伯爵様の前で猫になってみた
腕の良い彫金師のおじいさんの家には、お客様や業者の人がやって来る。
今日は、立派な馬車に乗った貴族のお客様が来ている。おじいさんはこの貴族のおじさんから、キセルを注文されていた。
驚くほど細かい模様で埋められた銀のキセルを、おじいさんは拡大鏡と共におじさんへ手渡した。
完成品を見てもらい、最終調整をするそうだ。
拡大鏡を手に、じっとキセルの柄を見ているおじさんに、私はお茶を運んだ。
おじさんは拡大鏡を置いて、私に微笑み掛けた。
優しそうな茶色の目が細くなる。
そして、「ありがとう」と言った。
このおじさんは優しいので好き。
二年前に、私と同じ位の年の娘を攫われたそうだ。ずっと探し回り、私の噂を聞きつけて、ある日おじいさんの家を訪ねてきた。
そして私を見るなり、「ああ、違う」と言って項垂れた。四年前に奥方を病で亡くし、娘まで失って、彼は独りぼっちなのだ。
全身から悲しみがにじみ出ていたから、手を引いて椅子に座らせ、背中を撫でた。
私が不安になった時に、おじいさんがやってくれることだ。
おじさんは顔をあげて私を見た。しばらくじっと見てから、「ありがとう」と言って頭を撫でてくれた。
それからおじいさんに一本目のキセルを注文した。
時々進み具合を見に来ては、おじいさんと話している。私にはいつも甘いお菓子を持ってきてくれる。だから私は、もっとたくさん来てね、と毎回言う。
今のは三本目のキセルで、ブドウと蔓の柄を彫り巡らせた、華やかな柄の品物。
おじさんの隣に座って、ミルク入りの紅茶を飲んでいると、おじいさんが私の横に立った。
「猫の姿になってごらん。ミーア」
いつもは、絶対に駄目と言っているのに、どうしたのだろう。困っておじいさんとおじさんの顔を交互に見た。
おじさんは驚いていない。
「猫の姿になってもいいの?」
「お願いするよ。伯爵様も見たいそうだ」
私が猫になって着ていた服の山の中から出ると、今度はおじさんも驚いたようだ。
しばらく見つめた後で、「おいで」と呼んだ。
私はおじさんの側に行って膝に乗り、腕に頭をこすり付けた。
ブルーグレーの毛がウールのジャケットの腕にくっついた。高そうなジャケットなので、手先でそれを払い、「ごめんなさい」と言った。
猫の姿なので、勿論人間には、ニャー、にしか聞こえない。
おじさんは肩のあたりをちょっとだけ触った。
「猫だ」
次は頭をすうっと撫でた。
「猫だよな」
そして遠慮なく抱っこして撫で始めた。
「綺麗な猫だなあ。こんな色の猫は見たことが無いよ」
おじいさんが私を抱き取り、服と一緒にソファの陰に連れて行った。
「人間に戻ってからおいで」
私は、人間になって服を着て戻った。
人間の女の子は裸で人の前には出ないのだ。私はここで暮らし始めて二年目になっていて、人間界の常識も身についていた。
「ミーア、自分が生まれてから今までのことを、伯爵様に話してくれないか」
話していいのか迷ったけれど、もう猫の姿を見ているし、おじいさんがそう言うのだから良いのだろう。
女王の娘として産まれたけど、選別式で選ばれなかったので、捨てられ猫姫になったこと。その後おじいさんに拾われて、一緒に暮らしている事。話は一分で終わった。
「どうして君は選ばれなかったの?」
「毛の色にブルーが入っていなかったからよ。ブルーが濃いほど魔力が強いのに、私はだだのグレーだったの」
「今はブルーグレーだよ」
「うん、今はね。でも選別式のときはそうじゃなかったの」
「この子は淡いグレーの毛をした、綺麗な子猫だったのですよ。可愛かったなあ。勿論今も可愛いけどね」
「君はどこに捨てられたの?」
「王宮の門の前よ」
「それから?」
