第21話:木漏れ日亭の夕べと、深まる居場所
ギルドの受付カウンターでは、いつもの眼鏡の職員が、籠の中身を一つずつ丁寧に確認していた。
ヒールグラスの束の隣には、先日の依頼で採ってきた月光草の残りと、香り高いアロマソイルの葉束も並べてある。
「今日はヒールグラスの他に、月光草とアロマソイルも。まとめてお願いします」
「相変わらず、どれも状態が抜群ですね。特にアロマソイルは、見つけるのが難しい上に扱いも繊細なんですが……」
職員は感心したように目を細め、丁寧に品を検めていく。
「傷みも少ないですし、乾燥具合もちょうどいい」
「ありがとうございます。琴音が土をきちんと払ってくれたので」
「頼もしい相棒ですね。……そういえば、実は今日、お二人を名指しでという依頼が一件届いているんです」
「私たちを名指しで、ですか?」
「ええ。街の薬師さんから、『いつも状態のいい薬草を届けてくれる、あの親子に頼みたい』と。指名依頼は、信頼の証でもありますから」
思いがけない話に、葵と琴音は顔を見合わせて微笑んだ。
「詳しい内容は、また改めてご相談させてください」
「はい、ぜひ」
職員が微笑みながら代金を数える間、琴音はカウンターの隅に置かれた依頼票の束を、以前よりも誇らしい気持ちで眺めていた。
「今日はこれで全部ですね。お疲れ様でした」
代金を受け取ると、革袋の中でじゃらりと硬貨が音を立てた。
「最近、少しずつだけど、貯金も増えてきたね」
「ええ。この調子で頑張りましょう」
顔を見合わせて微笑み合いながら、二人はギルドを後にした。
夕暮れの通りを歩いていると、遠くにオレンジ色の灯りが見えてきた。
「あ、見えてきた」
琴音が指差した先には、見慣れた木漏れ日亭の看板がやわらかく揺れている。
「今日は納品、いつもよりちょっと早く終わったね」
「ええ。職員さんも、状態がいいって褒めてくれたし」
窓から漏れる灯りと、微かに漂う夕食の匂いに、二人は自然と歩調を緩めた。
「なんだか、帰ってきたって感じがするわね」
「うん。前は知らない街だったのに、今はもう、ここが私たちの家って感じ」
石畳を踏む足音が、いつもより軽やかに響く。
木漏れ日亭の扉を開けると、いつもの温かい空気と、賑やかな話し声が二人を迎えた。
◇
「おかえり。今日はいい報告だったみたいだね、顔でわかるよ」
厨房から顔を出したマルタが、からかうように笑いかけてくる。
「マルタさんにはお見通しですね」
「そりゃあ、長い付き合いだもの」
朗らかに笑うマルタの様子に、葵は少し考えてから口を開いた。
「以前使った乾燥ハーブをまた使わせてもらえたらと思って。よかったら、今夜の付け合わせに一品お出ししてもいいですか?」
「おや、また葵ちゃんの手料理かい。前にご馳走してくれた煮込みやハンバーグは今でも常連さんたちの間で話題になるくらいだよ」
「そんなに覚えていてくださったんですね……」
嬉しそうに頬を緩める葵に、マルタは楽しそうに目を細めた。
「もちろんさ。楽しみにしてるよ。何か手伝おうか?」
「大丈夫です、そんなに手間はかからないので」
「そうかい。なら、味見だけはさせておくれよ」
快活に笑うマルタに礼を言い、葵は琴音と一緒に厨房へと向かった。
◇
調理台に並べたのは、市場で買った大根と人参、それに部屋のストレージから取り出した和風だしの小瓶だった。
「今日は、煮物にしましょうか」
「煮物? どんな料理なの?」
「野菜を、出汁と調味料でじっくり煮込むの。冷えた体にも、疲れた時にも、じんわり染みる味なのよ」
「手伝ってもいい?」
「もちろん。じゃあ、琴音は野菜を切ってくれる?」
葵が包丁の持ち方を軽く確認しながら手渡すと、琴音は大根を慎重に一口大に切り分けていった。
「輪切りにしてから、四等分くらいでいいわ。あ、角を少し落としておくとね、煮崩れしにくくなるの」
「へえ、そんな工夫があるんだ」
教わりながら包丁を動かす琴音の隣で、葵は人参の皮を剥き、同じように一口大に切り揃えていく。
「お母さん、人参の方も切ろうか?」
「じゃあ、お願いしようかな。厚さは大根と同じくらいで」
琴音は真剣な表情で人参を手に取り、少しぎこちない手つきながらも、丁寧に輪切りにしていった。
