王太子夫妻は仲良し? 後編
その晩、捕り物は始まった。
フェリシエルはメイド服を着て、深夜の台所で大きな食器棚の影に潜む。
もちろん侍女やメイドには秘密だ。
彼女たちは戦えないし、何より王子の秘密を守らなければならない。
そして、囮ハムスターの様子を見ると台所の竈の上でのびのびと寝そべっていた。
ハムスターというか夫には緊張感というものがないようだ。
彼は、少しの繊細さと並外れた図太さを持つ不思議な人。
フェリシエルがハム攫いを待ちわびて、食器棚の影で船をこぎ始める頃、二人組のガラの悪そうな使用人達が台所にやって来た。
かたりという音で目を覚ますと、ぼそぼそと男達の話し声が聞こえる。
「いたぞ。あのちっこいサテンシルバーのハムスターだ。餌を使ってこっちにおびき寄せろ」
と茶髪の男がいえば、
「ネズミのくせにローストビーフが好きなんだとさ」
黒髪の男が面白くなさそうに言う。
「ふざけやがって、贅沢なやつだ」
「さっさと攫うぞ」
「おう! とっとと、あのネズミを男爵様のところに持って行こう。金貨十枚もらえるぜ」
と言って、下働きの男の姿をした二人組がでんちゃんに近づいて行く。
「ふん、こんなネズミ一匹に金貨十枚か」
茶髪の男が不満げに鼻を鳴らす。
一人はローストビーフをハムスターに差し出し、もう一人はそろりそろりと網を構え静かにでんちゃんに迫って行く。
彼らを十分に引き寄せたハムスターは、きらりと青紫の瞳を輝かせる。
その瞬間、シュタッと立ち上がると、ローストビーフだけを華麗に奪いさり、跳躍した。
ハムスターは素早く逃走を開始する。
ああ、ローストビーフはしっかりと奪うのねとフェリシエルは食い意地の張ったハムスターを生温かい目で見守った。
「くそ、逃げたぞ」
「ネズ公め!」
広い台所を電光石火のごとく俊敏に逃げ回るハムスターを、どたばたと男達が追いかけまわす。その実賊はハムスターに逃げ出しにくい台所の隅へ誘導されていた。
その様は滑稽で、こいつら雑魚だとフェリシエルは確信する。そうでなければ、リュカがこの捕り物にフェリシエルが参加することを了承するわけがないかと納得した。
そろそろ出番のようだ。フェリシエルは物陰から飛び出す。
「いたいけなハムスターを苛めるのは、もうおやめさい!」
城の広い台所にフェリシエルの凛とした声が響く。
「ちっ、なんだ、お前」
突然食器棚影から現れたフェリシエルを見て、黒髪の男が舌打ちをする。
この労働者ふうの男達は王太子妃の顔も知らないらしい。
「ちょっと待てよ。随分と上玉じゃねえか。おまえ、どこ担当のメイドだ?」
茶髪の男がにやにやと笑い、フェリシエルに近づいて来る。男が、フェリシエルに手をかけようとした刹那、目の前に白い影が飛来する。
「にゃーご!」
今夜の頼もしい助っ猫ミイシャだ。茶髪の男の顔面をミイシャが襲う。
「うぎゃー!」
仔猫に爪を立てられ男が悲鳴を上げる。
「このアマ!」
黒髪の方が叫びながら、ミイシャではなくフェリシエルに襲いかかってくる。
が、男はフェリシエルに手が届く寸前で音もなく崩れ落ちた。
その後ろに人型に戻った王子が麺棒を握り、厳しい表情で立っている。
包丁ではなく麺棒で良かったとフェリシエルは胸をなでおろす。
相手を電撃で焦がすのは得意だが、流血沙汰は苦手だ。
ちなみにリュカは今料理人の姿をしている。
芸が細かいうえに白いエプロンが無駄に似合っていた。
さすがテラルーシいちの美男子だ。
「フェリシエル、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。とりあえず賊をひっ捕らえましょう!」
フェリシエルの言葉に頷くと、王子は賊に視線を移しすっと目を眇めた。
「貴様らっ! 賢くて気高くて高貴で美麗なハムスターを攫って売り払おうとは不届き千万! 万死に値する!」
王子が口上を述べている間に、ミイシャを振り払い茶髪の男が逃げ出した。
「殿下! ハムスターに対する珍妙な修飾が長すぎです。賊が逃げました!」
緊迫した声で叫びながらもフェリシエルは大きな鉄鍋を振りかぶり、男に投げつけた。
それが見事にヒットし、男がどうっと倒れる。
「私としたことが、つい腹を立ててしまった」
王子の言葉に、やれやれとフェリシエルが額の汗をぬぐう。
「まあ、仕方ないですよ。ハムスターが罵倒されていましたからね。おいでミイシャ、ご苦労様」
フェリシエルは頑張ったミイシャを抱いて褒めてやる。
「で、どうします。この男達、男爵がどうのと口走っていましたが」
「ああ、いまから、兵に引き渡し、口を割らせる。また貴族派の差し金だろう。やつらも懲りないな。こんな雑魚に金をばら撒いて嫌がらせをするなど。
小さく可愛らしい健気なハムスターを攫うなどという姑息な真似は許せない」
ついさっき賊からローストビーフを奪っていた王子がきりりとまなじりを吊り上げる。
「本当ですよね。でんちゃんは小腹が空くと城の残飯処理をしているというのに。つましいハムスターを攫うだなんて許せません!
リュカ様、これからも時間を作り、二人で地道に悪を成敗していきましょう」
フェリシエルが王子を励ますと、彼は困ったように微笑んだ。
「フェリシエル、ほどほどにな。大切な妃だ。ケガをしたら困る。
それにしてもお前は随分と強くなったな。それはファンネル家の血なのか?」
心底不思議そうに言う。
「そう言われましても、どうなのでしょう? 私はファンネル家で最弱ですから。姉のアデルがものすごく強いんです」
子供の頃、シャルルがよく彼女に鍛えられていた。
「ああ、確かに、騎士団から声をかけられていたな。
とにかくフェリシエル、今夜はありがとう。ゆっくり休むといい」
そう言って王子が温かい笑みを浮かべ、フェリシエルの柔らかい金糸の髪をなでた。
「リュカ様もお仕事はほどほどに」
夫婦が仲良くお互いをいたわり合うなか、兵士たちが駆け込んできた。
「もう、やめてくださいよ。御身に何かあったらどうするのです!」
心配顔の護衛騎士エスターに夫婦そろって、苦言を呈された。王子がハムスター姿になる時はどうしても彼に秘密にしなければならない。
それが少し心苦しい。
それから、フェリシエルはリュカに寝室まで送られた。
彼は、妻がベッドに横になったのを確認すると、罪人の聴取の為に戻って行った。
「でんちゃん、無理しないでくださいね」
その後ろ姿にフェリシエルはそっと声をかける。
今日働いた分、明日はハムスターを思いっきり甘やかしてやろう。
それにしても二人でする捕り物はとても楽しい。
フェリシエルはふかふかのベッドの中で、心地の良い眠りにいざなわれた。
でんちゃん、また明日一緒にお茶を飲みましょうね。
読了ありがとうございました。
また不定期でやってきます!
これから先も番外編にお付き合いくださると嬉しいです!