第18話:草むらの影と【住】の防御結界
その日はよく晴れて、採集日和だった。
ヒールグラスの群生地に着いた葵と琴音は、いつものように手分けして摘み取りを始めた。
『今日は、あぶないにおい、しないよ』
フィニが鼻先をひくつかせながら、のんびりとそう告げる。
「フィニが、今日は危険な匂いはしないって」
「それなら安心して集中できるわね」
その言葉通り、作業はゆったりとした空気の中で進んでいった。
風にそよぐ草の匂いと、時折聞こえる小鳥のさえずりだけが、あたりを満たしている。
ヒールグラス特有の、ほんのり青臭い匂いを頼りに、群生地を一株ずつ丁寧に確認していく。
「このあたり、状態のいいものが多いわね」
「本当だ、瑞々しくて摘みやすい」
慣れた手つきで作業を進める二人の様子を、フィニが満足げに見守っていた。
すっかり見慣れたはずの採集風景も、今日はどこか穏やかで、いつもよりのんびりとした空気が流れていた。
◇
しばらく夢中で手を動かしていた時だった。
がさり、と近くの茂みが不自然に揺れた。
「……今の、何?」
琴音が身を強張らせて振り返る。
『あ、あれは……』
フィニが何かに気づいた次の瞬間、茂みの中から、ぷるんとした半透明の丸い物体が勢いよく飛び出してきた。
「きゃっ……!」
拳ふたつ分ほどの大きさの、青みがかったゼリー状の魔物――スライムだった。
弾むような動きでこちらへ向かってくるその姿に、琴音が思わず葵の腕にしがみつく。
考えるより先に、葵の口からとっさに言葉が飛び出していた。
「ここを、私たちの家とする……!」
その瞬間、二人を包み込むように、うっすらと輝く透明な膜がふわりと展開された。
勢いよく突進してきたスライムは、その膜にぶつかった途端、まるで弾かれたゴムボールのように、ぽよんと後方へ跳ね返っていく。
「……え?」
呆気に取られる琴音の目の前で、スライムは何度か体勢を立て直しては突撃を繰り返したが、そのたびに同じように弾き返されるだけだった。
「な、なにこれ……」
呆然と呟く琴音の手を、葵はしっかりと握りしめた。
「大丈夫よ。何が来ても、私たちには届かないみたい」
膜に映る光の揺らめきを見つめながら、葵自身もまだ状況を飲み込みきれずにいた。
とっさに出た行動だったが、確かな安堵感が胸の内から広がっていく。
◇
「大丈夫、琴音?」
「う、うん……。今の、何が起きたの?」
「たぶん、【住】の加護だと思うわ。とっさに『家』のことを考えたら、こうなったみたい」
膜越しに見るスライムの姿は、なんだか間の抜けた様子で、何度目かの体当たりのあとに、ぽてんとその場に座り込んでしまった。
『あのスライム、あんまり強くないよ。危険は少ないから、警戒しなかったの』
フィニが申し訳なさそうに耳を垂れさせる。
「フィニが、あんまり強い魔物じゃないから警戒してなかったんだって」
「そう。それなら、大きな心配はいらなさそうね」
膜の向こうで、なおも体当たりを繰り返すスライムの姿は、次第に何かの意地のようにも、ただの遊びのようにも見えてきた。
「なんだか、可愛くなってきちゃった……」
くすりと笑う琴音の声に、葵も思わず頬を緩める。
「本当ね。全然怖くないわ」
しばらく見守っていると、スライムはついに諦めたのか、のっそりとした動きで茂みの奥へと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、葵はふっと息をついた。
「神様の加護、こんな風に守ってくれるのね……」
改めて実感する安心感に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「戦う力がなくても、ちゃんと守られてるんだね」
琴音の言葉に、葵は静かに頷いた。
「ええ。だから、必要以上に怖がらなくても大丈夫よ」
透明な膜は、危険が去ったのを察したように、ふわりと淡く消えていった。
『あたちも、びっくりした……』
フィニが胸を撫で下ろすように、ほうっと息を吐く。
「フィニもびっくりしたって」
「そうよね、急なことだったもの」
三人は顔を見合わせて、少しだけ緊張の解けた笑みをこぼした。
「さ、続きをやりましょうか」
「うん!」
何事もなかったかのように、二人は再び採集作業へと戻っていった。
その日以降、たとえ小さな物音に驚くことがあっても、葵の心にはどこか揺るぎない安心感が根付いていた。
どんな悪意にも、危険にも、決して脅かされることのない絶対の守り。
それは、この世界で生きていく二人にとって、何よりも心強い支えだった。
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