「うん、上手にできてる」
「本当? よかった……」
安堵したように微笑む琴音の額には、ほんの少し汗が浮かんでいた。
切り終えた野菜をボウルの水にくぐらせ、表面のぬめりや土埃を優しく洗い流していく。
「野菜も、こうやって一度洗っておくと、雑味が出にくくなるの」
「へえ、切ったらそのまま煮るのかと思ってた」
「ひと手間かけるだけで、味が全然違ってくるのよ」
水を切った野菜を鍋に入れ、水と和風だしを加えて火にかけた。
「だし汁がひと煮立ちしたら、いったん弱火にして、根菜にじっくり火を通していくの」
落し蓋代わりに小皿を鍋に浮かべ、十分ほど静かに煮る。
「落し蓋をすると、少ない煮汁でも全体にちゃんと味が回るのよ」
「なるほど……。お母さん、本当に色々知ってるんだね」
「昔、よく作ってたから」
懐かしそうに目を細める葵の様子に、琴音も嬉しそうに頷いた。
鍋からゆらゆらと立ち上る湯気を眺めながら、琴音がぽつりと呟く。
「こうやって、お母さんの料理を近くで見てると、なんだか落ち着くな」
「そう?」
「うん。前の世界にいた頃も、こんな風に台所に立つお母さんを見てたのかなって、時々思うの」
「よく手伝ってくれてたわよ、あなたが小さい頃は」
十分経ったところで、酒とみりん、醤油を加える。
「ここからは、味を染み込ませる時間ね」
琴音が鍋を覗き込みながら、興味深そうに匂いを嗅いだ。
「わあ、いい匂い……。なんだか、ほっとする匂い」
『あたちも、かぐ……!』
フィニが鍋の縁にちょこんと止まり、湯気を鼻先で追いかけるように匂いを嗅いでいる。
「フィニも気になるみたい」
「もう少し煮込んだら、味見させてあげましょうね」
さらに十分ほど煮込むと、大根の角が丸くなり、味の染みた照りが鍋の中で輝き始めた。
「大根が透き通ってきたら、そろそろ食べ頃よ」
竹串を刺してすっと通ることを確かめ、葵は火を止めた。
「よし、こんなものね」
大皿に盛り付けると、和風だしの優しい香りがふわりと立ちのぼる。
「琴音、味見してみて」
差し出された一切れを頬張った琴音が、目を細めた。
「ほっとする味……。お腹の底から温まる感じがする」
小さく切り分けた欠片をフィニにも差し出すと、両手で抱えるようにして頬張った。
『あったかい……おいしい……!』
「フィニも気に入ったみたい」
その言葉に、葵も満足げに頷いた。
◇
出来上がった煮物を食堂へ運ぶと、マルタがさっそく箸を伸ばした。
「んん……! これはまた、優しい味だねぇ。出汁の効いた煮物、ほっとする味だなあ」
しみじみと呟くマルタの様子に、近くのテーブルにいた常連の冒険者たちも興味を示した。
「マルタさん、それは何の料理だい? うまそうな匂いがするな」
「葵ちゃんの特製さ。ちょっとお裾分けしてもらいな」
小皿に取り分けられた煮物を口にした冒険者が、驚いたように目を見開く。
「うまい……! こんな優しい味の煮物、初めて食ったな。何を使ってるんだ?」
「秘密の隠し味です。教えてしまうと、面白みがなくなってしまうので」
葵が悪戯っぽく微笑むと、冒険者は苦笑いを浮かべながらも納得したように頷いた。
「本当だ。旅先じゃ、こういう味にはなかなかお目にかかれないよ」
隣のテーブルの旅人までもが感嘆の声を上げ、瞬く間に大皿は空になっていった。
空になった皿を見つめながら、マルタが顎に手を当てて唸る。
「葵ちゃん、これ、うちの定番メニューに加えられないかい? 常連さんたちにも、きっとまた食べたいって言われると思うんだよ」
「定番メニューに、ですか……」
「もちろん、無理にとは言わないよ。ただ、こんなに喜んでもらえる料理、簡単には手放したくなくてね」
思いがけない申し出に、葵は少し戸惑いながらも、隣の琴音と顔を見合わせた。
「琴音は、どう思う?」
「私は、賛成。みんなが美味しいって言ってくれるの、見てて嬉しかったから」
「そうね……。それじゃあ、材料の都合がつく時だけでもよければ、時々お出しさせてもらえますか?」
「もちろんさ! ありがとうね、葵ちゃん」
嬉しそうに笑うマルタの様子に、葵の胸にもじんわりとした温かさが広がっていく。
「おかわり、あるかい?」
「すみません、今日は少しだけしか作れなくて……。また今度、お出ししますね」
