第19話:親子のコンビネーションと、風のソヨカゼ
いつも通りの朝、葵と琴音はヒールグラスの群生地へと向かった。
「今日もよろしくね、琴音」
「うん!」
木漏れ日亭を出て歩く道すがら、他愛もない会話を交わしながら、二人は採集地への道を進んでいった。
朝露に濡れた草の匂いと、遠くから聞こえる鳥の声が、いつも通りの穏やかな一日の始まりを感じさせる。
夜ごとの練習のことは、まだ葵には黙ったままだった。
◇
採集地に着くと、二人は手分けしてヒールグラスを摘み始めた。
根元を傷めないよう、周りの土をそっと緩めてから、一本ずつ引き抜いていく。
しばらく作業を続けるうち、葵はふと手元の株に目を落として、小さくため息をついた。
「今日のは、根元に土がしっかりついてるものが多いわね……」
見れば、どの株も、細かい根の隙間に土が入り込んでいる。
籠いっぱいになったヒールグラスを前に、葵は丁寧に一株ずつ土を払い始めた。
「私も手伝うよ」
琴音も隣にしゃがみ込み、慎重な手つきで土を払い始める。
けれど、根元の細かい隙間に入り込んだ土は、指先だけではなかなか取りきれなかった。
「うーん、ここの土、しつこいなあ……」
指先で何度もこすってみても、隙間の土はなかなか落ちてくれない。
『あたちも、ふーふーする……!』
見かねたフィニが、頬をぱんぱんに膨らませて息を吹きかけてみせる。
けれど小さな体から出る風は弱々しく、土を払うどころか、葉についた朝露をわずかに揺らす程度だった。
「フィニ、ありがとう。でも、あんまり変わらないみたい」
『うぅ……力不足……』
しょんぼりと肩を落とすフィニの様子に、琴音と葵は思わず顔を見合わせて笑った。
◇
笑いながらも土と格闘するうち、琴音の頭の中に、ふとある考えがよぎった。
(そういえば……)
夜な夜な重ねてきた練習で、ようやく手のひらに生まれるようになった、あの小さな風。
まだ人前で試したことはなかったけれど、これなら――
「お母さん、ちょっと待ってて。試したいことがあるの」
「試したいこと?」
不思議そうに見守る葵の前で、琴音は摘み取ったヒールグラスを一本手に取り、そっと目を閉じた。
深く息を吸い、これまで幾晩も重ねてきた感覚を呼び起こす。
「――ソヨカゼ」
小さく紡がれたその言葉と共に、琴音の手のひらから、柔らかな風がふわりと生まれた。
ヒールグラスの根元を優しく撫でるように吹き抜けたそよ風は、こびりついていた土だけを、ぱらぱらと払い落としていく。
葉や茎には、傷ひとつつかなかった。
「わあ……!」
思わず声を上げたのは、琴音自身だった。
これまでの練習では、風は起こせても、こんなふうに何かの役に立てたことは一度もなかったのだ。
「琴音……! 今の……!」
葵は目を丸くして、土の落ちたヒールグラスと琴音の顔を、交互に見比べた。
「えへへ……。実は最近、こっそり練習してたの」
「すごいわ、琴音! こんなに綺麗に土だけ落とせるなんて……! 本当に大助かりよ!」
心からの賞賛に、琴音の頬がぱっと赤く染まる。
「ふふん、これでお母さんをサポートできたでしょ!」
得意げに胸を張る琴音の姿に、葵は思わず笑みをこぼした。
◇
「じゃあ、早速お願いしてもいい?」
葵が土のついたヒールグラスの束を差し出すと、琴音は張り切って手のひらをかざした。
「うん、任せて! ――ソヨカゼ」
ふわりと風が舞い、土だけが綺麗に払い落とされていく。
「すごい、本当にあっという間ね」
「もう一束、いいよ」
葵が次の束を渡すたび、琴音は同じ動作を繰り返した。
三度目になる頃には、風の強さの加減もすっかり掴めてきたようで、以前よりも滑らかに、無駄なく土を落とせるようになっていた。
「琴音、こっちもお願い」
「はーい!」
差し出された束に手をかざすたび、風の加減も少しずつ思い通りになっていくのが分かる。
『すごいすごい……! 琴音、どんどん上手になってる……!』
フィニが興奮した様子で二人の周りを飛び回る。
「フィニも、褒めてくれてる」
「みんなで頑張った成果ね」
葵が株を選び、琴音がソヨカゼで土を払う。
その作業を何度か繰り返すうち、二人の間には自然と息の合ったリズムが生まれていった。
籠いっぱいのヒールグラスは、いつもよりずっと早く、すっかり綺麗な状態に整った。
「こんなに早く終わるなんて、思わなかったわ」
満足げに籠を見つめる葵の隣で、琴音も誇らしげに頷く。
「私も、やっと少しだけ、お母さんの役に立てた気がする」
「少しだけ、じゃないわ。もう十分すぎるくらい、頼りにしてるもの」
真っ直ぐな言葉に、琴音は照れくさそうにはにかんだ。
夕暮れ前の柔らかな光の中、綺麗になったヒールグラスの籠を挟んで、二人は顔を見合わせて笑い合った。
出会った頃には想像もできなかった、親子二人だけの、確かな連携の形がそこにあった。
「これからも、こうやって一緒に頑張ろうね」
「ええ、もちろんよ」
風にそよぐ草原を眺めながら、二人は満ち足りた気持ちで帰り支度を始めた。
◇
ギルドに納品に向かうと、受付の眼鏡の職員が籠を覗き込んで、感心したように目を見張った。
「今日のヒールグラスは、いつにも増して状態がいいですね。土も綺麗に落ちていて、これなら加工の手間もかかりません」
「実は、琴音が新しい方法を見つけてくれたんです」
葵が誇らしげに答えると、隣で琴音が照れくさそうに頬をかいた。
「へえ、頼もしいですね。これからも期待しています」
職員の言葉に、琴音は小さく胸を張った。
ギルドを出た帰り道、夕暮れの空を見上げながら、琴音はぽつりと呟いた。
「今日は、いい一日だったね」
「ええ、本当に」
隣を歩く葵の笑顔に、琴音もつられて笑みをこぼした。
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