第1話 幼馴染と親友による嘘告
「謙也のことが好きです」
放課後の屋上。
風になびいた黒いロングヘアを押さえながら美幸がそう言った。
「…………え?」
今なんて?
好き?
誰が、誰を?
「聞こえなかった?」
「いや聞こえたけど……」
「じゃあ、そんなにびっくりしないでよ。私まで恥ずかしくなるじゃん」
美幸が口元を緩める。
見慣れているはずの顔だった。
小さい頃から何度も見てきたし、なんなら昨日だって会話をしている。
なのに、まともに見られなかった。
水色の瞳と目が合うだけで顔が熱くなる。
北條美幸。
俺、大中謙也の幼馴染だ。
昔は、かけっこで負けるたびにもう一回と騒いでいた。
いつからだろう。
隣を歩くだけで、ほかの男子の視線が気になるようになったのは。
友達に「北條と仲いいの?」と聞かれるたび、ちょっとだけ嬉しくなって、そのくせなんでもない顔で「家が近いだけだよ」と答えるようになったのは。
「謙也?」
「あ、ごめん」
「さっきから謝ってばっかり」
「まだ一回しか謝ってないだろ」
「そうだっけ?」
美幸がくすっと笑った。
それにつられて俺も少しだけ笑う。
よかった。
いつもの美幸だ。
そう思ったのに美幸は胸の前でギュッと拳を握った。
「それで……返事を聞かせてほしいんだけど」
全然いつもどおりじゃなかった。
落ち着きかけた心臓が、またうるさくなる。
「返事って、その……」
「私と付き合ってくれる?」
「…………」
「幼馴染のままじゃ嫌なの」
ずるいだろ、それ。
そんなことを言われたら期待する。
今まで何度も勝手に期待しては諦めてきたのに。
朝、家を出る時間が重なっただけで嬉しかった。
美幸が俺を見つけて手を振ってくれた日は、それだけで学校へ行くのが少し楽しくなった。
でも美幸にとっては違うんだろうと思っていた。
昔から知っている。
気を遣わなくていい。
たぶん、そのくらいだって。
「……俺でいいの?」
聞いてから、しまったと思った。
何だよ、その聞き方。
せっかく告白してくれた相手に、もう一回言わせるつもりか。
けれど美幸は嫌そうな顔をしなかった。
「謙也だから言ってるんだよ?」
「そ、そっか」
「ほかの人を屋上に呼んだりしないって。二人っきりになるようなことはしない」
手が落ち着かない。
ポケットに入れるのは変だよな。
腕を組むのは、もっと変だ。
結局、体の横で落ち着いた。
美幸の前でなにをやってるんだ俺。
「そんなに悩むこと?」
「悩んでるわけじゃなくて」
「じゃあどうしたの?」
「……嬉しくて、ちょっと」
美幸が唇をきゅっと結んだ。
「いや、ちょっとじゃないけど。すごく嬉しいんだけど」
俺は慌てて言葉を足した。
「……うん」
「まさか、美幸にそんなこと言ってもらえると思ってなくて」
美幸が少しだけ顔を伏せる。
照れているんだと思った。
俺ばっかり緊張しているわけじゃない。
そう思ったら、ようやく少し余裕ができた。
返事なんて、とっくに決まっている。
美幸が好きだ。
今、告白されたからじゃない。
ずっと前から。
ただ言ってしまって今までの関係がなくなるのが怖かった。
会っても目を逸らされるようになったら。
一緒に帰ろうと声を掛けても断られるようになったら。
そう考えて何度も我慢してきた。
でも美幸から言ってくれた。
だったら今度は俺が応える番だ。
「俺も、美幸のこと——」
「っはは! 無理無理! もう無理!」
男の笑い声が割り込んできた。
俺は口を開いたまま笑い声の方向に顔を向ける。
屋上の扉の裏側から見慣れた金髪が覗いた。
「た、拓海?」
「お前、顔! すっげえ真剣じゃん!」
南川拓海が腹を押さえながら歩いてくる。
小学校からの親友。
女子からよく告白されるし、本人も自分がモテることを分かっている。
前に「また告られた」と困ったように言ってきたときも結局ずっと嬉しそうだった。
そのときと同じくらい、いや、それ以上に機嫌のいい顔で、拓海は俺たちのところへやってきた。
「ちょっと拓海、早いって!」
美幸が不満そうに声を上げる。
けれど全く怒っているようには聞こえなかった。
「だってお前、あれは無理だろ。返事遅すぎるって」
「そこね! 私もやばかった!」
ぱん、と乾いた音がした。
美幸と拓海がハイタッチしていた。
「それに美幸、演技うますぎ」
「でしょ? 途中で笑いそうになったけど」
「顔伏せて耐えてたもんな」
「拓海があそこで出てくるから、もう台無しじゃん」
二人が笑い合う。
なんの話か分からない。
拓海が楽しそうにしていて美幸も笑っている。
俺だけが分かっていない。
「……なにしてんの……二人とも」
拓海が俺を見る。
笑いすぎたのか、目尻を指で拭っていた。
「いや、だからさ。嘘告だよ、嘘告」
「……え?」
「美幸がお前を好きってやつ、あれウソ」
「そうそう。もしかして本気で信じちゃってた?」
美幸が興奮したような高い声で拓海に同調する。
「……ウソ?」
「うん。謙也があんまり素直に信じるから」
「『俺でいいの?』だもんな!」
「ちょっと、真似しないで! また笑っちゃう!」
美幸が笑いながら拓海の腕を叩く。
拓海はますます楽しそうに笑った。
俺は二人を交互に見た。
待ってくれ。
まだ追いつかない。
美幸に屋上に呼び出されて。