「トンボと遊んで、お腹が空いていたら、おじいさんが食べる物をくれたの。美味しかったわ」
「ねえ、母親が恋しくない?」
「うーん。もう親離れしているから、特には」
「猫でいるのと人間でいるのと、どっちが好き?」
「人間よ。だってたくさん食べられるし、本も読めるし、何でも指で掴めるでしょ。それに、大人の人達は大抵人間の姿だったわ」
おじさん、いえ、さっき正式に挨拶されたから改めます。ノーザン伯爵は、おじいさんに毎日の様子を尋ねた。
毎日人間で過ごしていて、ごくたまに猫になると説明している。
私は説明を追加した。
「だってね、猫になるともう一回服を着ないといけないでしょ。猫には何時でもなれるけど、人間に戻る時が面倒なの」
「そうだよね」
おじ……ノーザン伯爵がしみじみと言う。きっと同じように思っているのだ。気が合うわ。
それから私の手を取って、じっと目の中を覗き込んだ。
「僕の家で一緒に暮らさないか? 今すぐにではないけど、おじいさんが病気になったりした時にね。一人では心細いでしょ」
うんっと。これは本で読んだプロポーズというものだろう。すごい、まだ子供なのに、私ってモテるのね。
ノーザン伯爵はもう少しで三十歳になるという、薄茶色の髪の毛と茶色の瞳の優しそうな人だ。少し年が上だけど、おじさんのほんわかとした雰囲気は大好きだ。
「プロポーズですか?」
照れながら聞いたら、二人とも顔を真っ赤にして口を手で覆った。
ごほごほしながら、ノーザン伯爵が切れ切れに言った。
「違うよ。こういうのは、養子縁組と言うんだ」
「どう違うの?」
「お嫁さんではなくて、娘になるんだよ。そして私がお父さんになるんだ」
すごい、お父さんができるんだ。お父さんって、王宮にもいなかったと思う。お母さんのことしか聞いたことがなかったもの。
それで、聞いてみた。
「王宮にはお母さんしかいなかったの。お母さんは私達を産んだの。お父さんって、何する人?」
おじいさんと伯爵は口をパクパクさせながら、お互いに譲り合う仕草をしている。説明が難しい事をする人のようだった。
「大変そうだし、もういいです」
そう私が言うと、ゴホン、と咳をしてから、伯爵が教えてくれた。
「おじいさんのように、君に寝床と食べ物と服を与えて、一緒に遊んだり本を読んだりするんだよ」
ふーん、わかった。
「私、伯爵様の養女になります」
だって、おじいさんはもうすぐ死ぬのだ。猫にはわかる。きっとおじいさんもわかっている。そして、伯爵も。
おじいさんの手を見たら、彫金の道具で引っ掻き傷ができていた。私はそこに手を翳して、治ってと頼んだ。
傷がすうっと消えていった。こういうふうに治る病気だったら、私にも治せたのに。
おじいさんの病気は治せない。
治った手をスリスリとさすっていると、おじいさんが、「ありがとう」と言って頭を撫でてくれた。
その半年後、私は馬車に乗って、伯爵と一緒に新しい家の門をくぐった。
おじいさんが亡くなった時、伯爵は一緒にいてくれた。
お墓に花をたくさん供えた後、ずっと泣いていたせいで鼻が真っ赤になった私に、ハンカチを渡してくれた。
抱きしめて背中を撫でもらう内に眠くなり、私は猫になって伯爵の膝で眠ったみたい。
そして、起きると家を出た。
持って来たのは私の宝物二つだけで、伯爵が、それを仕舞っておく小箱をくれた。
大きな銀色の門がゆっくりと開き、そこを通り抜け、更に庭園を抜け、邸の玄関前に馬車が止まる。
伯爵が手を取って、馬車から降りる手伝いをしてくれた。
今日は新しい服を着ている。今までとは違う、豪華な飾りやひらひらがいっぱいの物で動きにくい。
地面にトンと飛び降りると、スカートがフワッとなった。
それが面白くて、スカートを揺らして遊んでみた。
伯爵は私を見てニコニコしている。




