍を大人の女へと変えたが、彼女の思いを変えることはなかった。それは、相手も同じだった様だ。
青藍は、迎えにきてくれた恋人の存在がが、ただただうれしかった。