好きだと言われて。
幼馴染のままじゃ嫌だって。
「……なんで?」
「なんでって?」
美幸が首をかしげる。
「なんで、そんなことするの?」
「ちょっと反応見てみたかっただけだって」
拓海が答えた。
「お前、美幸のこと好きっぽかったし」
喉が詰まった。
「……知ってたのか?」
「見てりゃ分かるだろ。なあ?」
「うん。謙也、分かりやすいもん」
美幸があっさりとうなずいた。
俺はなにも言えなくなった。
隠していたつもりだった。
美幸に迷惑をかけないように。
変に意識されて話せなくならないように。
だけど全部、知られていたのか。
「でもさ、謙也」
拓海が美幸の肩に腕を回した。
やけに手慣れた感じだった。
「お前に言っとくこと、もう一個あるんだわ」
美幸はその腕を払わなかった。
それどころか自分から拓海へ体を寄せる。
体と体が密着する。
美幸の手が拓海の制服を軽くつかんだ。
「俺ら、付き合ってるんだわ」
「…………」
「な、美幸」
「うん」
美幸が拓海を見上げた。
俺には向けられたことのない顔だった。
完全にメスの顔をしている。
「だから、さっきの告白はなしね。私、拓海の彼女だし」
頭の中で、ようやく全部がつながった。
美幸が顔を伏せた理由。
返事を急かしてきた理由。
拓海が扉の陰にいた理由。
照れていたんじゃない。
俺が喜んでいるのを見て笑うのを我慢していた。
嘘告だと打ち明けて二人で笑うために。
「あ……」
膝が折れた。
踏ん張ろうとしたのに足が言うことを聞かなかった。
気がついたら床に崩れ落ちていた。
「謙也、さすがに大げさだって」
拓海の容赦ない言葉。
違う。
そう言いたかった。
でも、そんな言葉は出ない。
「いつから……」
「あ?」
「いつから付き合ってたんだよ」
限界の中で振り絞る。
「先月くらい?」
拓海が美幸を見る。
「そう。もうすぐ一ヶ月」
「だってさ」
「……普通に、言ってくれればよかっただろ」
「え?」
「……こんなことする必要なんか——」
最後まで言えなかった。
声が震える。
顔を上げたくない。
今どんな顔をしているか、絶対に見られたくなかった。
「いや、そんな深刻になるなよ」
拓海が近づいてくる。
「ちょっとふざけただけじゃん。な? 悪ふざけってやつだよ」
「……俺、本当に」
好きだったんだ。
美幸のことも。
親友だと思っていた拓海のことも。
でも、その続きは喉から出てこなかった。
「拓海、もう行こ」
美幸が言った。
「ああ。そうだな」
拓海が離れていく。
俺は思わず顔を上げる。
美幸と目が合った。
一瞬だけ、なにか言ってくれるんじゃないかと思った。
さっきはごめん、と。
そこまで傷つくとは思わなかった、と。
けれど美幸からの謝罪は一切なかった。
「そういうことだから〜」
拓海が軽く手を振る。
「美幸のことは諦めてくれよ、謙也」
「本当ね! 忘れないでね!」
「な! 大事なことだからな〜」
美幸は拓海の腕に自分の腕を絡めた。
ぴったりと体を寄せたまま二人は屋上の扉へ向かっていく。
「帰り、どっか寄る?」
「甘いもの食べたい」
「また?」
「いいじゃん。付き合ってよ」
「しゃあねぇな〜」
扉が開く。
笑い声が階段の方に移っていく。
ガシャンッ。
重たい音を立てて扉が閉まった。
「…………」
俺だけが取り残された。
床についた手を見下ろす。
指先が細かく震えていた。
止めようとして握り込んでも、うまく力が入らない。
さっきまで立っていたのに。
美幸と付き合えるかもしれないと思っていたのに。
「……バカみたいだな」
口にしてみたら余計につらくなった。
屋上へ向かう前トイレの鏡で髪を直した。
美幸から話があると言われて、もしかしたらって。
期待しすぎるなよと自分に言いながら、それでも寝癖が残っていないか確かめた。
あんなことしなければよかった。
いや屋上に来なければよかった。
『謙也だから言ってるんだよ?』
耳に残っている。
嬉しかった。
本当に嬉しかったんだ。
美幸が俺を選んでくれたと思った。
俺と同じ気持ちでいてくれたんだって。
「……っ」
床に、ぽつっと水滴が落ちた。
慌てて袖を目元へ押しつける。
もう誰もいない。
分かっているのに顔を隠さずにはいられなかった。
もし拓海が戻ってきたら、忘れ物をしたとか言って扉を開けて、こんな俺を見たら。
また笑われる。
そう思ったら息をする音さえ抑えたくなった。
帰ろう。
ここにいたくない。
遠くから運動部の掛け声が聞こえていた。
風が冷たくなっていく。
どのくらい屋上の空気を浴びたかも分からない。
ガチャッ。
扉が鳴った。
肩が跳ねる。
拓海か美幸が戻ってきた。
そう思って俺は咄嗟に顔を隠した。
「け、謙也さん! 大丈夫ですか?」
聞こえたのは拓海の声じゃなかった。
慌ただしい足音が近づいてくる。
「謙也さん!」
すぐ目の前で誰かがしゃがみ込んだ。
白く染められた長い髪が伏せていた俺の視界に入る。
ゆっくり顔を上げると水色の瞳と目が合った。
「……どうしたんですか」
声が、さっきより小さくなる。
大丈夫。
そう言おうとしたのに唇が震えて、なにも出てこない。
目の前にいるのは美幸と同じ色の瞳をした女の子。
「美優……ちゃん……?」
美幸の妹の美優ちゃんだった。