「そりゃあ楽しみだ。次はぜひ、たっぷり頼むよ」
上機嫌な旅人の言葉に、食堂のあちこちから笑い声が上がる。
騒ぎを聞きつけたのか、常連のご婦人が席を立ってこちらへやってきた。
「あら、その煮物、まだ残ってるかしら。うちの孫にも食べさせてやりたくて」
「すみません、今日の分はもう……。よかったら、今度作った時に、お孫さんの分もお取り置きしておきましょうか?」
「本当かい? それは嬉しいねぇ。楽しみに待ってるよ」
「はい。お孫さん、喜んでくれるといいのですが」
「あんた、本当に料理上手なんだねぇ。うちの孫にも、あんたみたいなお嫁さんが来てくれたらいいのに」
からかうように笑うご婦人の言葉に、葵は思わず苦笑いを浮かべた。
隣で聞いていた琴音が、空いた小皿を集めながらくすくすと笑う。
「モテモテだね」
「琴音まで、からかわないの」
そう言いながらも、葵の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
小皿を厨房へ運ぶ琴音の足取りは軽く、行き交う常連客たちとも慣れた様子で挨拶を交わしている。
「琴音ちゃん、今日も手伝いかい? 偉いねえ」
「えへへ、そうなの」
誇らしげに答える琴音の姿に、常連客たちも目を細めて笑いかけた。
「こんなに喜んでもらえるなんて……」
葵は少し照れくさそうに頬を緩めた。
「隠し味は、内緒にしておいた方がよさそうね」
こっそり囁く葵に、琴音もくすりと笑って頷く。
「うん。でも、みんなが美味しいって言ってくれるの、すごく嬉しいね」
賑やかな食堂を見渡しながら、葵はふと思う。
見知らぬ異世界に降り立った日から、いくつもの出会いと積み重ねを経て、今では木漏れ日亭が本当の意味で自分たちの居場所になっている。
「ここが、私たちの帰る場所なのね」
小さく呟いた言葉に、隣で琴音がしっかりと頷いた。
「うん。最初は不安ばっかりだったのに、今はここに帰ってくると、すごく安心する」
「私も同じよ。マルタさんや、お客さんたちが、ちゃんと私たちを覚えていてくれる。それだけで、こんなに温かい気持ちになれるんだから」
食堂の隅で丸くなっていたフィニが、満足げにあくびをする。
『きょうも、しあわせ……』
「フィニも、幸せなんだって」
「そうね。今日みたいな日が、これからも続くといいわね」
温かな灯りに包まれた食堂の中、二人は満ち足りた気持ちで夕食の続きを楽しんだ。
◇
食後、自室に戻った葵と琴音は、窓辺に並んで腰掛けた。
夜風がカーテンをそっと揺らし、遠くから食堂の話し声がかすかに聞こえてくる。
「今日は、本当にいい一日だったね」
「ええ。ギルドでも褒めてもらえたし、料理も喜んでもらえたし」
琴音が膝を抱えながら、しみじみと呟いた。
「木漏れ日亭のみんな、本当にあったかいよね。私たちのこと、ちゃんと家族みたいに思ってくれてる気がする」
「そうね。……こうして誰かに温かいご飯を食べてもらって、喜んでもらえるの、やっぱり嬉しいものね」
「いつか二人でお店を持てたらって話、今日みたいな日が増えたら、もっと素敵だろうね」
「ええ、本当に」
「その時は、木漏れ日亭みたいに、誰でもふらっと立ち寄れる、あったかいお店にしたいな」
「そうね。今日みたいに、誰かが『美味しい』って笑ってくれる場所……。想像するだけで、なんだか胸があったかくなるわね」
「うん。フィニにも看板娘、頑張ってもらわないとね」
フードの中で丸くなっていたフィニが、話を聞きつけたようにぴくりと耳を動かす。
『かんばんむすめ……? あたちも、はたらく……!』
「フィニもやる気満々みたい」
くすくすと笑い合う二人の声が、静かな部屋にやわらかく響く。
窓の外に広がる夜空には、見慣れない異世界の星々が静かに瞬いていた。
けれどその光景も、今の二人にはもう、どこか懐かしい日常の一部になっている。
「おやすみ、お母さん」
「おやすみなさい、琴音」
灯りを落とした部屋の中、二人は穏やかな眠りについた。
グランベルの夜は、今日も静かに更けていく。
お読みいただきありがとうございました!
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